私はこちらカイロでステージショーだけでなくダンスレッスン、タブラレッスンもやってます。
タブラレッスンに関しては知識理屈は分かっていても、実践的には自分のプロフェッショナル、ダンスのようにはいかないので自分のショーのバンドでの花形的タブラ奏者を講師においています。本場エジプト人一線のプロタブラ奏者をタブラレッスン講師におけるのもここならではの事でしょう。
今日のレッスンで紹介したのが「オリエンタルルンバ」ルンバとは名前から明らかなようにエジプトやアラブ発ではなく、
ラテンオリジンリズム。シャルキリズムの中にはアラブオリジンでないそんなのがいくつかあります。
でもそれをシャルキに取り入れ、音階複雑なアラブ音楽とタブラのバリエーション豊かなデコレーションの叩きにより、あら不思議、オリジナリティを残しながらもシャルキにより味わい深く繊細、とても美しくエレガントな シャルキ ティストになる。
そうシャルキにとって「エレガント」というのはとても大切。
何故世界中のベリーダンスやっている人達は、(ちなみに本場ではカテゴリなどない。ラークス・シャルキは一つ。他はシャルキと呼ばない)
ベリーダンスとしてカテゴリーでくくる時エジプシャンを一番とするのか?そのエレガント性を他のカテゴリされたものに比べて総合的な「女性的な美」を「アート」を多くの人達が、その踊りから感じるからではないでしょうか?その踊りがエレガントなのではなく、音楽がエレガントだからその音を立体的に視覚的にする踊りもエレガントになる。
去年の夏東京銀座公演で簡単にアラブ音楽の歴史について話したように、
アラブ音楽の芸術性は4つで成り立っている。
特に踊りに関しては音楽の素晴らしさなくして、芸術は語れない。
だからこの踊りをさらに深めたかったら、リズムを、歌詞の表面でなく、
本意を知る事はとても大切。
そうした意味で今回の3月の日本各地でのWSの時もまたいくつかの場所で
踊りの振りだけでなく、音楽やリズムや歌詞付きの曲の本意だどをじっくり理解して頂く為のWSクラスを考えています。
あとエジプト人のユニークな感覚について。
エジプト人ダンサーでも音楽奏者でも、アカディミックに学んだ人以外はこれを感覚で身に付けプロとしてやっている人が多い。
なのでレッスンをみていても感覚的説明が多い。
エジプトダンサーが教える時「こうよ、見まねでこうして」と言う。それを見た外人ダンサーが「そこはどうやってカウントを取っているのか?」と聞クと「分からない、これが私のやり方だからやって」みたいな・・・
そして1回目と2回目、毎回違っていたりする。
私は教え、説明する立場として受ける側の困惑がよく分かるので
そこを分析し理解し伝えようとする。
エジプト人の多くはそうした努力をする人はいない。
そこがエジプト人、弱いところ。
でも彼らオリジナルであることには変わりないので、
彼らの文化を学ぶ以上、尊重し
感覚中心の彼らを、こちらがその答えを導くしかないのである。
そうした意味でも私はまかせっきりにしないでタブラレッスンも仕切っている。
理屈でそうなる事がプラクティカルにはそうでなくなる。
例えば、今日やった
DTT最初の小節DDTTベースリズムを
を次の小節からずっとを普通のスピードで4小節。
その後テンポをサリアァ(速く)に切り替えベース(デコレーションでなく)を4小節つなげる時また
DTT/DDTTといくところをそのDTTをDtaratataraniにして、速くにつなげる。
そうした事を受ける側は困惑されているようですが、考えるのではなく受け入れるしかない。ただただ受け入れる中でプラックティスしていく中で見えてくる、つかめて来る事がどれだけ多いか。
自分の中の理屈だけで捉えようとせずに、受け入れる。
それは彼らの経験から来ているから。
経験とは慣れ親しんだものから。
慣れ親しんだものとは?
ずーと継がれてきたものだから。
そのずーとあったもの、
彼らの感覚、
それは彼らの「血」と言う事になり、
「それを言ったらおしまいよ」
にはならず、頭を柔軟にそして鋭くそれを見極める判断も持っていないと
せっかくの宝を見逃してしまう。
でもたまに明らかに間違いと言うのもあるから、気をつけないと。
間違いやどうでもいい事と、宝をその辺をどう見極め判断するのか?
それはここエジプトやアラブ、そして世界の様々なベリーダンスの
長年の私の経験から。
私とは?エジプトでもアラブでもない異国の者がこの文化を興味深く客観的に観察し、学んだ現地での16年間の経験。
「感覚としての経験を確実に自分のものに定着させなければならない」
エジプト人WSでいくら振り写しだけ多くしてもそれは本当の意味で
エジプシャンをやった事にも身に付けた事にもならないのでは?
そのオリジナル性をしっかり捉えながら、オリジナルエッセンスを絶対逃さないようにしながら自分で何回も何回も踊る。
そうした経験から分かって来るもの、見えて来るもの。
感覚的につかめる本場の踊り。
或いは何回も踊ってからこそ、明らかになる分からない点。
それを信頼する誰か師となる人を見つけて何でも聞く。
そうした忍耐強い自分だけのたゆまないない努力が、必ず実を結び
このエキゾティクで魅了してやまない踊りの理解を深めていく
貴いご自分のシャルキ経験、スタイルにのではないでしょうか
コピーはあくまでもコピーでしかない。
ご自分の真摯な経験の後、シャルキとは?その答えがご自分の言葉でふわっと浮かび上がってくるのではないでしょうかね。
集中レッスンの方々がこちらにいらした時、
私のステージショーを観て頂く。
写真はその方がいらした時撮って下さったもの。
私だけでなく、
出来るだけ多くの他のダンサーも観た方が良いと勧める。
表面的な衣装とかプロポーションがどうのとかだけを観るのではなく、
ダンサーならではの重要なポイントを鋭く観察する事が多々ある。
集中レッスンしている方なら、
その中から見えて来るもの発見できる事が必ずもっとあるはず。
楽団はタブラは踊りに合わせてどうアクセントおき、デコレーション豊かに叩くのか。その補佐するリズム組はどうそのデコの間を豊かに埋めるのか?
歌手は生ステージではどう歌うのか?演奏者がミスった時、ダンサーはどう上手くカバーするのか?どのタイミングでどの客と絡むのか?
現地のお客さんはどんな時喜び、盛り上がるのか
観光客は?などなど。
いろいろな多くのものを、
豊かに観察でき、理屈ではなく体感し感覚で学べる。
一見は百聞に如かず。
だから本場で観る意味が大きい。
のだと思います。
タブラレッスンに関しては知識理屈は分かっていても、実践的には自分のプロフェッショナル、ダンスのようにはいかないので自分のショーのバンドでの花形的タブラ奏者を講師においています。本場エジプト人一線のプロタブラ奏者をタブラレッスン講師におけるのもここならではの事でしょう。
今日のレッスンで紹介したのが「オリエンタルルンバ」ルンバとは名前から明らかなようにエジプトやアラブ発ではなく、
ラテンオリジンリズム。シャルキリズムの中にはアラブオリジンでないそんなのがいくつかあります。
でもそれをシャルキに取り入れ、音階複雑なアラブ音楽とタブラのバリエーション豊かなデコレーションの叩きにより、あら不思議、オリジナリティを残しながらもシャルキにより味わい深く繊細、とても美しくエレガントな シャルキ ティストになる。
そうシャルキにとって「エレガント」というのはとても大切。
何故世界中のベリーダンスやっている人達は、(ちなみに本場ではカテゴリなどない。ラークス・シャルキは一つ。他はシャルキと呼ばない)
ベリーダンスとしてカテゴリーでくくる時エジプシャンを一番とするのか?そのエレガント性を他のカテゴリされたものに比べて総合的な「女性的な美」を「アート」を多くの人達が、その踊りから感じるからではないでしょうか?その踊りがエレガントなのではなく、音楽がエレガントだからその音を立体的に視覚的にする踊りもエレガントになる。
去年の夏東京銀座公演で簡単にアラブ音楽の歴史について話したように、
アラブ音楽の芸術性は4つで成り立っている。
特に踊りに関しては音楽の素晴らしさなくして、芸術は語れない。
だからこの踊りをさらに深めたかったら、リズムを、歌詞の表面でなく、
本意を知る事はとても大切。
そうした意味で今回の3月の日本各地でのWSの時もまたいくつかの場所で
踊りの振りだけでなく、音楽やリズムや歌詞付きの曲の本意だどをじっくり理解して頂く為のWSクラスを考えています。
あとエジプト人のユニークな感覚について。
エジプト人ダンサーでも音楽奏者でも、アカディミックに学んだ人以外はこれを感覚で身に付けプロとしてやっている人が多い。
なのでレッスンをみていても感覚的説明が多い。
エジプトダンサーが教える時「こうよ、見まねでこうして」と言う。それを見た外人ダンサーが「そこはどうやってカウントを取っているのか?」と聞クと「分からない、これが私のやり方だからやって」みたいな・・・
そして1回目と2回目、毎回違っていたりする。
私は教え、説明する立場として受ける側の困惑がよく分かるので
そこを分析し理解し伝えようとする。
エジプト人の多くはそうした努力をする人はいない。
そこがエジプト人、弱いところ。
でも彼らオリジナルであることには変わりないので、
彼らの文化を学ぶ以上、尊重し
感覚中心の彼らを、こちらがその答えを導くしかないのである。
そうした意味でも私はまかせっきりにしないでタブラレッスンも仕切っている。
理屈でそうなる事がプラクティカルにはそうでなくなる。
例えば、今日やった
DTT最初の小節DDTTベースリズムを
を次の小節からずっとを普通のスピードで4小節。
その後テンポをサリアァ(速く)に切り替えベース(デコレーションでなく)を4小節つなげる時また
DTT/DDTTといくところをそのDTTをDtaratataraniにして、速くにつなげる。
そうした事を受ける側は困惑されているようですが、考えるのではなく受け入れるしかない。ただただ受け入れる中でプラックティスしていく中で見えてくる、つかめて来る事がどれだけ多いか。
自分の中の理屈だけで捉えようとせずに、受け入れる。
それは彼らの経験から来ているから。
経験とは慣れ親しんだものから。
慣れ親しんだものとは?
ずーと継がれてきたものだから。
そのずーとあったもの、
彼らの感覚、
それは彼らの「血」と言う事になり、
「それを言ったらおしまいよ」
にはならず、頭を柔軟にそして鋭くそれを見極める判断も持っていないと
せっかくの宝を見逃してしまう。
でもたまに明らかに間違いと言うのもあるから、気をつけないと。
間違いやどうでもいい事と、宝をその辺をどう見極め判断するのか?
それはここエジプトやアラブ、そして世界の様々なベリーダンスの
長年の私の経験から。
私とは?エジプトでもアラブでもない異国の者がこの文化を興味深く客観的に観察し、学んだ現地での16年間の経験。
「感覚としての経験を確実に自分のものに定着させなければならない」
エジプト人WSでいくら振り写しだけ多くしてもそれは本当の意味で
エジプシャンをやった事にも身に付けた事にもならないのでは?
そのオリジナル性をしっかり捉えながら、オリジナルエッセンスを絶対逃さないようにしながら自分で何回も何回も踊る。
そうした経験から分かって来るもの、見えて来るもの。
感覚的につかめる本場の踊り。
或いは何回も踊ってからこそ、明らかになる分からない点。
それを信頼する誰か師となる人を見つけて何でも聞く。
そうした忍耐強い自分だけのたゆまないない努力が、必ず実を結び
このエキゾティクで魅了してやまない踊りの理解を深めていく
貴いご自分のシャルキ経験、スタイルにのではないでしょうか
コピーはあくまでもコピーでしかない。
ご自分の真摯な経験の後、シャルキとは?その答えがご自分の言葉でふわっと浮かび上がってくるのではないでしょうかね。
集中レッスンの方々がこちらにいらした時、
私のステージショーを観て頂く。
写真はその方がいらした時撮って下さったもの。
私だけでなく、
出来るだけ多くの他のダンサーも観た方が良いと勧める。
表面的な衣装とかプロポーションがどうのとかだけを観るのではなく、
ダンサーならではの重要なポイントを鋭く観察する事が多々ある。
集中レッスンしている方なら、
その中から見えて来るもの発見できる事が必ずもっとあるはず。
楽団はタブラは踊りに合わせてどうアクセントおき、デコレーション豊かに叩くのか。その補佐するリズム組はどうそのデコの間を豊かに埋めるのか?
歌手は生ステージではどう歌うのか?演奏者がミスった時、ダンサーはどう上手くカバーするのか?どのタイミングでどの客と絡むのか?
現地のお客さんはどんな時喜び、盛り上がるのか
観光客は?などなど。
いろいろな多くのものを、
豊かに観察でき、理屈ではなく体感し感覚で学べる。
一見は百聞に如かず。
だから本場で観る意味が大きい。
のだと思います。