兄との生活(14)
あの頃のともみは、
自分のせいでなく、母の行き過ぎた行動で
生活が一辺してしまい、かなり母を恨みました。
母を恨むことで、自分を支えていた...とでも言うのでしょうか
でも、あの時の経験したことは、辛かったけど、
自分で働いて学費を捻出して、お金のありがたみが分かったし、
働くことの大変さが分かり、とてもいい経験だったと思います。
ともみは8ヶ月間、真面目に一つのことに取り組め
本当によくがんばったと自負しています。
自分に自信が付き、
卒業してから就職してからも、忍耐が付いたように思います。
母が施設に入ってからは、
兄は、大学進学を断念し、警備会社へバイトをしていました。
でも、警備会社がいきなり倒産してしまい、職を失い、兄は、友達からの誘いで、
ショーパブのダンサーの仕事に就きました。
華やかな仕事ではあったけど、
給料もそんなに高くなく、かなりハードであったようでした。
2ヶ月に1回ショーの内容を変えなくてはいけないので、
お店が終わってからもレッスンがあったり、
熱があっても舞台に穴を開けることは出来ないので、
無理をして出勤したりもしていました。
兄は、仕事は、真面目に取り組んでいたようでしたが...
ショーパブという仕事柄... やはり女性関係がかなり激しかったようでした。
度々、深夜に女性から、それも入れ替わり立ち代りと言った感じでした。
あと、お金にもだらしなく、
クレジット会社からの再三の支払いの催促の電話などもありました。
光熱費や電話代も滞っていたこともあって、
電気や電話を止められたことも何回もありました。
兄は、ともみと二人で、誰も文句を言う人がいなかった為か
兄の友人や彼女などを家に引き入れたりしました。
兄の好き勝手になったこの家には、ともみの居場所が無かったのです。
ともみは、自分の家でありながら、自分の家でないような...
兄との生活は、そんな苦痛な日々が続いていたのです。
そして、ともみは、そんなきっかけで
20歳になってから一人暮らしをし始めることになるのです。
ともみの失われた青春(13)
母が施設に入所して、母の介護からは、解放され一段落ついてから
ともみは、私立の高校へ通っていたので、学費がかなり高かったのです。
母の手術や入院代、家政婦代で、祖母に多大な負担が掛かったので、
ともみの学費まで出してもらうのは、忍びなかったので
ともみは、バイトをすることにしたのです。
今まで、夏休みに学校の斡旋で、本の倉庫で働いたことはあったのですが、
本格的なバイトは、今まで経験は無かったのです。
ともみの通ってる学校は、女子高でかなり校則の厳しい学校だったので、
バイトをするのもきちんとした理由が必要で、
バイト先も高校生にふさわしい仕事なのか?
勤務先への視察なども入ったりました。
当時、ともみの家の近くには、あまりお店が無く、
一駅離れた場所のスーパーのレジの仕事に就きました。
高校1年の時からやっていた部活も一旦休止扱いにしてもらいました。
ともみなりに、思い入れのある部活でした。
クラスメイトよりも部活の友達の方が仲良くて、楽しかったです。
とても規則が厳しかった高校でしたので、辛い高校生活の中でも
唯一のともみにとって、心のよりどころ的な場所でした。
バイトは、学校から帰って来てからの夕方5時から8時くらいまで仕事をして
祖母の家が近くだったので、祖母の家で夕食を食べ、家に帰っていました。
だいたい帰ると、9時近くになっていました。
宿題もとても多くて、帰ってからお風呂に入って宿題をすると
1時、2時くらいになっていました。
朝は、自分でお弁当を作っていたので、6時くらいには起きていました。
高校生の時代って、青春真っ只中... なハズなのに...
ともみは、学費と生活の為、バイトの毎日...
楽しかった部活も思い通りに活動は、できなくて... 辛かった
今考えても、あの時は、何が楽しくって生きていたのだろうと思います。
本当に幸せだったのだろうか?(12)
母が退院して、次の受け入れ先を探すことにしました。
家政婦さんは、これを機に打ち切り、ともみが学校を休み、
母の介護をすることになりました。
ともみは、家政婦さんがお休みの時や体調不良の時に、
ともみが母の介護していたので、一人でもなんとかやっていけました。
手、足が使えないので、食事を食べさせたり...
もちろん、下の世話もしました。
ともみが母の世話をして、疲れきって横で寝てしまったとき、
母に排出物を体にすり込まれたこともありました。
その時、母のせいで、苦しんでいるのに...
と怒りに打ち震えた時もありました。
寝たきりだと、床づれができてしまうので、度々体制を替えたり...
当時17歳のともみにとっては、
肉体的にも精神的にもかなり過酷でした。
本当に、どうにかなってしまいそうでした。
今は、身体障害者の施設もかなり多くなったかと思いますけど、
当時は、なかなか受け入れてもらうのが難しかったのです。
退院をして、新たな受け入れ先を探すのに、
10日が2週間くらい掛かったのかと思います。
なんとか頼み込んで、やっと老人用の施設への入所ができたのです。
母からの介護から解放され、ともみは、ほっとしました。
でも、母は、回復する見込みは無いことには、
間違いは無かったのです。
母は、これからずーと寝たきりの生活か
良くても車椅子の生活になることを余儀なくされました。
再び、これで母は、ともみは、兄は、幸せなのだろうか?
命を救われたことが、それが本当の意味での救済になったのだろうか?
という感情がこみ上げてきたのでした。