미나리

 

面白かった

 

淡々と

淡々と

 

アカデミー賞を受賞したユン・ヨジョンさんの

脳梗塞になった後の演技が

素晴らしかった

病気になった人を演じるときって

他はうまく演じれてても

目の動き

まぶたの動きは

通常のままであることとかがあって

ちがうんよ・・・

目の感じが変わるよ・・・

と思うことがあるのだけど

ヨジョンさん素晴らしかった

 

だけども

私たち、かぞくです」で好きになった女優さん

ハン・イェリさんを応援しながら見ておった

 

やっぱり素敵

 

でも

お父さんも

子役の2人も良かったよ

 

おばあちゃんがアメリカに来たときに

いろんな食材を持ってくるのだけど

今はダメだよね

ミナリ(セリ)の種なんて持ち込んじゃダメだよぉ

とか思っていたし

川がそんなに近いなら

川から水引けば良いじゃん とか

学校は行ってないの?とか

奥さん、もうちょっと旦那さん応援してあげてよ

買い取ってくれるお店見つかったなんてすごいじゃん!とか

トレーラーの家

綺麗じゃん

大きいじゃん

良いじゃん とか

納屋あっという間に建てたな とか

突っ込みながら見たし

最後は

予想していたよりも

ずっと手前で終わってしまって

ほにゃ?

となったのは事実です

 

もっと

その先も描いてくれるのかと思ったのだけど

でも

あれで良かったんだろうな

その先の道のりは

観た人が

それぞれに思い描けば

 

 

 

アメリカって不思議だ

ほぼみんな移民なのに

アメリカってアメリカだよね

強い

だけどそんな中で

アジア系って

描かれてこなかったんだなぁ

と改めて思う

アメリカ人ってなんだろう

 

これは

そのうち日本でも言えることなんだろうな

○○人って言われても

その人のバックグラウンドに

他の国の文化が入っているって人が

どんどん増えてくる

両親ともに「日本人」ではないけど

子どもは日本でしか暮らしてないとか

 

ミナリの子ども二人の英語も本当に綺麗で

一方の両親は

日本人のいう「カタカナ英語」な感じとか

おばあちゃんが口から出した栗を食べるのを

食べろというお母さんと

躊躇しちゃう孫とか

世代ギャップ

 

おばあちゃんが持ってきて

お父さんが育てる韓国食材とか

韓国ドラマでよく見る

花札の光景も出てくるし

子どもも親の文化、生活習慣は見て育つのだけど

だけど

そこは親の世代と違うものがあって

かと言って

周りの人たちとも違う部分もあって

 

この映画の中では

直接的な

目に見えやすい差別というのは出てこない

ポールも支えてくれてるし

教会でも受け入れてくれてる

教会で出会った男の子に

ディビッドは「なんでそんなに顔が平たいの?」と言われはするけど

仲良くなるし

語学力の問題もあるのだろうけど

仕事は制限があるということで

社会的な差別というのはあったけど

実際はもっとあったと思うのだけどね

その辺は敢えてマイルドにしたのだろうか・・・

 

両親がひよこの鑑定士として働いていて

どうやらアメリカの労働ビザを取得するのに特殊技能として

ひよこ鑑定も含まれていて

医療や教師とかそういう専門職よりは

取りやすい資格だったとか

 

ひよこ鑑定って

日本の専売特許かと思ったけど

二人の職場には韓国人がほかにもいたけど

映っていない人の中にはきっと日本人もいたんだろうな

 

ひよこ鑑定をWikiで見てみると

やはりおしりを見て

オスかメスかを区別するのは

やはり日本で生まれたようで

「プロの鑑別師の多くはその技術の発祥元の日本出身である」

とのこと

 

実際のところは

別の職業だったのかな?

(監督の幼少期がもとになってるという点で)

それとも

アジア人なら一緒だろ…っていう扱いだったのだろうか・・・

 

Wikiを見たついでに言うと

映画の中でもオスのヒナは焼却されて殺されてしまって

お父さんは息子のディビッドにも

自分と重ね合わせて

「オスは卵も産まないし、おいしくもないから殺される。

 だから、自分たちはそうされないように役に立たないとね!」

みたいなことを言っていて

焼却の煙が象徴的に映し出されるのだけど

今はこのオスを殺すことが残虐だと禁止してる国が

どんどん増えてきていて

卵の段階でオスとメスを区別し

卵から生まれる前に

それも卵の中でも痛みを感じるので

感じないとされる日までに

判断をできるようにということまで考えているとのこと

まだ殺処分している国でも

できる限り少ない苦痛で殺すために

ガスを利用したりしている中で

日本は

 

「胚鑑別法などの代替手段は導入されていない。日本国内では殺処分の方法としてバケツに生きたまま入れていき圧死、ビニール袋での窒息死などの方法がおこなわれている」

 

ひよこ鑑定師を守るためとか

発祥の国のプライドとか

そういうものもあるのかもしれないけど・・・

やっぱり少しでも苦痛の少ない方法を取ってほしい・・

Wikiが必ずしも、最新の正しい情報ってわけじゃないと思うけど

 

話がミナリから大きくそれてしまったけど

 

セリとか

栗とか

漢方とか

花札とか

ひよこ鑑定とか

そういうことへの距離感が

同じアジア人としては

欧米系の人よりは近いだろうし

この映画はアジア系が見る場合と

それ以外の人が見る場合の

見方ってきっとすごい違うんだろうなぁと

 

まぁアジア以外の国の人も

自分の国のスパイスとかってあるから

もしかしたら

皆そういった自分の国の

これが欲しい!!

みたいなのとか

ほかの国では異質に思われるものは

多かれ少なかれあるから

同じように見えるのかもしれないけど

 

日本にいる外国人だって

きっと周りとの差異を

今だって感じてて

そこには差別もあるし

自分の国にいるよりも

いい生活が待ってるから・・・って

そういう思いは今もあって

 

そして

数年したら

日本人が

一昔前のように

よりよい生活を目指して

出稼ぎに行かないといけなくなる

そんな未来が待ってる気もする

 

日本に来ている人

海外に行く人

それぞれが

きっとずっと直面していく問題なんだろうな

異文化に寛容になったり

差別は良くない

そんなことが「知識」として

広まった今だって

やっぱり起きてしまうことなんだろうと

残念だけど

そう思う

 

単純にその人の能力で判断されるというより

底辺から

のし上がらないといけないのだと

自国民の職業を守るというのも

理解できる理由だし

 

だけど

そんな映画がアカデミーで認知されるってのは

やっぱり

世界は変わってきてるのかな

とも思うし

 

やっぱりほかの国を目指す理由が

「自分の」ってこともあるだろうけど

「子孫に対して」

よりよい生活を

と願う愛がある限り

移民は続いていくわけで

本当の「世界平和」ってのができたら

その数は減るんだろうけど

まだまだ

紛争、戦争、飢餓、経済格差

そういったものはなくせないから

出稼ぎなり移民として

ほかの国を目指さざるを得ない状況は

続く

 

映画によっては

あぁこういう家族がいたんだ

こういう人がいたんだ

と自分に置き換えずに

あくまでもその人の人生としてみるものもあるけど

 

息子は心臓に病気を抱えてて

おばあちゃんが脳梗塞になって

あげく農場が火事になるなんて

その当時の移民のみんなに起きた

「一般的」ってことではないことが

あっても

それでも

その淡々とした感じで

特別な人たちの

特別な話

という感じではなくて

こういう話が

色んな所にあるんだな・・・と

思わせてくれる作品だったと思う

 

最後に

同じアジア系として

ほかの文化よりは近く感じられたのだけど

教会 という点は

日本とは違うなぁと

フィリピンにも

めちゃくちゃ韓国系の教会があったからな

その辺の

キリスト教が出てくる場面の心の動きとしては

日本人より

ほかの国のキリスト教の人の方が

近かったのかななどとも思った

 

移民先で

自分の信じる信仰があるってのは

強いなぁと

 

面白かったけど

もう一度見る!

という感じでは

ないかしら・・・