§地上15Mの遠距離恋愛 4
あの満月の日に会話をしてからあっという間に10日経ってしまった。
いつの間にか、マンションの彼には帰宅時間が把握されてしまっていた。
と、言ってもキョーコがマンションを見上げながら帰ってくるのを数回見られ、またベランダに出てくるところが同時になったからなのだが。
深夜の1時すぎに帰宅して30分から一時間話し込んで、おやすみを言って溢れてしまいそうなほど満タンになったお湯に浸かる毎日を繰り返していた。
(最近、お風呂止めに行くの忘れちゃうのよね・・・)
水道代を気にしつつも、話し終わってからお湯を入れ始めると遅くなってしまうし・・・
だからといって話しを中断してお湯を止めに行っている間に、彼が部屋に戻ってお喋りが終了してしまうのが寂しかったのだ。
「はあ・・・・」
キョーコが深いため息をつくのを、黒崎は目ざとく見つけた。
「なんだ?悩み事か?」
「・・・・・・・・・お風呂・・勝手に止まってくれないかと・・」
「・・・は?」
仕込中の午前は、唯一くだらない会話ができる時間だ。
それでもそれぞれ素早い動きで、作業を効率よく終わらせていく。
「自動湯沸かし器じゃないのか?」
「・・・・築40年のおんぼろアパートですよ?・・・ってかそうか・・いいな、自動でお湯が沸くなんて・・」
キョーコのシミジミとした言い草に、黒崎は珍しい物を見たというように目を丸くした。
「なんでそんなに・・・そんなに毎日一分一秒も無いのか?」
「・・・・・・・・・・・・・ナイデショウ」
朝は7時半には出勤して、店の清掃8時に食材が届いてチェックと下ごしらえ。
9時の現在は、切ったり煮たりの下準備。
それが終われば軽く休憩と軽食を取って11時半の開店までにランチの分だけでなくディナーの分の下ごしらえにも取り掛かる。
怒涛のランチタイムが終わってから、遅い昼休憩後ディナーの下ごしらえ。
この時に足りない食材を買い出しに出かけたりする。
そして17時からディナータイムで終了は22時。
それから片づけと、翌朝に使う道具のメンテ。
たまに黒崎の愚痴に付き合い、新開や社に宥められつつ帰路につく。
それが深夜の1時すぎという日程だった。
店休日は木曜日。
けれど季節のメニューなどを考えたりするため、結局店に来たり社のいる喫茶店に行ったりして過ごすことがほとんどだ。
それでもいいと思えているのは、以前の生活に戻りたくないというのもあるし何も考えられないほど忙しいのがキョーコには都合がよかった。
ほんの少しだけ付き合っていた男がいた。
大学せいになったばかりで少し浮かれていたのだ。
この時、奏江とも知り合ったのだが男に振り回されているキョーコを軽くたしなめてくれる程度だった。
しかし男は浮気をしつつも、それをキョーコが色気がないせいだと言い放ち別れる際、家財を手切れ金変わりだと持っていき勝手に売り払った。
キョーコはがらんどうになった部屋で、ただただ呆然とするしかなかった。
その話を聞いた奏江に散々怒られたが、それ以上に一緒に泣いてくれた。
あの男に唯一感謝しているのは、そのおかげで奏江と親友になれたことだろう。
その後、このリストランテでバイトを募集していたため生活のため働き始めた。
一年はフロアに出ていたが、大学を卒業してからは厨房に入りこの生活スタイルに染まってしまったというわけだ。
あの男の顔はもう思い出せない。
それでも・・・心に残された傷が癒えるには、まだ何かが足りなかった。
(あんな目にあうぐらいならもう・・・)
それでも、彼に会うのは心が弾むしおやすみと言われると寂しいけれど明日の約束をしているようで嬉しい。
・・・よくないと思う。
もう恋などに溺れないと思っているのに、心が勝手に逸って頭の中に彼の笑顔が浮かぶのだ。
(・・・・彼はただの知人だから・・)
名前も、歳も、職業も・・・いや、きっといいところにお勤めの人だろうけど。
恋人の有無も知らない・・けれど、あの見た目だ。複数人いてもおかしくない。
けれどここ半月ほど、毎日のように深夜にキョーコと会っているということは恋人はいないのだろうか?
(・・・・違う違う!私は別にそこの所は気にしてないしっ・・いや、もし恋人がいたら私迷惑を・・)
そこまで考えてキョーコは落ち込んだ。
彼が他の女性にも、あんな風に無邪気に笑いかけて気さくに話しをするのかと思うと心の中が重くなるのだ。
(あの人のこと何も知らないのに・・・)
しかも、自分の部屋からあそこまでゆうに15Mはある。
ただそれ以上の格差を感じないわけがなかった。
彼にはきっとインテリでコケティッシュでフェロモンたっぷりの女性が似合うだろう。
そう思いながらキョーコは想像してみたが、知っているおしゃれっぽい単語を並べただけの女性像は想像できなかった。
「はあ・・・・」
(そうだな・・・きっと黒髪のサラサラロングヘアーで、細身でモデルみたいに足が細くて長くて、スーツとかが素敵に着こなせちゃう・・)
「ちょっと!さっきから声かけてんだから反応しなさいよ!?キョーコ!?」
「・・・そうそう、こんな・・・・・・ってモー子さん!!?」
「なんのこと?それより、ボーっとしてても人参の皮を高速で剥けるなんてさすがね・・」
急に目の前に奏江がいたため、キョーコは焦って周りをキョロキョロとした。
まだ黒崎たちは黙々と仕込み作業をしていた。
(よかった・・・妄想に浸かっている間に開店していたのかと・・・)
仕込の時間に部外者を入れるなど、黒崎にしては珍しいと思ったのだがどうやら奏江は隣の喫茶店から入ってきたらしい。
「どうしたの?仕込の時間に来るなんて・・・仕事は?」
「今日は土曜よ?倖一さんから早めに注文しておいた方がいいって言われたからね~特権乱用しに」
「あ・・ははははハハ・・・」
奏江の言い草に、キョーコは聞こえているであろう黒崎を盗み見ると案の定眉間に皺を寄せていた。
そんな黒崎の不機嫌オーラをスルーして、奏江は新開が整えていたメニューを一つとって思案し始めた。
「モ・・モー子さん、あの・・」
新開も終わったところを乱されて機嫌を悪くし始めたため、キョーコが焦ると奏江はそれをパタンと閉じ綺麗に元に戻した。
「さて・・冗談はこれぐらいで・・・・キョーコ、悩みがあるんだって?」
「へ!?」
急にそう聞かれ、キョーコは黒崎に勢いよく振り向くと思いっきり顔を逸らされた。
「・・・・・・・・・」
「ちょっと、みんな心配してくれてるのよ?私も呼び出されたんだから・・」
「・・・モー子さんは社さんに会いに来たんじゃない?」
「それはついでよ、つ・い・で」
「そ、それもどうなの?」
社の立場を考えるとちょっと可哀相な気がして、キョーコが思わずフォローすると奏江にキッと睨まれた。
「そう思うなら、ウジウジして心配かけさせるんじゃないの!」
奏江に額をテシっと突かれたキョーコは、ふにゃっと目元を潤ませた。
「心配・・・してくれたの?」
「うぐ・・・べ・・べつに・・・」
いつもの癖でキョーコの言葉を否定しようと思った奏江だが、黒崎や新開に加え扉の向こう側から社に見られ渋々頷いた。
「そ、そうよ!だからそのウジウジ後で話しなさいよ?」
「へ!?」
「夜、また来るから!」
顔を真っ赤にして喫茶店の方へ走り去る奏江に、キョーコはあっけにとられ黒崎と新開は噴き出すのを我慢するのだった。
つづく