§地上15Mの遠距離恋愛 2
「蓮!ついにやっちゃったんだって?!」
早朝からテンション高めに近づいてきたのは、同期の貴島だった。
「・・・・・何を?」
コーヒーメーカーのボタンを、何事もなかったかのように押すと落とされる液体を眺める蓮に貴島は焦れたように無理やり肩を抱いてきた。
「アノお嬢さんの鼻っ柱折っちゃったんでしょう?今朝からめちゃめちゃ悪口言われてるよ~」
昨夜のことを思い出して、蓮は辟易としたため息をついた。
「色男は辛いね~」
からかい半分で背中を叩かれながら、蓮はふて腐れた顔をした。
(いくら腹に据えかねていたとはいえ・・・)
まずかったか・・・と、思ったが耐えられないものは仕方がない。
そう切り替えて、自分の机へと歩き出すとすでに彼女から話を聞かされた者たちから刺すような視線を受けた。
(さて・・今度は何を言われたのか・・・)
蓮は商社勤めであった。
昨夜の女性はバイヤー側の主任だった。
性格は一癖あるが・・・あるからこそなのか、かなりのやり手だ。
以前から目を付けられていたが、前回の企画に共同参画してからはその態度が露骨になっていた。
とうとう昨夜は、飲みに連れ出されたというわけだったのだが・・・
(ご丁寧に車に放り・・乗せて返したのにな・・・・」
「心の声が漏れてますけど?敦賀氏」
「あれ?ついうっかり・・・おはよう、琴南さん」
「おはようございます。今日のスケジュールです、敦賀さんもランチミーティングには参加してくださいね」
クールビューティーという言葉がぴったりなほど、表情一つ変えずに蓮のチームの一人、琴南 奏江はいつものように今日の日程を蓮に伝えてきた。
ランチミーティングは、基本的に参加しない蓮なのだが最終決定直前はこう言われるのだ。
「了解。いつものところ?」
「いえ、今日は会議室ではなく外で」
「へえ・・・珍しいね?」
「私の行きつけです・・・会議室は・・・使用しにくくなってまして・・・」
いつもキッパリハッキリの奏江が口を濁すことを珍しいと思いながらも、蓮は少し申し訳なさそうにした。
「・・・・・悪いね?」
「いえ、敦賀氏が女性に酷く好かれる事案には慣れていますから」
「・・・・・・・・」
奏江の言葉に完全に閉口するしかない蓮に、奏江は小さく笑って軽く肩を叩くと貴島のところにもスケジュールの確認に行った。
その途端、貴島に口説かれ始め奏江のビンタで終了する。いつもの朝だった。
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だから。
というわけではないが、今日もいつもと変わらない一日になると蓮は勝手に思い込んでいた。
「ここ?琴南さんの行きつけ」
シックな外装の喫茶店の前で、同じチームである貴島と奏江他数人で立ち止まった。
「ええ、どうぞ」
蓮に聞かれても、相変わらずの愛想無しで奏江が先に入っていく。
チームは5人。
外装は、10人も入ればいっぱいになりそうなほどこじんまりしている。
蓮が思っているのと同様に、チームの皆は二の足を踏んでいた。
「何してるんですか?早く入ってください」
誰もついてこないことに苛立ちながら奏江が中から扉を開けると、貴島が先に反応した。
「い・・いや~随分シックな店構えだなって感動してて・・」
「・・・・・ここ、奥に広いですから。二階もありますから、個室を予約してありますのでミーティングぐらいできます」
貴島の感想に、奏江はすぐに真意に気付きそう説明すると蓮たちはほっと胸を撫で下ろして店の中に足を踏み入れた。
カラン・・
と、昔ながらの鐘のベルが来客を告げながら鳴るとカウンターにいたマスターが顔を上げた。
「いらっしゃいませ」
細身の長身に知的な銀フレームのメガネがよく似合う男性だった。
「ここのオーナーでマスターの社さんです」
奏江に紹介されて、社は手に持っていたサイフォンを元の位置に戻した。
「琴南さんに話しは伺っています、どうぞ奥の個室ブースに」
「すみません、お世話になります」
奏江とは大違いで、愛想のいい挨拶を交わす社に好感を持ちながら蓮も頭を下げた。
「あはは、奏江ちゃんの言うとおり超絶イケメンですね?」
「!?」
社の言葉に蓮は、咄嗟に奏江を見ると奏江が焦った表情ですぐさま顔を逸らした。
「・・・・あの・・」
「ああ、すみませんつい・・奏江ちゃんがいつもグチ・・・じゃなくて、楽しそうによくそう言っているので」
「・・・・・・・・・」
蓮は、後程奏江からちゃんと事情を聞くことを心に決めて案内されるがまま奥の個室ブースに移動するのだった。
ミーティングはいつも通り順調に進んだ。
奏江が多少挙動不審ではあったが。
ある程度話が進んだころに、食事が運ばれてきた。
ワンプレートにしっかり盛られている内容は、充実した料理だった。
「・・・・喫茶店・・・だったよな・・ここ・・・」
貴島の言葉に、また奏江以外の皆が固まってそのプレートを見つめた。
「この料理は隣のリストランテからデリバリーされてくるんです、美味しいですよ。リーズナブルですし・・・このプレートで890円です」
その値段を聞いて、チーム内の女性が歓声を上げた。
蓮も歓声こそあげなかったが、目を丸くした。
プレートの中にはシーザーサラダとメイン料理の鶏の香草焼きに付け合せの野菜のグリル、五穀米のバターライス、エビと海藻のマリネ、さらにスープカップに野菜たっぷりのコンソメスープがついてきた。
「・・・・野菜たっぷりだね」
「この香草焼きもすっげえボリューム」
プレートから溢れそうなほど盛られている料理に、目を奪われていると奏江が両手を合わせていた。
「いただきます」
奏江のマイペースぶりに苦笑しながらも、蓮は同じように手を合わせると料理を口に運んだ。
「あ・・・うまい・・」
「本当!すっごく美味しい」
「いいっすね~」
皆の感想を、水を注ぎに来た社が笑顔で聞いていた。
「嬉しい感想ありがとうございます。黒崎に伝えておきます」
「黒崎・・さん?」
蓮の疑問に、奏江が変わりに答えていた。
「隣のリストランテの店長さん。ちょっと・・・変な人ですけど」
「奏江ちゃん・・・そんな本当のこと・・・」
「「「「・・・・・・・・・・・・」」」」
まったくフォローにならない社の言葉に、誰も突っ込みを入れることができないまま食事は終わりミーティングも終わった。
店を出た後、蓮はちらりと隣のリストランテを覗いた。
なかなかに繁盛しているらしく、お昼時を過ぎているのにも関わらず店内は混雑していた。
(結構美味かったし・・・今度来てみようか?)
そんなことを思いながら、会社に戻るのだった。
一方蓮がそう思いながら覗いたリストランテの厨房は、まさに戦争状態だった。
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「おい!付け合せまだか!?」
「はい!!ただいま!!」
「おっせーよ!何年やってんだよ!?キョーコ!」
「すみません!!」
このリストランテの店長でシェフの黒崎 潮に怒られているのは、最上 キョーコだった。
すでに3年以上ここで働いていて、唯一の楽しみはアパートのベランダで夜空を見ながら呑むビールだ。
先日、お仲間を見つけたが仕事中に思い出すほど顔を覚えているわけではない。
高層マンションに住む人も、同じ人間なのだとシミジミ思いはしたがそれ以上関わる気など無かった。
何せ、キョーコは今それどころではないのだ。
「アサリのパスタ上がります!!」
「はい、持っていきます」
キョーコが出した料理をチェックして持っていくフロアの男性は、黒崎の視線を感じとってにっこりと笑った。
「大丈夫、見た目パーフェクト」
「当たり前だ、冷める早く持って行け新開」
「はいはい」
スタスタとホールに出る新開に舌打ちをする黒崎に、キョーコが思わず笑うとギロリと睨まれた。
「おう・・・余裕だな?」
「ひいっ!?いえっ」
「洗い物は終わったのか!?」
「いますぐ!!」
黒崎の怒鳴り声にキョーコは、マッハの勢いで奥に引っ込み洗い物の山を高速で片づけた。
いつものランチタイムが終了すると、隣の喫茶店オーナーである社 倖一が薫り高いコーヒーを淹れて運んできた。
店の壁中央にあるドアから。
「お疲れ様~一服のコーヒーどうぞ」
「おおっ!オーナーナイスタイミング」
黒崎は食べ終わった賄をシンクに放ると、社の淹れたコーヒーにありついた。
「キョーコちゃんもどうぞ」
「ありがとうございます!」
「いえいえ、あ・・そうだ・・・お昼に奏江ちゃん来てたよ?会社の人と」
コーヒーを渡しながら何でもない事のように言った社に対して、キョーコは勢いよく立ち上がった。
「モー子さん来てたの!?なんで!?」
「え・・・だから・・会社の人とランチ・・」
「ええええ!?昨日会った時には何にも言ってくれなかったのに~!!」
「え・・・っと・・うちが空いてたからかな?」
「ランチならこっちに来ても食べれるのに~~~っ」
歯ぎしりをしながら本気で悔しがるキョーコに、社はやや引きながら愛想笑いをすると新開が楽しそうに間に入ってきた。
「キョーコちゃんは本当に琴南さんが好きだね~」
「当たり前です!あんなに美人で面白くてかっこいい友人、他にはいません!!」
きっと本人は最初の褒め言葉だけを受け取るのだろうが、キョーコはそんなことにも気づかずに奏江の素晴らしさについて語り始めた。
それを社は笑顔で聞き、新開はスルーしながらスマホをいじり始めた。
「・・・・というぐらい私はモー子さんが大大大大大大好きなんです!!!」
息をきらしなながらそう言い切ったキョーコに、苦笑いで拍手を送る社に対して黒崎が悪気など全くなく声をかけた。
「そういえば、そのモー子嬢ちゃんと付き合い始めて半年だけどその後どうよ?」
その途端、場の空気が固まった。
(黒崎さんっ空気読もうよ!!)
心の中でそう叫びながら、新開が目配せしても黒崎は意に介さずでまだ続けた。
「キョーコも、もうちょっと身なりを整えて彼氏ぐらい作れよ・・そんなにモー子嬢ちゃんに構ってると社が手を出せないだろ?」
「黒崎さん!?」
社が慌てて止めに入るも、時遅くキョーコは般若の面を被って賄で出た洗い物を片づけに厨房に戻ってしまった。
「なんだ・・・あいつ、まだ引きずってんのか?」
「黒崎さん!・・・本当にあなたはデリカシーが欠片もない・・・」
新開が頭を抱えると、社も表情を暗くした。
「あれでも俺たちのことには賛成してくれてるんですよ?・・・ただ・・自分については全く・・・」
洗い場にいるキョーコを気遣って、声を抑え気味に社がそう言うと黒崎はバツが悪そうに頭を掻いて少し考えた後スクッと立ち上がった。
「キョーコ、これ味見しとけ」
「へ?」
冷蔵庫から出してきたベリータルトを、キョーコが作業している近くの棚に置いた。
その様子にキョーコはきょとんとして、新開たちは笑っていた。
「あ~~~・・悪かったよ・・・でも、ほら!お前もあんな奴のことはすっぱり忘れて・・・」
折角のフォローの甲斐なく、黒崎はキョーコの地雷を踏んでしまいキョーコはしばらくベリータルトを持って倉庫に雲隠れしたのが本日午後の出来事だった。
つづく