J・F・ケネディの名言「たいまつは新しい時代に引き継がれた」 | 開運と幸福人生の案内人/ムー(MU)さんの日記

開運と幸福人生の案内人/ムー(MU)さんの日記

「正しく実行すれば、夢はかなう」をモットーに東洋易学、四柱推命(神機推命)、風水などの秘伝を公開し、自分の夢を実現するとか、悩みの解消に役立つ運命好転化技法を紹介します。

心に響く名言 43.1 J・F・ケネディの名言

「たいまつは新しい時代に引き継がれた」

この名言は、アメリカ合衆国の第35代大統領J・F・ケネディによる1961年(昭和37年)1月20日の大統領就任演説の中の一節です。
ケネディはアメリカ歴代の大統領の中でも43歳と最も若い年齢で大統領に就任しました。


[ジョン・F・ケネディ]

 

「ニューフロンティア精神」を掲げて颯爽と登場し、本命の共和党のニクソン候補を僅差で破り選挙戦を制したのです。ケネディは演説の名手でもあり、大国アメリカを率いる
新しいリーダーとしてその一挙手一投足が世界中の人々から注目されました。
この演説から60年以上たつ今でも多くの人々の記憶に残り、色々な場面で引用されています。

この歴史的演説、名言をもう少し詳しくみましょう。
(一部省略しています)

「今この時、この場所から、
 友人に対しても敵対者に対しても伝えよう。
 すなわち、たいまつはアメリカ人の新しい世代に引き継がれた、と。」


 Let the word go forth from this time and place, 
 to friend and foe alike, 
 that the torch has been passed to a new generation of Americans

・・・

「世界に知らしめようではないか。
 自由が生き延び、成功するために、
 われわれはいかなる代償も払い、
 負担にも耐え、いかなる困難にも立ち向かい、
 いかなる友人をも支援し、敵対者には対抗すると」


 Let every nation know, whether it wishes us well or ill, 
 that we shall pay any price, 
 bear any burden, meet any hardship, 
 support any friend, oppose any foe to assure 
 the survival and the success of liberty.

・・・

「アメリカ国民よ。国家が君たちのために何ができるかを問うな。
君たちが国のために何ができるかを問いたまえ。
世界の同胞の皆さん、
あなた方のために、アメリカが何ができるるかを問わないでください。
人類の自由のために、われわれが共に何ができるかを問い掛けよう」



And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you
--ask what you can do for your country.

My fellow citizens of the world: ask not what America will do for you, 
but what together we can do for the freedom of man.




[大統領就任演説の情景]
 

西側陣営の若きリーダーとして、自信に満ち気迫にあふれる名演説だと思います。(演説の全文は、インターネットやyou tubeに掲載されていますので、興味のある方は検索してみてください)

 

1950年代後半の世界情勢

この演説に関して、その内容を特に解説する必要もないでしょう。
ただ、ケネディが大統領として登場する以前の1950年代後半の世界情勢について簡単に記しておきます。それは、どのような人物もその生きた時代の歴史的背景の中で
考え、行動していくからです。

当時の世界は、アメリカ、欧米を中心とした西側陣営ソビエト連邦を中心とする東側陣営との冷戦のまっただ中でした。
原爆や水爆の核爆発実験が主要な国々で行われ、さらにICBM(大陸間弾道ミサイル)が開発され、世界が壊滅的な状態になりえる可能性が増大するといった、東西間の緊張が
高まっていた時代です。

アメリカは第二次世界大戦の英雄、共和党のアイゼンハウアーが第34代大統領(1953-1961)を務めていました。
1954年にビキニ環礁で水爆実験を行います。
1953年に朝鮮戦争の休戦に踏み切ります。
1956年の第二次中東戦争を契機に、中東地域への軍事介入を宣言します。(アイゼンハウアードクトリン)
そして、南アジアでの共産化を防ぐとしてフランス敗退後のベトナムに介入をします。

一方のソビエト連邦ではスターリン死去後にフルシチョフ首相(1958-1964)が就任しました。
1956年にスターリン批判を行い、平和共存への転換を表明します。
しかし、言葉とはうらはらにポーランドやハンガリーでの反ソ暴動に対しては力ずくで抑えにかかります。

とはいえ、フルシチョフは平和共存に向けて55年にジュネーブ4巨頭会談の実施、59年に訪米の実現など積極的な活動も行っています。

この時期、イギリス連邦は1956年のイーデン首相の時のスエズ動乱でフランス・イスラエルと結んでエジプトと戦って敗れ、イギリスの権威を失墜させてしまいます。
イーデン内閣を引き継いだマクミラン内閣(1957-63)の時代に植民地とイギリス連邦の強化を図ります。
またアメリカとの関係改善にも力をそそぎました。
戦後の復興をほぼ果たしますが、対外債務が増大するなど難しい舵取りをせまられます。

フランスはかつての栄光の再現を目指すド=ゴールが独自外交を展開させていました。
西ドイツとの関係を改善すると共に、ヨーロッパ統合を目指します。
当時も今も変わりませんが、アメリカに追随しない姿勢を貫きました。

特筆すべき項目として1956年から60年にかけてアフリカの国々が次々と独立します。
1956年、スーダン共和国、モロッコ・チュニジア独立、57年、ガーナ独立、
60年にカメルーン、マリ連邦、マダガスカル、コンゴなど14カ国が次々と独立を果たします。
紆余曲折はありますが、いわゆる第三世界を形成する勢力となっていきます。もちろんこの独立運動は負の局面もありこの前後に暴動や内戦が勃発し、これらの国々では長い間にわたって混乱が続きます。

それから、東アジアの情勢です。

1949年に毛沢東を首席として中華人民共和国は、「新民主主義」を標榜して成立します。
ところが、建国直後の1950年に始まった朝鮮戦争は、米ソ対立という国際情勢の中で、中国は急速にソ連に接近します。共産党独裁による社会主義国家建設へと転換しました。この戦争は中国にとって大きな犠牲を払っての参戦でしたが、そのことが中国共産党の指導するナショナリズムを高揚させ、その後の東西冷戦の中でアメリカによる対共産圏包囲網からの防衛にあたる軍備拡張へと向かうことにつながります。

第三世界をリードする中国でしたが、チベットを「解放」の名目で軍事制圧し、数十万人の大虐殺を行なってしまいました。このチベット問題を機にもう一つの第三世界の大国インドとの関係が悪化し国際的に孤立を深めます。

1949年頃より社会主義陣営が勢力を拡大する東アジアにおいて、アメリカは日本を資本主義陣営の一員として独立させ、共産主義包囲網の一翼の役割りを持たせます。

1952年に吉田茂内閣の元で、連合国との間にサンフランシスコ平和条約を発効し、
国際社会への復帰を果たします。
これと同時に「日米安全保証条約」に調印し、米軍が正式に日本国内に駐留することになります。
1953年にはソ連と国交回復が行われます。56年に日ソ共同宣言に調印し、ソ連の支持も経てこの年にようやく国際連合にも加盟します。
1960年に、岸内閣はアメリカと日米新安保条約を調印します。この新安保は戦前の軍国主義の復活につながるとして、学生や一般市民は激しい反対運動を展開します。(安保闘争)。岸は衆議院で新安保の批准を強行し、デモ隊が国会議事堂を取り囲むなど安保闘争は激化しました。
日本とアメリカの軍事上の関係は、この1960年の安保条約にルーツがあるわけです。

このように共産主義の東側陣営と自由と民主主義を標榜する西側陣営が一触即発の危機の中でどうにか本格的な軍事衝突を避けるこの時期を冷戦といいます。

現在の世界の状況(2010年代~24年)を、歴史家や一部の政治家の中に新冷戦時代と表現する人がいます。特にロシア(旧ソ連)がウクライナに侵攻した、核兵器の使用が現実化した2022年よりそのような論調が増えています。
当然、1960年代の状況と現在の状況は大きく異なる点もあります。
ロシアのウクライナ侵攻以来、アメリカとその同盟国対、中国とロシア、その同盟国との国際政治の分断はさらに進みました。冷戦時代と同様の東西対立の固定化です。。

この当時二極体制などと呼ばれた米ソ冷戦下の国際政治は、二つの国家を頂点とする覇権秩序でした。現在は、冷戦後に圧倒的な優位を得たアメリカの覇権が、中国とロシアの挑戦によって揺るがされています。
米国の同盟国は世界的に限られているばかりか、NATO(北大西洋条約機構)諸国はもちろん日本や韓国についても、アメリカが各国の政策や政治体制に介入する力はかつてほどありません。

これは、2023年に中東でハマスがイスラエルに奇襲攻撃をしかけ、今イスラエルが
過剰ともいえるパレスチナへの反撃、軍事攻撃を行っています。多くの民間人に犠牲を強いるこのイスラエルのハマス壊滅作戦を、今のアメリカの政権は止めることができません。
この一つの事象をみてもアメリカの他国への影響力の低下を見ることができます。

また、当時のソ連の役割りを担うもう一方の大国の中国にしても、共同防衛を期待できるほどの軍事的連携を築いた国はありません。
習近平体制の下で中ロ両国の軍事的連携が強化され、ウクライナ侵攻後に中ロ貿易が拡大をしました。といてウクライナ侵攻の軍事支援について中国は慎重な姿勢を崩していません。これはまだ面と向かってアメリカと衝突するリスクを背負うことができないからです。

中国による世界秩序が構築されると考えている政治指導者はいないでしょう。
いわゆるグローバルサウスの国々も、アメリカのグリップが弱くなったところで、
自国の権益と発言力の強化をねらって画策しているすぎないように思います。

このように当時の冷戦時代と現代の新冷戦時代は異なる点もありますが、共通する点も多々あります。

話がJ・F・Kから脱線しました。
筆者も含めて、現代の日本人の多くは現代史をしっかりと学んでいない人が大半でしょう。歴史は繰り返すといいます。その同じ部分と異なる部分をしっかりと認識しないと、
現在の状況を正しく判断できません。
その理解を深めていただく事も含めて、ケネディ登場前夜の世界情勢について概略を記してみました。

いずれにしましてもこういう冷戦時代の状況の中で、ジョン・F・ケネディはアメリカ合衆国の有能で将来を嘱望される政治家として次第に頭角を表してくるわけです。

最後になりましたが、いつものようにケネディの命式(時差修正済)を記します。



[J・F・ケネディの命式]

次回は、ケネディの幼年期、青年期を振り返りながら
この命式を読み解いてみたいと思います。


最後までお読みいただき有難うございます。