40.1 マルクス・アウレニウスの名言『自分の内を見よ。内にこそ善の泉がある』 | 開運と幸福人生の案内人/ムー(MU)さんの日記

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心に響く名言   40.1 マルクス・アウレニウスの名言

『自分の内を見よ。内にこそ善の泉がある』

マルクス・アウレリウス(西暦121年-180年)は古代ローマの第16代皇帝です。ローマが最も繁栄した時期、いわゆる五賢帝時代の最後の皇帝です。
彼はスペインの名門の家柄に生まれます。彼は後に哲人皇帝とも呼ばれますが、哲学に精通し自省録を著します。
今回とりあげるアウレリウスの名言はこの「自省録」の一節ですが、この言葉には非常に深い哲学的内察を含んでおり、正しく理解するためには彼の半生と、彼の学んだストア派哲学についての概要を理解しなければなりません。

◇ マルクス・アウレリウスの生い立ち、前半生

ローマ帝国がその繁栄を謳歌していた時代、西暦121年4月26日にローマで生を受けます。

法務官などを務めていた父はアウレリウスが3歳の時に亡くなります。
母は教育熱心で、アウレリウスは小さい頃から当代一流の学者や家庭教師から学問を学びます。

6歳で聖職の学校へ通いますが、成績は優秀だったそうです。同郷のハドリアヌス帝に目をかけられ、その指示に従いアントニヌス・ピウスの養子となります。

アウレリウスが多くの学問を学ぶ中で、彼が特に熱中したのは古代ギリシャのストア派哲学でした。
ストアというのは、古代ローマの宮殿にあった柱が並んだ廊下のことを指します。哲学者がよく
そこに集まって議論をしていたので、ストア派という名前が付きました。
ストイック(自分を厳しく律する、禁欲的)という言葉は、ストア派から派生した言葉です。
この哲学の概要については、後でもう少し詳しく解説します。




[マルクス・アウレリウスの肖像](wikipediaより引用)

 

アウレリウスが18歳の時、叔父で継父のアントニヌス・ピウスが皇帝となります。
アウレリウスは皇帝の後継者として指名されます。哲学者を目指していた彼は悩みますが、
運命を受け入れ皇帝となることを決意します。
その後、財務官や執政官などの皇帝に仕える仕事に就きますが、勉強が好きで哲学者になりたかったアウレリウスは昼の仕事のかたわら、夜は寝る間を惜しんで哲学の勉強に勤しみました。

そして161年、アントニヌス・ピウスが亡くなったことで、アウレリウスは39歳という若さで皇帝に就任することとなります。もともと貴族の華やかな生活を嫌い、質素な暮らしを心がけていたアウレリウスは皇帝になってからも
質素な暮らしと、謙虚な振る舞いを心がけ民衆からの人気も高かったといいます。

この西暦160年ころは後にパックスロマーナと呼ばれる時代で、ローマの人々は平和と繁栄を享受していました。しかし長期間繁栄をしていたローマ帝国にも翳りが生じ始めた変革期にあたります。ローマ帝国はまだ大きな力を持っていましたが相次ぐ天災に悩まされ、また他国との戦争や内戦が絶えず起こり続けるたのです。帝国の絶大な勢力が傾きつつある
なか、マルクス・アウレリウスは皇帝に就任したのです。アウレリウスは常に戦争に赴く生活を送ります。

恐らくは望まずに王位を継承したアウレリウスは、魂の平穏を説き、民衆の平和のために奔走しつづけます。
ローマ軍最高司令官として戦場から戦場へ走り回った闘いの間隙を縫うようにして、野営のテントの中で蝋燭に火を灯しながら、自身の内面に問いかけるようにして「自省録」を綴ったともいわれています。
厳しい現実との格闘、困難との対決のただ中から生まれたのでした。

◇ ストア哲学とは

では、彼の思考のもとになったストア哲学とはどのようなものだったのでしょうか。
ストア派の特徴の一つは「自然」「心/理性」をはっきりと区別するところにあります。
そして、自分ではどうにもならない自然の秩序を通してではなく、自身の心のうちにある理性や指導理性(ト・ヘーゲモニコン、肉体と精神の統御機能)を通して物事を見ることが説かれています。

どんな苦痛や不運であっても、もともと自分にどうしようもない事柄なのであれば、それに悩んだり煩わされたりするのではなく、それを不幸と感じない受け取り方ができるよう、魂を導いていくことを目指しているのです。

さらに、肉体におきる様々な欲情は、自然なものとして起こるものであって、自身の指導理性でなんらか評価を加えたり、そこに向かって生きていくものではありません。
「動物ですら自然の秩序に従って生きているというのに、汝は快楽を受け身的に享受するために
生まれたのか。富や権力等を自らの精神から遠ざ、それらと共生できるとは思わない方が良い。」
というわけです。

また、誰かやなにかから損害を受けたという”感じ”も、それを冷静に見極めて取り除いていけば、自分自身に降りかかると思われた損害自体も実は取り除かれてしまう。いわく、
「これは不運ではない、しかし、これを高貴に耐え忍ぶのは幸運である。」
ストア学派は、ただ魂と理性の導きの声に従って生きることを説いています。
日常生活的な実践を通して魂を少しずつ調整していこうとするわけです。

◇ マルクス・アウレリウスの名言『自分の内を見よ』の意味

マルクス・アウレリウスは「人間はいかに生きるべきか」を生涯考え抜いた哲学者といえます。

アウレリウスは裕福な家庭に生まれ、皇帝という当時最高の地位につき、民衆から絶大な人気を博していました。
しかし、富や名声といった自分の外部にあるものにのみに心を動かされると、人間は運命に翻弄され心の動揺を招きます。彼にとってそのようなものはたいした価値もなく、ないよりも有った方が良い程度のもので、それらを失うこともまったく気にも止めていませんでした。

そうではなく「自分の内を見よ。内にこそ善の泉がある」というわけです。
自然を貫く理法(ロゴス)に照らして、絶えざる自己点検と内省を通して自分を厳しく律していくこと。外側にではなく内側にこそ価値があり、それを高めていくことこそが真の幸福であるというわけです。
彼はこの名言を『この泉はお前がたえず掘り下げさえすれば、たえず湧き出るであろう』
と続けています。

この「お前」とはアウレリウス自身のことです。
元々この12巻からなる『自省録』は皇帝としての生活をすごす自分が、その折々の思索や内省の言葉を日記のように書きとめたもので他人に読ませる書物ではなかったからです。




[自省録]

 

彼はまた、こうも述べています。
『幸福な人間とは、自分で自分に良い運命を与えられる人のことである。』
「良い運命を与える」というのは「良い運命を呼び込む」という意味です。
アウレリウスは「良い運命は、良い性格と、良い欲望と、良い行動によって生み出される」と考えています。
そして真の幸福をつかんだときに、その人間は全くぶれることがなくなります。
人間として目指す理想の姿というわけです。

この考え方は、仏教の開祖ゴータマブッダが説く「悟り」や「悟った人=如来として完成された人間」に相通じる部分があると思います。


今回は、マルクス・アウレリウスの心に響く名言を取り上げましたが、彼の信奉したギリシア哲学(ストア学派)の考え方がそのベースにあるためいささか堅い内容となりました。

次回はアウレリウスの命式を読み解き、その人の性格、運命をみていきたいと思います。

今回も最後までお読みいただき、有難うございました。