37.2 祇園祭に秘められた意味と吉野裕子の命式を読み解く | 開運と幸福人生の案内人/ムー(MU)さんの日記

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「正しく実行すれば、夢はかなう」をモットーに東洋易学、四柱推命(神機推命)、風水などの秘伝を公開し、自分の夢を実現するとか、悩みの解消に役立つ運命好転化技法を紹介します。

心に響く名言

37.2 祇園祭に秘められた意味と吉野裕子の命式を読み解く

 

2022年7月17日(日)に京都の祇園祭(前祭:さきまつり)が三年ぶりに開催されます。
もちろん筆者も見学に行く予定です。

この7月17日は旧暦の6月19日にあたります。
土用の入りを前に行われる前祭り山鉾巡行は、一番鉾の長刀鉾に乗ったお稚児さんが
神の領域の境界線として張られている注連縄(しめなわ)を刀で切り、結界を解くことから始まります。


[祇園祭 注連縄切り]

 

このお稚児さんは、八白土気艮の小男であり、鞆のお手火も同じく八白の木です。
疫病や災いをもたらす、諸悪の根源である京の都の猛暑の夏から、爽冷の秋への転換をうながす呪術がこの一連の行事に秘められています。

このように易と陰陽五行の法則を鍵として、古くから伝わるお祭りや民間、宮廷行事に秘められた原理を解明しようとしたのが、吉野民俗学の真骨頂というわけです。

それでは本題の吉野裕子さんの命式を読み解いていきましょう。
命式表を再掲します。


[吉野裕子さんの命式]

 

吉野氏は、1916年(大正5年)10月5日のお生まれです。

年柱の干支が 丙辰
月柱が、   丁酉
日柱が    乙亥
となります。

五行を集計します。

日主を含む木気が1、火気が2、土気が1、金気が1、水気が1と全ての五行が揃っています。五気周流の非常にバランスがよい命式の持ち主といえそうです。

生日が乙ですので、基本的に性格は優しく粘り強い人です。
聡明で、才能を秘めた優秀な人でもありそうです。

通変星を見て、もう少し詳しい性格分析、運命の先天運を調べてみます。

年柱に肖綺と正財の通変星が配置されています。
幼少期は、比較的恵まれた裕福な家庭で生まれ、ご先祖からの守護も受けて、金銭的に苦労することはなさそうです。
おしとやかな淑女というよりは、好奇心旺盛で少しやんちゃな、でも魅力にあふれるお嬢さんに育つと看命します。

この人は、月支元命が威官で月上の食神が威官をうまく制御するので、食神制殺格といわれる好命の持ち主です。

強い意志と決断力を備え、武人なら大兵力を巧みに導くことが可能な英雄の命といえそうです。
ただし、この人の場合は月柱の十二運に絶が入り、元命の辛が年干の丙と干合しています。さらに月支の酉が空亡していますので、少々割り引く必要があります。

よく四柱推命の書籍に、いずれかの柱が空亡しても、干合や刑冲破害していれば空亡が解けるので問題がないといった記述がみられますが、命式はそのような単純な解釈では、本当の部分を正しく読み解けません。ここではこれ以上述べませんが、へなちょこの推命鑑定士を脱するには、書籍の記述に頼るのではなく、自身で多くの命式を実占して、その中から真理を体得するしかないとだけ記しておきます。

一般的に、空亡、干合などが交錯している命式の持ち主の看命は、要注意です。性格も運命も複雑で、吉凶が激しく入れ替わる運命の波の振幅が大きな人が多いからです。

吉野さんの場合も、例外ではなさそうです。さらに彼女の命式には、吉凶星の咸池や囚獄が入っています。これらは、色情、異性との不倫、孤独、無実の罪といったあまり良くない象意を表します。

この壮年の時代をうまく乗り越えることができれば(本人の努力と周囲の人の支え、若干の運)この人にとっての本命星といえる、日柱の印綬の影響が大きくなる中晩年の時期に入っていきます。印綬は母の星であり、学問の星でもあります。

専門的には、この印綬の強さを図る必要があります。さらにもう一つの運命鑑定の大きな要素である、大運(十年運)の推移を解析するのですが、ここでは説明は省略します。
結論として、後半生は本来の自分の進むべき道を見出し、着実に、一歩一歩前に進み、
健康な生活、仕事上の大きな成功、結果として幸せな人生を送ることができたと満足感を得ることができそうです。

吉野裕子さんの命式の解読は如何でしたか。
実は、ご存知のように2022年7月8日(金)に、参議院選挙の応援演説に奈良市の近鉄大和西大寺駅に来ていた安倍晋三元総理が、凶弾に倒れ亡くなりました。

吉野裕子さんは、晩年に自分の学問、研究を進めるためにこの奈良県奈良市の西大寺周辺に転居をしています。

ちょうど吉野さんの命式を調べている時に安倍元総理の訃報に接し大変驚いています。
安倍元総理の命式も、吉野さんと共通する部分があり、(強く自分の信じた道を歩くとか、周囲から誤解を受ける、子宝に恵まれないといった部分)単なる偶然の一致なのか何か共通の要素があるのか、筆者も悩んでいるところです。

 

いずれにしましても、次回吉野裕子さんの中晩年を振り返り、この命式の解読がどの程度当たっているか、調べてみたいと思います。

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。