〇27.孟子の名言『富貴も淫する能わず・・・』
孟子の名言
『富貴(ふうき)も淫(いん)する能(あた)わず
貧賤(ひんせん)も移す能わず
威武(いぶ)も屈する能わず
此れをこれ大丈夫と謂う』
孟子は古代中国、戦国時代の思想家(儒家)です。
彼の著した『孟子』滕文公・下の中に記された言葉です。
[孟子]岩波文庫版
原文は、
「富貴不能淫。
貧賤不能移。
威武不能屈。
此之謂大丈夫。」
縦横家の景春が孟子に問いかけました。
「公孫衍(こうそんえん)や張儀(ちょうぎ)こそは、一たび怒れば諸侯をも動かし、戦を起こすことも可能な優れた者たちです。
彼らこそまことの大丈夫ではないでしょうか」
これに対して孟子は、そのような輩は本当の英雄ではない。彼らは口先だけでおべんちゃらを言う。虎の威を借りる狐のような者、
婦女子のような者たちだと景春の意見を退けます。
そして、本当の優れた人物、尊敬に値する大丈夫(ますらお)とは、次のような人だと景春に諭します。
「大金持ちになっても心をまどわすことがなく、
貧乏をしても志を変えることがない。
権威や武力にも屈することがない。
このような人物を大丈夫という」
「淫」は心をまどわす、「移」は志を変えるという意味です。
人間は、思わぬ大金を得たり、社会的な地位があがったりしただけで、すぐに有頂天になり舞い上がってしまいがちです。
反対に職を失ったり、食べるものにも事欠き、借金を背負うような苦しい場面では、人生の落伍者の気分で卑屈になり縮こまってしまいます。
そして、すぐに自分の状態を誰かと比べて、勝っているとか劣っているとか比較をすることで喜んだり苦しんだりしがちです。
またどこにでもいる乱暴者やいじめっ子、その地域のボス、顔役のような人に、にらまれたり(言葉の暴力も含めて)暴力を振るわれるような場面では、自分の考えを曲げたり、意思に反して相手に従ってしまうことも多いです。
孟子はそんなことじゃいかん、人間たるもの、富貴や貧賤、威武に影響を受けずに自分の志を曲げずに生きろ、と言っているわけです。
この孟子とはどのような人物でしょうか。
孟子の人物像
「孟子」(推定 紀元前372年~289年)は、姓を姫・名は孟軻(もうか)といい、中国戦国時代の儒学者として活躍した人です。
中国戦国時代では、有力諸侯と言われる王の一族や功臣たちが自らを王と称し、それぞれが天下を統一を目論んでいました。
孟子はこの戦国時代において、
「力による富国強兵では人心を掌握できない」と武力や策略を否定し、
「仁愛による王道によってのみ民心を把握し天下を統一できる」と説いていきました。
孟子は後の時代に、儒教において孔孟の教えといわれるくらい、孔子に次いで儒教の基を築いた聖人としてあがめられます。
孟子に関する逸話でよく知られているところでは、
孟母三遷:幼い孟子の勉強がしやすいように母が三回も住むところを変えたことや、
五十歩百歩:敵に敗れて敗走した兵士が五十歩逃げた者が百歩逃げたものを笑ったという話、どちらも代りばえしない例え。といった成句が有名です。
孟子の思想の特徴として取り上げられるのが性善説で、人間は生まれながらにしてその性質は善であるから、教育によってその善性を見えるようにすることが大切である、と説いています。
彼は各地の有力な諸侯を回って、自分の説を説きました。
儒学者としての孟子は非常にプライドが高く、自身を当時の中国の王たちの師匠であり、また王たちから特別待遇されるべき賓客であると考えていました。その尊大さにも問題があったのでしょうか。
戦国の諸侯は、それこそ弱肉強食の食うか食われるかといった生存競争の厳しい時代に生きていました。その中で古代の聖王のように徳による政治、仁義を大事にすることこそ、政治の王道といった論議を説く孟子の説は、なかなか許容することは難しかったのでしょう。
わかっちゃいるけど、理想だけでは飯は食えない、といった感じでしょうか。
結局孔子と同じように孟子もどの諸侯からも受け入れられず、失意の日々を送ることとなります。
そのため、弟子と共に後世に自分の説や、諸侯に説いた教えを残すために編纂したのが、書籍の『孟子』になります。
孔子の論語が、人生の終着駅(七十代でしょうか)が近い中で、やや憂いを含んだ論調で弟子によって記されているのに対し、まだ壮年をすぎたばかり(五十代の頃)で、意気盛んな時に記された孟子の文章には元気があふれているように感じます。
そして特に宋代以降、孟子を高く評価する人物が何人も現れます。
こうして『孟子』は儒教の聖典である四書五経の一つに数えられ、後代の多くの儒家や日本の武士にも多大な影響を与えることになります。
孟子の教えに近づくには
孟子がこの名言を述べたのは、今から2500年以上も前の古代中国です。
「大丈夫」という言葉も元々優れた男子を意味していましたが、今の時代にあわせて性別を関係なしに、ここでは「優れた人物」と解釈を拡げています。
それでは、この孟子の述べた理想的な人物像に近づくにはどのようにしたら良いのでしょうか。
富貴や貧賤に、自分の生き方を左右されない、志を曲げないためには例えば、精神修養をすることも大事でしょう。
このブログでも一部その方法を公開していますが、マインドフルネスを行って、あるいは座禅やその他の心を鍛える修行を行うことも大切でしょう。
威武に屈せず、威しや暴力から身を守るためには、武道など自己防衛の技術を身に付ける必要もあるでしょう。
柔道や空手、少林寺拳法、合気道といった武道(少林寺拳法は武道ではなく修養の法ですが)のうちの少なくとも一つを、
最低二、三年は修行をしてその初歩くらいは身に付けたいものです。
生兵法は大けがの元といいますが、だいたい暴力を振るう人間の多くは理屈が通じない、利く耳を持たない人物が多いですから
そういう暴力から、自己防衛する力は必要でしょう。
いかに正義の道とはいえど、身にふる火の粉は払わにゃならぬ、です。
いずれにしましても、身心を鍛錬し確固たる自己を築くことが、「大丈夫」になる第一歩ではないでしょうか。
自分自身のためにもそうでしょうし、小さなお子さんを持つ親であれば、子供の健やかな成長のために、そういう習い事をさせることも考えてみたいものです。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
最後にもう一度孟子の名言を味わってみましょう。
『富貴も淫する能わず
貧賤も移す能わず
威武も屈する能わず
此れをこれ大丈夫と謂う』