前回の記事で、僕と北海道とのかかわりについて、少し書かせていただきましたが、その中で、自分はいずれ東京の下北沢から北海道の山奥に避難するつもりだ、というようなことを述べたのですが、その理由の一つとして、将来、東京にこのまま住んでいては(東京だけでなく、おおよそ、世界のあらゆる場所がそうですが)、生き残れない、というのがあります。

 

それは、近い未来において、恐るべき不滅の創造主の厳しい裁き、終わりの時が待っているからなのですが、そのことを預言したエレミヤやエゼキエルらの言葉にありますように(その他、イザヤを含むすべての預言者が、それを預言していますが)、その具体例をあげるとしたならば、戦争や疫病、飢餓や獣の害(捕囚。迫害)が起こるからでありまして(いや、現に既に起こっていますが)、そして、そのことを両預言者よりもさらに細密に預言したのがノストラダムスである、というのが歴史的事実であると思うのですが、その彼の預言の大意を理解した、としている二つ年上の兄と僕は、北海道の山奥に約7万坪の土地を購入し、その来るべき日に備えている昨今というわけなのですが(前回の記事をご参照)、今回は、その準備の具体例や、そもそも何故、北海道なのか、という理由を、もう少し詳しくご説明したいと思います。

 

北海道の歴史を自分なりに振り返ってみますと、今日の北海道の、その存在に大きく影響を与えた歴史的経緯とは何かとか、その地理、気候、地層、植生等々とはどんなものであるかとか、いろいろ頭に思い浮かびますが、例えば、大阪の質屋の息子の伝兵衛が、西暦1696年に、江戸に船で向かう途中で嵐に会い、漂流の後、カムチャッカ半島に漂着し、そしてその後、ロシア人に助けられ、モスクワまで行き、ピョートル大帝に謁見し、ロシア初の日本語教師になり、また日本人初のロシア正教徒になった、という出来事が、まず初めに思い出されます。

なんとなれば、それが、今の日本とロシアの外交関係に、大きく影響を与えていると思うからです。

 

1792年に、エカチェリーナ2世の命で、ラクスマンが、伝兵衛と同じく船で漂着の後ロシア人に助けられていた大黒屋光太夫ら三人を根室に連れて来てくれましたが、そしてその時、日本人はロシア人について限られたことしか知りませんでしたが(アイヌからのまた聞き程度の知識)、ロシア人は、その時、既に、日本語を知っていましたし、日本のことも伝兵衛や光太夫らから聞いて、いろいろと調べつくした後でした。

つまり、その時に、既に勝負はあった、ということです。

 

孫子の兵法に、彼(敵)を知り、己を知れば百戦あやうからず、とありますが、その時の日本の対応は非常にまずいもので、ほとんど素性の知らない相手に喧嘩を売るというのですから、困ったもので(現在も、ほぼ同じことの繰り返しですが)、その孫子の言葉の続きには、彼を知らずして己のみを知っていれば一勝一負であり、彼を知らずして己も知らなければ毎戦必ずあやうい、とあり、ロシア人は日本をある程度知っているのに、その時の日本人は、一体ロシアについて何を知っていたというのでしょうか?

 

この時の幕府の指南役は、老中松平定信でしたが、彼は、ロシア人についての狭い知識で接したように思われ(例えば、根室ではなく玄関である長崎で話は聞く、というような態度のことですが、べつに、わざわざ彼らを怒らせなくてもいいのではないか、との問題です。せっかく光太夫を保護した後にここまで連れて来てやったのになんだ、となるのは、当然ではないでしょうか?)、結果として、ロシア人はその後、数々の暴挙を繰り返すようになるのですが(非礼には非礼で応えてやる、というロシア人の策略でしょう)、その後、こじれた関係はさらにややこしくなり、1853年になって、ペリーの黒船の来航の後、ロシアのプチャーチンは、同じ年に長崎にやって来ましたが(アメリカと同じく日本の開国を迫った)、この時は、たぶらかしの名人、川路聖謨がいてくれたので日本はことなきを得ましたが、その後、これらの顛末の尻ぬぐいをさせられることになる勝海舟は、この後始末に非常に難儀したようですが、勿論、才知ある彼のことですから、イギリスを使ってうまくロシアに圧力をかけ、なんとかその場を切り抜けましたが、その後の歴史は多くの人の知るように、助長なので簡略化しますが、戦争だのなんだのといろいろあって、日本の敗戦となり、今日を迎えました。が、結局、これらの話をまとめますと、孫子を繰り返しますが「彼(敵)を知り、己を知れば百戦あやうからず」の教えを思い出すならば、現代の日本人は、どれくらい今のロシアのことを知っている、と言うのでしょうか。今、ロシア人の多くはロシア正教徒になっていますが、その正教について、日本人は、どれほどの知識をもっているのでしょうか。つまり、一体、何人の日本人がギリシア語で聖書を読んでいるのであろうか、という問題に帰結する、ということです。なんとなれば、ロシア語自体が、ギリシア語の影響を強く受けた言語なのですから。

 

そして、はっきりと申しますが、近い将来、いよいよハルマゲドンに突入するでしょうが、少なくともその名称や意義について、また場所等々についてを調べるにあたって、ギリシア語やヘブライ語の知識がなくて、どうしてそれが可能だと言うのでしょうか?

 

ロシア正教の真面目な信徒ならば、日々ギリシア語の聖書には親しんでいるはずであり(勿論、そうせずにロシア語の聖書だけを読む人々を否定はしませんが)、そして、毎日のようにその言語と格闘しているはずであって、その結果、ギリシア語の聖書のネストレ・アーラントの27版や28版を入手して、ああでもないこうでもないとやっているはずであり、今回のウクライナとの抗争が、将来ハルマゲドンに向かっているのか、否か、という重要な問題を検討するにあたって、まずギリシア語の原典にあたらなくてはならない、として、少なくともロシアの首脳部中枢や一般人の中の高度な知識を持つ者たちらは、それをやっているはずなのであり、だからこそ、彼らの発言を注意して聞かなくてはならないのです。

 

そもそも、ギリシア語の新約聖書のネストレだけでなく、旧約聖書のヘブライ語の原典を知るにあたって、ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシアは、必読の書だと思いますが、その書が原本として利用したのは、ロシア国立図書館が保持するレニングラード写本(マソラ本文の書写記録によると作成は1008年)ではなかったでしょうか?

 

メドベージェフ元ロシア大統領は、黙示録の騎士たちは先頭を走っている、というような意味の言葉を発しましたが、その騎士たちの話が登場するヨハネの黙示録をギリシア語の原典で読まなくて、その言葉の意義について何が分かるというのでしょうか?

 

先日亡くなったワグネルのボス・プリゴジンは、白や赤や黒の関係についての声明を書いた過去がありましたが、黙示録の騎士と色の関係について、ギリシア語で検討しないでいて、その発言の重要性の何が分かるというのでしょうか?

 

例をあげればキリがありませんが、要は、知らない者は声高ですが、知っている者は静かに語るのであり、プーチン大統領の演説がそれであり、日本の総理は、カラマーゾフの兄弟等の小説でさえ途中で投げ出す人間だと噂されている人であり、当然、そうなると、ギリシア語やヘブライ語の原典の聖書はもっと投げ出すであろうし、プラトンやアリストテレスやプルタルコスなどは、途中で投げ出すどころか、手に取ったことがあるかどうかさえ怪しい状態と推察しても当然であり、そして、何もそれらのことはべつに彼に限った問題ではなく、日本の国会議員の大部分がそうなのではないか、と疑念が生ずるのであって、だから、アジャパー、ガチョーン、チンチロリンのカックン、だめだこりゃ、の状態と思われるのです。ほとんど絶望的状態で、救いようがない、と考えられる、ということです。

 

そんな、日本全体が政治音痴の中、兄と僕は、大都市やその象徴的存在である東京には早々と見切りを着け、まもなく北海道の原生林の中にある約7万坪の土地に籠城しますが(再び、前回の投稿記事ご参照)、そうなると、残していく皆さんのことが少し心に気になってきます。

 

それで、兄と僕は、あるプランを検討しました。

というのも、その北海道の山奥の原生林の中にある約7万坪の土地は、大きく分けて約4万坪と約3万坪の二つに分かれており、その間の距離は約1キロメートルほど離れているのですが、前回の記事の最後に載せたワサビと湧き水の写真の、そのワサビが自生する湧き水のある土地は、そのうち約3万坪の方の土地であって、残りの約4万坪の方の土地は、自宅として利用する予定がないので、どうにでも使用可能な状態であり、なのでそこをキャンプ場にしよう、そして、そこに未来に不安のある人々が避難できる施設を建設しよう、と考えました。

 

どこにでもあるような(といっても北海道の原生林の中にある、という点に関しては、他の追従を許さない環境にあるキャンプ場ですが)、普通のキャンプ場の営業形態を取る予定であり、そしてその場所にも、けっこうな量の天然水が湧き出る湧き水がありますので、となると、まず水と空気の心配はなく(エドワード・スノーデンが、ケムトレイルはない、と自著に書いたことには驚きましたが)、後は食料と燃料の心配だけ、ということになりますが、少なくとも薪になる木々は豊富にあり、となると後は食料の問題を解決するだけになりますが、それについても前回の記事に少し書きましたが、もし蓄えができなかったとしても、山菜やキノコ、そして、いざとなったら食糧となるかも知れないエゾシカや様々な川魚の生息する場所は熟知していますので、例えば、弓矢とか釣り道具の備えさえあれば、縄文時代の狩猟生活に戻っても、最低、生き残ることはできる、というのが兄と僕の考えの結論です。

 

勿論、そんなことにはならないで欲しいとは思っていますが、とりあえず、兄と僕は、4年分の食料である米や小麦等々の主食だけでなく、いろいろな調味料や嗜好品や缶詰やビン詰、酒類、その他、あれがあったらいいなあ、と思うようなものすべてを蓄えようと計画していますが、またそれだけでなく、畑作業に使う道具や肥料、自家発電装置等々の諸設備など、必要なもののリストは日々増え続けている毎日なのですが、これらのもっと詳しい内容や、その後の顛末等については、今後このブログで少しずつ報告していきたいと思いますので、引き続き、このブログにお越しくだされば幸いです。

 

(それじゃあ、ロシアに近い北海道は、一番危険なのではないのか?とのお声が聞こえて来そうですが、いや、安全である、と兄と僕は結論づけています。その根拠は?と問われれば、それは機密事項である、とお答えしておきますが、秘すれば花、神の秘密は神の誉、というのも、少しはあってもいいのではないか、と考えていますので、適切な時期が来るまでは、すべての戦術、戦略は、今は内緒にしておきたいと思います)。

 

そして、もし最後に付け加える言葉があるとするならば、大事なのは、食料などの備蓄の時期は、早すぎてもだめですし、遅すぎてもだめだ、ということです。

 

なので時を見分ける力(δύναμις・デュナミス)が必要です。

 

何故ならば、

 

 

その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。

(ルカによる福音書21-35)

 

 

アセー・レハー・テヴェト

(断じて造れ、あなたのために、箱舟を)

(創世記6-14)

 

 

ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。

(ルカによる福音書17-26)

 

 

さて、今回も話が少々長くなりました。

最後の最後に、その約7万坪の土地の、約3万坪部分の原生林の写真を貼って終わりにしたいと思います。

これは、兄がNIKON-D7000で、2013年7月11日に撮影したものです。

この場所が、兄と僕が建設する、現代のノアの箱舟の地です。

 

では、皆さん、お元気で。

また来週の木曜日にお会いしましょう。

 

 

北海道の原生林