投稿番号9の記事でも少し触れましたとおり、僕は約27年間の東京生活の後、約5年間の北海道の住民となっていた時期があるのですが、その後、仕事の都合で東京の下北沢へ引っ越すことになり、そこに約7年間住んだ後、今現在は下北沢駅から自転車で15分くらい離れた同じ東京都世田谷区の某地区に住んでいるのですが、そのため、このブログにおいて自分は、世田谷散歩などと称して、趣味で撮影した写真とともに様々な言葉でいわばエッセイみたいなものを綴っている昨今なのですが、今回の記事からは、少々趣向を変えて、その当時(1992年~1997年)の僕の北海道ライフの様子について、北海道の田舎暮らし、山暮らしのあれこれについて、お話したいと思います。

 

ところで、たった5年の滞在で、北海道の何が語れるのだ、とお思いになられる方もいらっしゃるかも知れませんが、自分は1997年の暮れに北海道からバッグ一つで東京の下北沢に引っ越した後も、時々、北海道には帰っており、というのは、自分には二つ年上の兄がいるのですが、その兄は今でも北海道に住んでおり、以前の記事でも少し触れましたが、その兄と僕は二人で、山の中の畑の横にある、離農した農家の跡地の一部を家ごと借りて約3年ほど住んだことがあり(その前の約2年間は人口10万人程度のとある小都市に住んで、北海道の最初の冬を経験しました)、その後、自分だけが東京に戻り、兄はその家に一人でそのまま住み続けたのですが、後々、紆余曲折、いろいろあって、今現在は、兄はその家とは違う別の場所に移動し、今日もその場所に住み続けているのですが、そういう経緯もあって、僕は、その兄の元に、多い時は年に二回、少ない時は数年に一回のペースで、数週間から、数か月間という期間の予定を組んで、自分の仕事の都合がつく時に訪ねていたのです。そのため、北海道については、いろいろと書きたいこと、書くべきことが、自分にはあると思っているのです。それに、別に誰も止めないでしょう(今のところ)から、少しずつデクラス(ラテン語の原義では、明るみに出す)したいと思います。なにしろ、かれこれ、三十年分以上もの、北海道についてのつもる話があるのですから。

 

当時その兄と二人で住んでいたその家は、前述した人口10万人程度のとある小都市から、車で20分程度と、人が比較的多く住んでいる地区からある程度近い場所にはあったのですが、その場所が山の中というのは大げさな表現ではなく、一番近い隣の家まで、砂利道を5kmほど進まなくてならない所にあって、その家の周りには、山や林、畑しかなく、冬などは、公的機関の道路の除雪の順番が一番最後の方でしたので、ひどく雪が積もった時などの後には、車で脱出することができなくなったこともあり、実際に一晩に80センチ程度積もった大雪の後には、3日ほどその場に閉じ込められた経験もあったほどでした。なので、山の中という表現は、ある意味、適格な表現だと思います。

 

そういうわけで、今回からは、しばらくの間、その北海道暮らしの思い出を、北海道の魅力、その存在の必然性などについてを、いろいろと書き連ねて行きたいと思います。

 

というのは、今現在自分は東京の下北沢の近くに行住坐臥している身でありながら、東京はもうだめだ(世界はもっとだめですが)、ここにいては終わりの時に、恐るべき不滅の創造主の厳しい裁きの日に、生き残れない、と思っており、そのために、北海道に活路を見出しているのですが、終わりの時とは、主の怒りの日、憤りの日、報復の日、殺戮の日、かの日、滅びの日、彼らの日のことですが、その日が、偉大な悲しみの預言者エレミヤや、勇猛苛烈な預言者エゼキエルらが言う、戦争、疫病、飢餓、獣の害の時であるとしたならば、日本有数の食糧基地である北海道こそが、人間のほとんど住んでいない大自然の地、原生林や、まだ化学肥料でそれほどくたびれていない畑や牧場が多数残っている北海道こそが、最期の救いの地である、と兄と僕は確信しているということです。

 

そのため、二人は、30年以上にわたって、北海道の現地調査、研究を続けてきたわけですが、例えば、食糧となる山菜やキノコの類が、どこにどれだけ生えているかとか、またいざとなったら食糧となるかも知れないエゾシカなどが、どこに、どれくらい住んでいるかとか、どの川にヤマメやニジマスなどの魚類が溢れているのか、とか、そういうことをずっと調べてきたのです。そして、それをもとにしていろいろと、策を練っている毎日なのです。

 

例えば、北海道には、約二千種の植物が生えているそうですが、そのうち約百種、もしくは約二百種類ほどが食糧となる植物であり、その中にはアカザとかギシギシとかタンポポとか、食べることはできるが味はそこそこだな、という植物が多く存在していますが、特に厳選したそのうちの約二十種は、非常に美味であり、例をあげるとしたならば、ギョウジャニンニクとウドは、生でも食べることができる優秀な植物であって(普通の意味で火を通さずに食することができる山菜は少ないです。無論、無理をすれば何でも食べられますが)、兄と自分は、この二種の山菜を東西両横綱と定めて、これらが、どの場所の、どの辺りに、大量に生えているのであろうか、とか、そういうことをすべて調査し終わっているのです。勿論、本当の意味では、調査に終わりがあるはずがありませんが、肉体には時間の限界がありますので、いったん、終わりにしよう、と兄と僕の間でそう決めました。

 

そのギョウジャニンニクは、ある場所などには、学校の校庭ぐらいの広さ一面に生えているところなどもあり、おそらく1メートル四方の中に最低10本は生えているとすると、その総数はにわかには数えることができないほどです。そういう場所が、よく探せば、北海道にはまだまだ、あちらこちらに残っているのです。無論、その数は限られますが。

 

まあ、そんなこんなで、結局、聖書の預言や、ノストラダムスの終わりの時についての警告を、まじめに信じている兄と僕は、時期が来たら、とある場所に逃げ込もうと、二人で計画して、資金を出し合って、主の年2005年に約7万坪の土地を購入しました。

 

その土地は、某国立公園内にある土地で、周りの森はすべて原生林であって、それこそ大自然の真っただ中にある土地です。

そこに、4年分の食料を備蓄して、籠城戦に入る覚悟です。

 

その物件は、お話してもすぐには信じて頂けないほどの安値で購入しましたが(だから万年貧乏の兄と自分でも買えたのですが)、その方法、経緯等などについても、ゆくゆく、このブログにおいて公開して行きたいと考えています。

この世には、同じ志をもつ者たちが、少なからずいると思っているからです。

 

さて、少々話が長くなりました。

しかし、こういった話が、次回からも続きます。

この話の続きをお知りになりたい方は、また来週の木曜日にこのブログにお越しくだされば幸いです。

 

では、それまで皆さま、ご健勝で。

 

追記。

以下の写真が、その土地の一部を写したものです。

兄が、2013年6月16日に、NIKON-D7000で撮影しました。

このワサビがたくさん生えている場所は、湧き水がある所で、その水温は真冬でも約7度、真夏でも約7度です。

皆さんも、こういった、いざとなった時の避難場所があれば、心から安心できるのではないでしょうか?

では。

 

 

真の救世主いわく、

 

ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。

(ルカによる福音書17-26)