前回、兄と僕の北海道の開拓の話を少ししたのですが、今回の記事は、その話の続きです。

最近、YouTubeの自分向けのアルゴリズムの結果によって、現在の世界情勢の危機的状況を伝えるコンテンツや、人類滅亡を心配する番組や、闇の世界政府がどうのこうのだとか、人口削減が大変だとか、いろいろな非一般的主張の動画を見る機会が増え、まあ一種の日課となっているのですが、そんな番組を数多く見て思うのは、で、結局、どうするの?ということです。

勿論、自給自足をするのだ、いやそれを共同体や村にするのだ、とにかくみんなで集まって協力してこの危機を乗り越えよう、とする一部の、いわばプレッパー的な指向を目指す少数派もいくつかあるようですが、または従来通りの政治的解決、つまりは選挙で自分たちの議員を選出して、国会で多数派を取り、政治を動かし、それで日本の危機を救うのだ、とする純情派も大勢おられることは重々承知していますが、本当にそれらの行動で、これから訪れるであろう世界的危機、ノストラダムスが言う、「宇宙的火災(l'vniuerselle conflagration)」を、安全に乗り越えられると本気で思っているのでしょうか?

そもそも、真の救世主は、「滅びの門は広い」とおっしゃられ、多数派は滅び、逆に「狭き門」を目指す少数派の救いをお告げになられたのですから、この一点をとっても、多数派の勝利によって決まる「民主主義」では、この問題が解決することがないことは、一目瞭然ではないでしょうか?

真に目覚められたお釈迦様は、この世では悪人が多数であり、善人は少ない、とおっしゃいましたが、つまるところは、民主主義とは、多数の悪人が、多数の議員を選出して、「道を決める」というものであり、修羅道や餓鬼道や畜生道であり、今回の選挙でも、その悪人顔の数々を見れば、政治には頼れない、ということは、子供でも分かることではないでしょうか?

一部の勢力は、自分たちは疎開村を作った、米作りや野菜作りもしている、だから安心だ、としているようですが、そんなことで、これから訪れるであろう、「黙示録の獣の支配」、「厳しい不滅の恐るべき神の裁き」を、どうして逃れられると考えているのでしょうか。

 

 

斧は既に木の根元に置かれている。

良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。

           マタイによる福音書 3-10



まあ、そう考えているから、そういうことをしているとは思いますが、兄と僕の危機感は、そんなものではなく、「支配」と「コントロール」、「戦争」「飢餓」「疫病」「捕囚」の「四つの厳しい裁き」、つまりは「終わりの時」は、そんなのん気な、「田舎暮らし」程度の知恵でやり過ごすことができるものではなく、「永遠の神」の、「恐るべき偉大な王」の、つまりは創造主であられる「恐怖の大王」の、「特別な恵み」と「究極の祝福」こそが、最も望まれることだと思うのですが、このブログの少数の読者の方々は、どうお考えでしょうか?

それで、兄と僕は、ただ単に身を守ることよりも重要なこと、つまりは、「信仰」に救いを求めておりまして、日々、「祈り」の生活を送っていますが、と同時に、「人事を尽くす」ということも忘れてはおらず、タイトルにありますように、「北海道避難所建設計画」、「生き残り計画」は、続けておりまして、前回の記事ではその開拓地の一部の写真をお見せしましたが、その土地は、標高400メートルほどの高さにある山間の小さな盆地みたいな所で、北海道の山間地といえば、農作物の冷害のことを考えれば、避難場所としては避けるべき所だと思われますが、盆地効果、というものがあり、それは、その盆地の底に滞留する空気は日光によって温まりやすく、なので朝晩の冷え込みを除けば、日中は作物を育てるのに十分な温度があり、それで、兄と僕はそこに畑を新たに開拓して、いろいろな作物の栽培実験をしたのですが、麦や蕎麦だけでなく、夏野菜であるトマトやナス、キュウリなども露地栽培で十分育ち、これならば種さえ確保しておけば、保存用の米や缶詰、瓶詰だけでなく、新鮮な野菜も食べることができるな、と喜んだのですが、またニワトリを飼い、湧き水から水を引いて池をつくり、そこにヤマメやニジマスを飼育する予定ですので、多少のタンパク源も確保でき、そのための準備作業、これが現在の重要な日課となっています。

とは言っても、現在、僕は東京の世田谷区の某所に住んでおり、それは仕事のため(金のため)に仕方なくそうしているのですが、兄は現地に一人留まっており、それは開拓の荒行のようなものであり、そのおかげで、僕はそのおこぼれに預かれ、ああ、やっぱり次男坊は楽だな、と再確認していますが、それは長男の大変さでもあり、カインとアベルの頃からの問題であり、長子の権利を軽んじたエサウと、それを尊重したヤコブの双子の兄弟の争いの結果であり、これから起こるであろう、ハル・メギドの戦い(ハルマゲドン)、イスラエル(ヤコブ)最後の戦い、ユダヤ最後の戦い、の究極の秘密であり、それが人類の帰趨を決めると思いますので、兄と僕は、引き続き、北海道避難所建設計画、は、石に噛り付いても実行していきたいと思います。

 

そして、その結果を、このブログでご報告していきたいと思いますので、どうぞ、よろしくお願いします。

では、来週の木曜日に、またお会いしましょう。

 

 

以下に、その避難場所の写真を8枚貼ります。

 

 

↓主の年2008年に、兄が行った栽培実験。

 

 

↓その実験で育った野菜を、兄がクール宅急便で東京の僕に送ってくれました。無農薬、無化学肥料で育てることは当然ですが、自然栽培の野菜は、上善如水で、どうしてもその味が淡泊ですので、途中から、出汁とりで出たかつお節や煮干しなどを畑に入れ、味を改良してくれました。美味かったです。

 

 

↓ズッキーニは、育てようと思えば、大人の足の膝から下ぐらいの大きさまで栽培可能ですが、これくらいの大きさが、柔らかくて、炒めればトロっとなって、旨いと思います。オリーブオイルで炒めて、味付けは、味塩コショウと醤油だけ。

 

 

↓ある日の兄の夕食の野菜。右の皿の上の緑の野菜の多い方は、ツルムラサキ。兄はこれのかつお節醤油が好きだ、と言っています。流れている水は、夏も冬も摂氏7度の湧き水。ポンプで汲み上げています。やっぱり、水が大事。

 

 

↓野菜の越冬実験もやりました。北海道のこの場所は、冬はマイナス25度、もしくはひどく冷えた晩はマイナス30度まで下がりますが、雪の布団に守られて、ここに写っているキャベツだけでなく、大根、ニンジン、ほうれん草など、なんでも越冬できます。それを春に掘り起こして食すれば、甘味が増していて、ウマー(兄の感想)。

 

 

↓野菜だけでなく、山菜も敷地にたくさん生えています。これは、ギョウジャニンニク。やっぱり、北海道の山菜は、これに始まって、これに終わりますが、ウドも、採れたての根の白い部分を味噌をつけて食べれば、これまた至福。

 

 

↓湧き水。この周辺には、野生のワサビがたくさん生えています。根っこをすりおろして食すれば、辛味と共に、甘味も感じます。茎や葉っぱは、おひたしですね。

 

 

↓敷地の横の某一級河川。右の河原は、プライベートビーチならぬ、プライベートリバーサイド。ここで僕の彼女は、初めてルアー釣りをして、ニジマスを三匹釣りました。僕は、ボウズだったのに・・・。

 

では、また来週。