ウチの近所にお菓子やパンの冷凍生地を売っているお店がある。
解凍してオーブンで焼くだけだからとてもお手軽だし
子供達がクロワッサンやパンオショコラ、チョコレートクッキーを気に入っているからウチはこの2年ほどいわゆる常連。
焼くのは私のお仕事。
でも私は気づいていた。
バターが使われてない。
使われているのはマーガリンだ。
マーガリンの後味や体の調子が悪くなる感じが嫌い。
だから私自身は手を付けない。

そうこうしてこの前作って余ったクロワッサン一個。

実験してみようと思って室温に置いて放置した。
3週間以上経過して

。。。。腐らねぇ。。。。

。。。。カビが生えねぇ。。。

。。。。いまだにほんのり柔らかい、つまり乾燥もしない(ヨハネスは乾燥がすごいのに)。。。


そういえば冷蔵庫に置いて実験したスーパーの食パンも一ヶ月経ってもカビが生えずに柔らかいままだった。
パン屋さんのパンはちゃんとカビて乾燥するのに。
そういう事でウチはもうパンはパン屋さんでしか買わない。

今後もう冷凍生地屋さんへ足を運ぶ事もないかな。。。



腐らないものは、もう食べ物じゃないよ!!!

そういえばマーガリンはプラスチックのような化学成分を持っていると聞いた事がある。
プラスチックなんて食べていいもんだっけ???

やっぱり食べるなら
ちゃんとした「食べ物」を食べようよ。
「食べ物みたいなもの」じゃなくて。

ちゃんとした食べ物は、(いずれ)ちゃんと腐るんだよ。
(でも腐ったものを食べてもイケマセン)

”いずれ腐るものは体にいいけれど、いつまでも腐らないものは体に悪い”



$カバラ タロット作家の折衷的随筆集
。。。カバラ的この世の始まりのストーリー。
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その昔世界には何もなく
輝く「光」と光りを受け反射する「器」があって
世界はただただ光りで満ちていた。
光はその輝きを与えることで満たされ
器は与えられることで満たされていた。

いつしか器は
自らも与える存在になりたいと願うようになった。

与えるべき存在である光は戸惑った

離れたら暗闇になってしまう。
愛する者を暗闇に置き去りにすることを想うと
「光」は悲しく辛くなった。

けれども器の自立を尊重すべく
光は引き裂かれる思いで自分と器の間に光が届かないよう厚いヴェールを掲げ
器が自らの力で光を作り出し確認できるよう世界を真っ暗闇にした

器と呼ばれていたエネルギーは爆発し光を作り出した上に凝縮して物質という形を持つようになった

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与えられるだけだった存在が
与えたい、自ら輝きたいと願うようになったことがこの世の始まり。
その心は人間の精神にも反映されている。

だけど難しいよね。
もともと与えられることで満たされていた存在だから
いまでも与えられる側でいたいと願ってしまうよね。

でも与えたい、輝きたいと願うからこそ
今の私たちの存在があるんだから
矛盾してくるんだよ。

つまり常に人は与えられたい気持ちと与えたい気持ちの間で葛藤を感じ悩むのだと思う。

例えばさ、
「感謝されたい」という気持ちは
与えたい気持ちの裏返しなのか、それとも与えられたい気持ちなの??

上記のカバラ的世界の始まりのお話における光の存在はいわゆる「神」の存在。
与えるだけ
ただひたすら与えるだけ
そして見守る
ひたすらじっと見守る
それこそ愛、だと思う
だから神は愛で、愛は神だといわれるのかも知れない。

私たちはそう生まれついていない。
持って生まれているのはそうなりたいと願う心。

全く見返りを期待せずに
相手を思いやるだけの気持ちで行動できる?
そうなれたらいいと思うけど、難しい。
でも見返りを期待して感謝されたいと思う気持ちが大人気ないことも知っている。
だから自分を正当化して「でも感謝されて当たり前でしょ!!!」とかって逆ギレすることもある。
与えたいから与えるんじゃなくて、対価が欲しくて与えるならば本末転倒劇なのにね。

人はどうしても「感謝されたい」「認められたい」「理解されたい」という願いを持ち、「与えられる」ことに執着してしまう。

毎日の生活で
「感謝されない!!」「解ってもらえない!!!」と憤ることってあると思う。
私もあるな~
その度に「あ~自分って小っちゃい小っちゃい」って思うんだ。
イライラするのも苦しい。
そんな気持ちに罪悪感を感じるのも苦しい
往々にして自分を苦しめるのは自分だと、その都度確認させられる。

人間だから仕方ないって?
うん、でも人間の存在の起原が「与えたい」と思う心だと考えると。。。
考えさせられる。

もっと心を自由に楽にしてやりたいな~って。。。


タロット、13枚目のカード、「逆さの男」 “The hanged man".
現在の水瓶座の時代の「逆さの男」は自己犠牲のを表すのではなく光の中から積極的に暗闇にダイブしている。すなわち困難は自己発展のためだと認識し感謝する気持ち、そして人生に対する信頼の気持ちを説く。


カシオピアのEnlightenment Tarotより。

$カバラ タロット作家の折衷的随筆集



武道・武術、好き。
でもいままで学んできたところ必ず1~2年で引っ越したり道場が遠くになってしまったり仕事が殺人的に忙しくなったりで辞めざるを得ない状況が続き
3年以上続いたところがない

もう歳が歳なので
若い頃のようにキックもパンチも最強の戦士になりたいなんぞとは思わんが
それでもなんらかの形で武道家にはなりたい。。。とは思ってる。

ヨハネスブルグでの生活が少し落ち着いてから
以前から目をつけていた中国武術の道場に通うようになった。

初めてからショックだったのは
それまで学んできたことが全然思い出せずに
なんかもう本当に初心者の状態になって
「自分、バカバカ、自己練してこなかったなんて!!いままでの時間と労力すごい無駄にした。。。!!!」。。と自分にがっかりした。

もうがっかりしてどん底落ちたらあとは昇るだけだから
とりあえずコツコツとお稽古に励んできた

先週師範がひどい風邪でお休みせざるを得なくなり
偶然私が一番の先輩となり後輩に教えることになってしまった
その状況をどうやら見ていた他の





タロット、76枚目のカード、「ディスクの8、慎重さ」 “10 of Disk, Prudence".
別名「弟子・見習い」カードとも言われ勤勉さを表す
カシオピアのEnlightenment Tarotより。

$カバラ タロット作家の折衷的随筆集
「え、そんなん絶対無理やに。ありえへん」。。。と言われた、
未来に不安や怖れなど抱くことを知らなかった中学3年生の春。
「いつかな~外国行ってずっとそっちに住むんや~」と何の気無しに言ってしまった事に対する親友からの返答。

お互い「何を根拠に。。。」と思ったんじゃないかな。
今考えると私の方が根拠なかったとは思うけどね。
だって彼女は言ったもん「そらな、留学程度ならわかるけど海外移住する人ってそんなにおらへんやん」
今考えるとそっちの方が正論なんだ
でも当時の私は海外移住をする私の運命を信じて疑わなかったんだ

その後2年もしないうちに私は本当に外国へ飛び出す事になってしまい
現在も海外在住中のアラフォー(というか、もうアラウンドじゃなくてまんまフォーティーですが)の今
(言っとくけど海外生活なんていい事だらけでは無いですからね。
夢は叶えたら叶えたでちゃんとそこには学びと試練と責任が伴いますからね)


周囲にいない?
否定してくる人
ダメだしする人。

や~、気にしちゃダメだな。
真に受けちゃダメだな。

だって結局のところ
その人はその人自身の価値観に基づいて話をしているんだからね


「無理だよ、できないよ」。。。と誰かが言う時は
「(私には)無理だよ、(私は一緒には)できないよ」という意味で
「(あなたには)無理だよ、(あなたには)できないよ」という意味ではない。


だから「無理だよ」と言われたら
「そっかーあなたと一緒には頑張れないんだね~」と受け流して
否定されたと思って傷付く必要はない

人は人、
自分は自分

やってみなくちゃ分かんないもんね

他人よりも
自分の事を信じないと。


タロット、19枚目のカード、「星」 "The Star".
夢を叶える道のりの素晴らしさ、そして進むべき道の方向の兆し

カシオピアのEnlightenment Tarotより。


$カバラ タロット作家の折衷的随筆集




幽霊はいると思う? ブログネタ:幽霊はいると思う? 参加中

私はいる派!




例えば、
ウマが合うという感覚や
笑顔で挨拶するけれど気が合わないことを感じ取ってしまうこと、
そして相手の顔を直接見てないのにメールで感じる気持ちなど。。。
生物の発するエネルギーは五感で感じる以上に脳で情報としてプロセスされているんだと思う。

人の想いや思考のエネルギーは強い。
物理的な証拠などなくてもなんとなくその人の心がわかってしまうことがあるほどに強い。
あるいは、脳波は電磁波のようにはっきりと物理的影響を及ぼすものなのかもしれない

そして亡くなられた方々の生前の脳波的エネルギーも残像思念としてこの世に残ってしまったりすることがあるのかもしれない。そんなエネルギーを感じ取ると「霊」として認識されるのじゃないのかな。。。


いわゆる心霊体験なんかは経験してるけど
私の知り得る科学によって私自身が物理的に説明ができないというだけで
現実に起こり得ないことは絶対に起こらないんだから
説明出来ないことが起こっても不思議ではないんだと思う。
それは論理的に理解できるけど
感情的には超怖い。

だから霊を信じているとか本当にいるかどうかの話じゃなくて、
論理だの合理性だの超越して、
霊の存在や心霊現象には真剣に敬意を持ってる
敬意ゆえ、遊び半分には近づかない

目では見えないものが視えてしまう人がいることも理解している
そしてそういった能力を世のため人のために使う人たちに対しても心からの敬意を払う
自分の存在の意義を見出している人達だと思うから

でもただ見えるだけで「自分はすごい」って騒ぐ人達や「取り憑かれてて多重人格になちゃって困っちゃう~」とか言っている人達には興味ない。
私自身が立ち入って安全な領域じゃないと思うし、
生まれ持った特技やスキルや才能や「他人と違う所」は人様の役に立たせてナンボのもんだと思うから
その人なりの建設的で健全な道を見つけてもらいたいと思ってしまう。。。上から目線の親心で申し訳ないけど。



顕在意識を超えた「違う現実世界」と深淵な潜在意識と無意識の領域とのコンタクトを表す
タロット、3枚目のカード、「女司祭師」 "The High Priestess".




カシオピアのEnlightenment Tarotより。




$カバラ タロット作家の折衷的随筆集






































あと3日
あと3日で長かったような短かったような心理学修士号のレクチャーと課題が終わる
(3ヶ月休暇を取ってからその後9ヶ月の修士論文プログラムが残ってるけど。でもまぁ論文は今までの締め切り週2回もあるレポート地獄じゃないから)

なんかもう他の事あんまりできなかったよ~~この2年!
全く絵を描く時間なくなったしさ。。。
でもでもせめてタロットを出版できたのは良かった
ああ、あれは本当良かった。。。
カシオピアのタロットをお求めくださった皆様どうもありがとうございました!!!!
(まだ在庫ありますので「見逃してた!」という方はどうぞご連絡ください)

この2年、学んだ事は多かった
何しろ勉強しながら自分を見つめる機会になった事は大きなプラスだった
心が楽になる生き方と考え方を学ぶ事ができた

こちらは普通の人間なので
喜怒哀楽以外にも様々な感情があるわけ
心が痛くなったり苦しくなったりする事や不安を感じる事だってある
言葉で表せる限りの人としての負の感情がどういうものか体験で知っている
それは人として当たりまえ

そしてね
以前「完璧でなければカウンセラーなんかできない」と思っていた節があるんだけど
そもそも「完璧」って何だよ、って話だし
痛みも苦しみも不安も知らない人間が他人の話を聞けんのかよ、と思い至るにあたり
うん、フツーの人としての自分でいい、と思えるようになった

でも嫌な気分になる感情や思考を対処できる方法は知らなきゃカウンセラーになんてなれないさ
感情や思考がなんであろうと関係ない
大切なのはネガティブな要素に対する処置法
それはまぁ言うなればメンタルな技術
そんな技術を学ぶ事ができて良かった
例えば
ネガティブを拒否して無理してポジティブになろうとしても無理。。。だとか
嫌な事や不安は直面してみる事。。。だとか
自分の感情と思考ははたして現実的で合理的で適正かと評価してみる。。。だとか
ありのままの自分を受け入れる。。。だとか
感情と思考を他人事のように客観的に淡々と認めてみる。。。だとかね

当たり前っちゃ当たり前のことばかりなんだけど。。。
でも人って嫌な気持ちはまず拒絶して否定しようとしちゃうんだよね

負の感情や感覚を知っているからこそ実践できるメソッドは
あぁ、効くなぁ。。としみじみ感じる
今まで辛いことや傷つくこといろいろあったけど
そのおかげで学びも深いなぁと感慨を抱く

私自身が学んだ事を人に伝えていければ嬉しいな


「学ぶ」という概念のタロットカードはいろいろあるけれど
今回はちょっと視点を変えてあえて「学ぶ」キーワードではないカードを選んでみる
タロット、16枚目のカード、「悪魔」 "The Devil".
正位置だと加害者と被害者というのは全くバラバラに存在するのではなく同じエネルギーのスパイラルにおいて相互に補完するもの。。という意味を持つ。あるいは悪い習慣へ対する中毒という意味もある。
逆位置ならそういうことから抜け出すことを指す。

ずっと自分が傷ついたと思うことを理由に人を傷つけるという悪循環に囚われてたと思う。今は抜け出したって気持ちが強い。

カシオピアのEnlightenment Tarotより。


$カバラ タロット作家の折衷的随筆集


















昔、ビッチだった。。。
軽薄な人間だったと、思う
いろいろとどうでもよかった
本当に大切なものの意味なんて知らなかったと思う

今は誰かを、そして人生を大切にすることを知った
自分にとって害になるひとをわざわざそばに置き、そして相互に傷つけあうようなこともしなくなった


昔の私を知っている人が
私が今カウンセラー兼ヒーラーとしての準備をしていると知ったら
「ケッ、おめーが?」「え、あんたが?」と批判するんだろうか
それとも
「人間って変わるんだな」と思ってもらえるんだろうかと、あつかましくも考える自分がいる

過去の人達から認めてもらうために今の道を進んでいる訳じゃぁないから
私を過去のまんまの人間だと思いたい人は思えばいいんだけどね。



今までの生き方を見直して内面的変化を起こし人生を変えてしまった人達の話を聞くと
感銘と感激をうける

性格も生き方も考え方も如いては記憶だって
変えようと思えば変えられる
良くも悪くも決まった「自分」なんてない

タロットでも心理学でも
根本的に説いているものは「変化」


だから私にだって変わる権利と義務が、ある。




タロット、15枚目のカード、「芸術」 "Art".
経験を通じて常に自分自身を変化させる。意志の力で肉体と精神が宇宙と調和するよう洗練させていく様はまさにアート。

カシオピアのEnlightenment Tarotより。

*ちなみにね、ちなみに、去年カシオピアのタロットを購入していただいた方々にお知らせしないといけないことがあります。。。この「芸術」のカード、Atu-14なので、本来はAtu XIVとなっていなければいけないのに、私のミスでAtu IVとなってXが抜けてしまっています。
申し訳ないのですが色鉛筆ででもなんでもいいので「X」を足してやってくださいませ。。。。本当にごめんなさい!!!あせる

$カバラ タロット作家の折衷的随筆集

人生の意味なんて無い
人は究極ひとり

。。。なんて書いちゃうとどんだけネガティブ?!と非難されそうだけど
本当に理解したときに心が自由になる

人生の意味って「在る」から「見つける」ものじゃなくて
「無い」からこそ「創る」もの

人はみな誰でも究極ひとりだと悟れば
他人から心を満たしてもらおうとする必要がなくなる
誰だって「認められたい」って欲求あるよね。
でも外部から認められたいって気持ちはいつまでたっても満たされないんだよね
だからこそ自分を認める心は自分の中で創っていくもの。
自分を信じてもいいんだ、信じるべきなんだと理解できたら
自分らしい人生がおくれる
あれ、何にこだわっていたんだっけ???って目からウロコ落ちちゃう

自分は一人だと悟る事は
寂しくなる事ではない
他人を切り捨てることでもない
正しい意味で自分を人生の中心に据えて
自分を大切にすること

堂々と自分のやりたい事してみちゃおう
誰かが「そんなこと出来ないよ」って言ったら
それはさ、その人が「一緒にはできない」と言う意味で
私にはできないという意味じゃない

人それぞれの心の中に「内なる子供」がいる
無邪気で
天真爛漫で
とんでもなく創造力が豊かで
何事にも囚われず
怖れを知らず
変化をためらわない
子供のような自分がいる

そんな自分と波長合わせて
大切にしてあげたい。。。という意味のあるカード

タロット、21枚目「永劫」 "The Aeon".

カシオピアのEnlightenment Tarotより。




$カバラ タロット作家の折衷的随筆集
前回の記事で「修験者だの尼さんだの修道女になりたかった」と書いた。

んで、どうなったんだよ!と思っていらっしゃる方もいらっしゃるかもしれないんで 追記。

結局はどれにもなってないんだよ。
修験者だの尼さんだの修道女になってたら
きっと当時の私にとっての人生の試練にはならなかったんじゃないかなと思ってる

「なんの為に修験道門下へ入りたいの」と聞かれ
答えを考えている間に時間は過ぎ
伴侶に出会い
海外移住することになり
血は繋がってないけど家族ができて
そして気が付いた。
これ、この「家族」ってやつ、ハンパ無く大変。。。
なぜなら私は愛される事も愛する事もよく解らない
家族愛というものが根本的に解らない。。。いや、それとも信用していないのか。。。

心理学的に言うと
幼少時代に里子に出されその後実の親と折り合いがあわずに16歳早々で海外に出て
ホストファミリー先でも自分の居場所を感じられなかった事に起因するんだろうと思う。

どこにいても何をしてても居心地の悪さを感じてた
そんな事を感じるぐらいなら何も感じない方がいいと思ってた
エゴも執着も無くして生きる事って、自分の人生を簡単にする事だと思うから。
だからスピリチャルでも宗教でもなんでもいいから
自分を捨てて生きたいと子供の頃から思っていたんだと思う

でもれって「逃げ」なのかも。。と思うようになった

だってスピリチャルな視点でみると
そういう人生のシナリオを産まれてくる前に自分のスピリットが自分の為に書いた事も信じられる。
愛に対する信頼を皆無にするような試練をあえて与え
それを乗り越えて自分の力で愛を理解する人生を造り上げることを目指したと、感覚的に理解している自分もいる

「自分の家族」ができて
さすがに「ここで自分が欠けるようになったらこの人達に与える精神的ダメージは小さくないだろう」と感じる事が出来るようになって
愛と信頼の有り難さと重さを実感するようになった

頼られるのも優しくされるのも愛されるのも怖い
でも頼られたいし優しくされたいし愛されたい
何より頼る事を学びたいし恐れる事なく愛したい

人とはちょっと離れた距離での関係を持つなら問題ない
でもすごく近くなると怖くなった
きっとそこが自分のリミットだったんだと思う

自分の心にブロックがあったら
どんな道に進んでも行き止まりにあっただろうと思う

将来的に修験者だの尼さんでの修道女だのになるかどうかは解らない
目指してはないけれど諦めた訳でもない
人生の節々で適切な試練と学びがあるからね

今はとりあえず毎日変哲も無い家族との生活を着々と営みながら
愛と信頼について学び
自分の中に揺らぎ無い愛と信頼がある事を認められるほど成長することが今の状況の意味だと思ってる

誰かと一緒で無かったらきっと自己欺瞞でいっぱいになってた。
一番自分に必要な事だと感じている

やっぱりいろいろとバランスが大切だね、ということで均衡を表す「調整」のカード

カシオピアのオリジナルタロットEnlightenment Tarotより。

ちょっと若い頃、修験者だの尼さんだの修道女になりたかった。
実際に行ったんだ、日本にいた時、修験道の門叩きに。
そしたら
「なんの為に」と聞かれて答えられなかった
上手く説明ができずとりあえず考えてみる事にした。

自分なりの答えが出てきたのは最近になって。
究極の答えは
「目的はありません」なんだ。

なんというかね、
心が魅かれる何かというのは
命と同じようなもん。

命というのは
とりあえず産まれてあとは死ぬだけが運命でしょう
だからといって、どうせ死ぬんだからと近道して、もう死んじゃってもいいやと命を粗末にすることは間違っているでしょう

産まれてから命が終わるまでに何の目的があるのかなんて解らない(何を信じるかは人の勝手だけど)
生きてみて、経験積んで、手がけてみて、体験してみてようやく
自分が生きていると言う実感を得る事ができる。

それは
最初から何かの為に、と決めるよりも
とりあえずやってみる、とりあえず生きてみるという本能や
やってみないと解らないという楽観的なものの見方を反映している。

時としてやる事なす事全てに目的がなければいけないことはないんだ。
心が魅かれている事があるならそれで全て。
そこに論理は無いだろう。
でもそれでいい。
だからこそそれがいい。

タロットでいうと一番最初のカード、「愚か者」 "The Fool".


カシオピアのEnlightenment Tarotより。