心のSOSに気付いた時の突破口 | 傷だらけの人生を愛ある人生にする。

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【3児の母×シンママ×心理カウンセラー】親子関係、夫婦関係、鬱、モラハラDV/傷だらけで孤独な人生から繋がりを取り戻しすための取説。





どーもこんばんは、心理カウンセラーの奈美です。







鬱や死に関する内容が含まれるので、心がざわつく人は見ない方がいいかもです。


少し鬱な気分になってしまったので、まぁそういう時もあるわな〜カウンセラーも人間だもの〜

内科医も風邪ひくし外科医も怪我するし、そんなもんよね〜



っていう気持ちで見てください。





鬱は心の風邪って言われてるくらい、誰でもなり得るし、風邪ひいた時にわかるように、私にとっては鬱も、なりかけた時もなった時もわかるくらい、定期的にあるもの。
(鬱は20年以上の付き合い)


そしてこれがあっても、ケアさえしときゃ、幸せに暮らせるもの。

鬱状態になることもあるけど、イキイキと活動して、人を救ってるカウンセラーさんも知ってるから、ものすごい希望になる。




鬱にも色々ある。
非定型うつ病っていうのがあって、人前では明るく振る舞えたり、楽しいことには積極的だけど、家に帰ると気分が落ちたり。
ずっと落ち込むわけではなくて、ストレスのかかる環境にいる時だけ鬱症状が出る、みたいな。

最近の研究でわかってきたものらしくて、この鬱の場合、ほんっっっまにわかりにくいし、誤解されやすいよね。


『死にたい』
ってときと
『楽しい!』
ってときが、どっちもあるというか。



精神科と、私たちがやっているようなカウンセリング、どちらがいいか?を聞かれたことがあったのね。

私がどちらの経験もあるから。


個人的に、自分で自分のことと向き合う気力があるなら、カウンセリングでもいいと思う。ゆっくり、決まった時間も確保できるしね!
私たちは善悪で判断はしないし、誰にも言えないようなことでも受け止めて、共感して、寄り添って、クライアントさん本来の輝きを取り戻すために一緒に悩んで、提案をする存在、だしね。話すだけでスッキリするパターンもあるしね。


すぐどうにかしたい、自分で向き合う気力もない、身体の異変が続いてて辛いってときは、精神科の方がいいかもしれない。投薬してもらえるからね。(薬物依存には注意)
もちろん、投薬なしで、心が楽になるとともに体も楽になる場合もあるけどね。
少し楽になった後にカウンセリング、もありだと思う。もちろん医師の指示によりけり。酷くなったら本人がたいへんだからね。




まぁ鬱『病』だろうと、鬱『状態』だろうと、なんとかしようと相談しに行く時点でもう、いい方向に向かってることには間違いない。


自分を責めたくなる時、苦しい時は、誰かに受け止めてもらいながら。


ほんと、1人で受け止めきれないとき、最悪身体にまで異変が起こるし、めちゃくちゃ苦しいんやもん。



どういう時に苦しくなるのか、どうなった時そろそろやばいのか、把握できそうならしとくのも大事やね。
私の場合わかりやすく生活スタイルが変わるのよね。


もちろん気持ちの面も変わる
『人生めんどくせぇなぁw』ってなってくる。


(でも自分でそれがわかってるから、苦しんだあとは徐々に戻ってこれるし、希望を思い出せる)


自分に余裕がないときにどうなってるか、ポイントがあったら覚えておくと手遅れにならずに済むかも。
私も気付かんことはあるけどね、例えば余裕がない時ってなぜか私はホラーゲーム実況を見がちw

こっちとしてはただ見たいだけ、のつもり。

でも思い返すと単発ではなく毎日連続で見てることが多かった。
そういうの見て余計に暗い気持ちになる悪循環を生んでた。


(鬱の人は暗い色を好むって言うけどそういうのに近いのかも)




鬱は心の骨折とかも言うらしい、確かに、急にポキッと心が折れることはある。
普段から自分の気持ちに耳を傾けることはぜひ意識して欲しいことやね。

疲労骨折というか、じわじわと蓄積されたダメージに気付かずに折れてしまうこともあるから。




鬱や希死念慮(自殺願望)に否定的な人は、『鬱は甘え』だとか言うらしいけど、逆なんよね。
甘え足りないからなるパターンがある。

頑張り過ぎたからなるパターンもある。
だから私はそういう時に『頑張れ』なんて言われると、何とも言えない気持ちになる。
こんなに頑張ってきたのにまだ頑張るのか?って。


だから私はあまり人に頑張れって言わないようにしてる。
話の流れ的に言う時はあるけども。

みんな頑張ってるから頑張る、ってこともしないしススメない。

みんな頑張ってる、あんたも頑張ってる、ただただみんな偉い、あんたも偉い。あたしも偉い。


人を頼ることを『頑張る』ことは必要な時はある。
甘えてみることを頑張るねん。甘え足りんねんから。


風邪でも怪我でも、しんどい中『頑張って』受診するから、早く治せるしね。


私たちも、相談してもらえないと、力になってあげられないしね。




でも、人を助けを求めること事態が苦痛やったりするんよね。
1人で頑張れない自分を許せないから。
もう頑張れない自分を認めるくらいなら、1人でやる。
人に頼るくらいなら、迷惑をかけるくらいなら、1人でやる。


もしそういう人が頼ってくれたら
『よく頼ってくれたね、頑張ったね』
って言ってあげたい。

だから私はいつもこうなった時は、自分に言おうって決めてるし、友達や大切な人たちにも同じことを思う。



何個か前の記事で、適度に甘えんと鬱になるで!!って書いたけど、またもやブーメラン🪃w


甘え足りんかったようだわ、私。
年末に電車出意識失う前からすでにおかしかったこと、見て見ぬふりしてたもん。


でもこのタイミングで親は光熱で体調不良。


正直行き詰まってた。


やなこと思い付いてしまってしかも腑に落ちちゃったから認めざるを得ないんやけどさぁ〜


元旦那を頼る。

しかないんかぁ…って。



死ぬほど嫌なんだけど。www

ていうか、1年以上育児実績のない父親に子供を預けるって、不安しかないんだけど。



離婚したら自立は強まるもの、って教えて頂いたけど、確かにそうで、元旦那に頼るとかまじで無理!になってた、いつの間にか。

1人でできひんとか思われたくない!
そんな自分認めたくない!って。 


(これこそ行き過ぎた自立)



ていうか、私が結婚生活中に何度か鬱になった時にちゃんと助けて貰えたこともない。
元旦那は自分のせいって罪悪感感じてたからやろうけどね。
しらんけど。危機感薄すぎやねん!って、今更怒る。w

だからこそ、頼るのが嫌なのは、怖いからなのよね。


しかも今はもう離婚してる。


頼るのは同じ子供を持つ親として。でも、もう離婚してんのに、って思ってしまう自分もおる。

このままじゃまともに育児できずに子供に支障が出るとはいえ、1人で育てることを選んだのは私でもあるから。



でも、無理な時は無理、でええわな、って。


さっき、スマホメモに自分の思いを吐き出してたところで、それで少しはスッキリはしたけど、体の方は追いついてない。

どれだけ寝ても常に眠いw
生活スタイルから見直し、やね。



電車で意識失った時も、彼に頼って気持ちは元気にはなった、女としての私は救われた。


けど、母親としての私は、やはりしんどいままだった。

彼はじゅうぶんベストを尽くしてくれたしそこに不満は何もないけど、お弟子仲間がいいアドバイスをくれたのよね、私のブログを読んで。



色んなことを一気にどうにかしようとしてない?って。

女として甘えられるのは彼で良くても、母親として甘えられる人はまた別やんな…って思ったのね。


それが私にとっては自分の母親だなと思ったんだけど、このタイミングで高熱の母…正月に実家にも帰れなかったのよ。
しゃーないけどね、ほんまに。



でも、ベストなことしか起こらないとしたら、私にとってなんの意味があってこの現実が起こってるのか?


益々、元旦那を頼れってことなのか??って…

ほんまに嫌やわぁ…w






って感じで、やっぱり行き詰まった時は死ぬほど嫌なことをするしかないかもしれない!実は自分を楽にするかもしれないよ、という例でした☆(逃



でもほんと、あ〜こうした方が良かったのか…って気付いただけでも、少し楽になったんよね。


元旦那を頼るなんて、発想になかったもん。

いざとなれば頼りゃええか、ってわかっただけで楽。
あっちが応えるかどうかは別として。

どうなろうと、ちゃんとSOSを出せた自分はすごいんやから、褒めるし。



ただ、ほんまにもう苦しすぎてどうにもならん時は、ただ休んでおくれ、みんな。



頑張れない自分を責めてしまわんように、何とかしなきゃ!とか思わんでいいし、『ただ自分は今しんどいんだな』って思っとくだけで、休むだけでいいと思うのね。


私みたいに、1人で子供育ててる人なんかは、休む暇もないと思うけど。

ほんまにいつもよく頑張ってる、お疲れ様。(私も)


子育てなんて、本来1人で出来るわけないんやもん、だから助けを求める勇気は出して欲しいよね。
余裕のなさから、虐待につながったり、母子心中になることもあるんやから。
(過去にそういう気持ちが芽生えたことがある身として忠告)



これが、自分がより良くなるために必要なことか…って思うのも、そう思えるだけの余裕が私に戻ってきたからってだけで、本当に余裕がなかった朝方までは、そんな風に思えなかったからね。


でも、またイキイキとした自分に戻れることは知ってる、何度も戻ってきた。

だからあんたも大丈夫よ。とだけは言いたい

同じ苦しみを持つ人に。





死にたい。

その気持ちが痛いほどわかる。

知識として知ってるんじゃなくて、経験したから知ってる。
正直今でも、全くないわけじゃない。


でも私は自分よりやっぱり、人のために力を発揮できるんだなと悟った。



自分が苦しくても、同じように苦しむ人がいたら寄り添ってあげたい。
結局『愛』が人を救うって知ってるから。


私は鬱がピークの10年前に根本師匠を知って、愛あるカウンセリング、愛あるブログ発信に救われたし、私を必要としてくれる子供の愛にも救われたし、子供に対する自分の中の愛にも救われた。



子供たちみんな可愛いけど、小さいものって可愛いやん、今の私には末っ子がすごくいい仕事してくれてて、小さい足とか、てちてち歩く姿を見てるだけで自然と癒されてく。
私の代わりに洗濯物を畳んでくれてる姿を見て、思わずニヤけたし、どういう気持ち???ってくらい面白い顔をたまたましてたり。


子供がいるプレッシャーで苦しむけど、結局活力になるのも子供たちなんだよなぁ。


子供の存在が重い。

でも、野原ひろしの名言を思い出した。


「しんのすけが居ない世界に未練なんてあるか?」


そうやったわ、私は今母親として心が折れそうやったけど、この子達がいなかったら…そんな世界にいたくないわ。






そしてこうやって書いてるうちに気持ちの整理も出来て、更に落ち着いてきた。



思っていることを書くって、結構オススメしたい。
私の場合スマホだけど。


ただ、せっかく気付いたんやから、元旦那に一応SOSだけ出しとくか…


と思いつつ、ちゃんと助けてくれそうな人に言った方がいいなと思ったので、迷ってます。w




育児お疲れ様あたし…
そして全国のパパママたち…




ではまたハート