海外ビジネス開始 初タイから帰国してから | 柏健工場 工場長ブログ

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SDG昭和電機グループC.E.O
SDG Marine代表
アメリカ↔︎日本→タイランドで活動中

2010年発のバンコクから日本へ帰国

楽しかったな〜また機会あれば行きたいな
ってそんなレベルでした

その反面、あれだけ日本車バンバン走ってたらウチの製品もそれなりに売れてるんかな?と気になりました

当時から今も、うちの製品は各業界の製造メーカーが使う装置やプラントに採用されておりました

ちょうどこんな感じです



もちろん製造メーカーですから、ある程度は自社製品がどこに納入されて稼働してるか?は、把握したいのですが市場流通在庫も多数ありましたから把握が現実的には不可能でした

それで日本帰国して最初の仕事
『海外比率どれくらいなんだろ?』でした

当時は三重県と大阪府に2工場ありました
→現在は奈良と滋賀合わせて4工場

当時三重県の工場で営業窓口業務責任者してましたから、三重工場の比率をリサーチ

その結果

海外電圧比率38%
日本同電圧だけど海外向け特殊品含めると60%でした

これには正直言ってびっくりしました
なんと4割は海外に行ってました

2010年12月
役員会で参加した重役の皆様に質問
『皆さん三重工場製品の海外比率は?』

営業責任者の役員さん
有っても5%やろ

正直言って、こりゃダメだ

4割も海外向け特殊品なのに、それを受注してる営業責任者が5%だろって回答に背筋が凍るというか変な汗でてきました

このまんまだとヤヴァィ事なる

これが当時の役員会の印象でした

しかも海外向けの各種資料
・カタログ
・取扱説明書
・図面
・納入仕様図書
ほんとに日本以外はゼロではないですがダメ

一番びっくりした事

はっきりとは覚えてませんが、こんなイメージの表記がされてました

当社製品は、日本国内での使用を前提に製造販売しておりますので、海外へ持ち出した時点で保証対象枠から外れてしまう

そんな意味合いの表現が記載されてました

しかも当時の英語版の

英語版カタログのラストページ
英語版取扱説明書のラストページ

記載されてるんですよ

1工場の4割が海外に行くにも関わらず、メーカーとして日本国外に持ち出した時点で保証や各種サービスの対象から外れます


ってどんだけ
上から目線
やねん

ほんとにこのまんまだと、ますます東南アジアが発展していくとサポートしないメーカー製品なんて市場から必要とされなくなるのでは?

私ならこんなメーカー製品要らないです

20年後会社あるんかな?

マジで、そんな恐怖しか無かったです

おまけに私はタイ国ツアーの際に気づいた事
タイ国は英語通じない
もちろん空港やホテルでは通じました
でも日本の街中と同じですよ

学校で習う単語→カタカナで日常で使う程度は通じますが、それでもダメです

それを当時の営業の偉いさん達は、カタログなんて英語だけで十分や!と

海外=英語
で十分だと言い切りました

マジでこれ大きな勘違いです

当時の中国のタクシーYES NO通じませんでしたから(汗)

しかも日本語仕様のカタログには親切丁寧な技術資料が掲載されてましたが、海外向け英語版のカタログなんて・・・

これ目次ですか?

そんなレベルの全8ページくらいのもの
→日本語仕様は80ページくらいありました

あれだけ役員会をぬけだして、まずは頑丈把握したかった事はないですよ

この人達、マジでダメだと思いました

2010年12月の役員会が、決心したんです

1人でも海外なんとかしたる!

これが柏健史上でいうところのコレ
一年戦争
の始まりです(笑)

続く