やはり俺の語る俺ガイルはまちがっている 。~語りその1~ | 中年ブタ野郎柏健のアニメ的語りブログ

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アニオタの中年ブタ野郎です。
好きなアニメの事を絡めて適当に語ってあります。面白がってくれたら嬉しいです。

 

 やはり生き方も千葉っぽい。

 

 

 俺が思う千葉県民が誇るものとして思うのは色々とあるが、例えば【落花生】や【東京ディズニーリゾート】【千葉ロッテマリーンズ】等があると思うが【やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。】もその一つだ。

千葉県民!もっと認識した方が良いな。うちの会社さ千葉にも営業所あるんだけど、そこの人達みんな知らないのよ。俺が熱く語ったら若干引かれたわwせっかくあの舞台の近くなのにさ。

また千葉県出身の偉人として有名なのは日本地図を作った【伊能忠敬 いのうただたか】津田塾大学の創始者【津田梅子 つだうめこ】鎌倉時代に活躍した日蓮宗の開祖【日蓮大聖人 にちれんだいしょうにん】が有名かな。

俺はここで、この【日蓮】と【比企谷八幡】との【親和性】について、また【俺ガイル】が如何に【仏教的】なのかを語りたいと思う

。別に宗教の勧誘やらの怪しい話をしたい訳ではないですから。ちゃんとアニメの話をするのでご安心をw

そもそも【日蓮】ってどんな人?って思うよね?まぁ学生時代に歴史の教科書で出てきたな?くらいの認識なのが一般的な感じなのかな。お家が檀家さんとかだともう少し知っている程度だと思う。普通に考えてアニメの主人公と歴史上のお坊さん。ましてラブコメと、うたっている作品。何言っているのって思うでしょ?でもこの物語の舞台は千葉だよ。

 

『風が吹けば京葉線が止まる。いや最近は徐行運転だ』

 

とか言ってるんだよ。やっぱさキャラクターに千葉感が無い訳ないじゃん!

確実に【比企谷八幡】には【日蓮】からのカッコ良く言えば【血脈】が流れているんじゃないかと。

え?聞きたくない?

物は試しだから聞いてみようよ。

ちゃんとアニメの話をするからまずは聞いてみて。

ね! お・ね・が・い。

可愛く言ってみた所で【日蓮】から軽く説明してみよう。

【日蓮】は鎌倉時代、西暦1222年に安房の国、東条郷(千葉県鴨川市小湊 現在、誕生寺という日蓮宗の寺院があります)ここに生を受けています。この【日蓮】が説いた教えが

【南無妙法蓮華経 なむみょうほうれんげきょう】と言う有名な【お題目 おだいもく】だ。

また似た様なものに【法然上人 ほうねんしょうにん】や【親鸞聖人 しんらんしょうにん】が説いた【南無阿弥陀仏 なむあみだぶつ】の【念仏 ねんぶつ】が日本人にはお馴染みだ。

しかしこの二つ似ていて全く非なる物で正反対のものである。

ここ後から出るから忘れるなよ!話を元に戻そう。

そもそも【南無妙法蓮華経】って何よ?って事だよね?簡単に言えば【南無】は【帰依】まぁ信じますとかお任せします的な感じだね。だから【妙法蓮華経】を信じますって事になるのかな。

だから【南無阿弥陀仏】は【阿弥陀仏】を信じます。お任せしますだね。

ここが全く違うのよ。

【妙法蓮華経 みょうほうれんげきょう】、略して【法華経 ほけきょう】。

これはお経の名前で教えだよね。

対して【阿弥陀仏】っていうのは【仏名】言わば【他者】の名前。

【自分】が勉強なりして感じ得たものを信じ行うのか、【他者】に願いを委ねるのか。

要するに【お題目】が【自力本願 じりきほんがん】で【自分自身】に対する【誓】で言わば【自分自身】の【責任】と【生き方】とも言うかな。

【念仏】が【他力本願 たりきほんがん】で【他者】に願いを委ねる【誓】で貴方に任せますって事なので言わば【自分自身】で【責任】を取らなくて良いので【無責任】って言うか【他者】に対する【希望】とかって感じかな。

 

当然その人を選んだり【希望】が【叶わなかった】時の【自己責任】はあると思うが。

ここ、大きな違いがあるでしょ?

【比企谷八幡】は原作ラノベの中で【親鸞】の【他力本願】って言葉が好きだと言っている。

彼は専業主夫として【他者】に養ってもらいたいと、うそぶいてはいるが、しかし彼の生き方、行いは真逆の【自力本願】なのだ。

【日蓮】は【他力本願】の教えが全盛の時代で苦しむ人々を見てこの教えを広め自ら【行い】この【現実世界】。

言い換えれば【娑婆世界 しゃばせかい】で【苦しむ】【人々】を救いたいと思ったの。

それは【日蓮】が【他者】の事を【己自身】の事と【捉えた】。

言わば【その人の身になって考えた】からなんだね。

スケールがデカいな。壁の上から覗いてくる超大型巨人・・・違うか。

危うく人類最強の男に首元狙われるかと思ったぜ。話をシガンシナ・・・

違う元に戻して【日蓮】は自分を称して【日本第一の法華経の行者である】と言っている。

 

では【行者 ぎょうじゃ】とは何なのであろうか?

【行者】とはイメージする所、物凄い修行(火にあぶられたり滝に打たれたり)をしている。

何時間もお経を上げてひたすら【お題目】を唱えている【修行者】だと思うが、そうではないのだ。なんか物凄いスキルを習得しそうだよね?

 

『エンハンスアーマメント』

とか言って。

ごめん話が逸れた。

 

いや、間違ってもないが、それだけでは無いのだ。

【行者】とは読んで字の如く【行う者】。

【自分】が【信じた】ものを【信念】に基づき【行う者】なんじゃないかと。

 

【日蓮】は【自分】の信じたものを【他者】に何と言われようとも曲げず、また酷い迫害、大難四度小難数知れず(家の焼き討ちとか暴徒に襲われるとか島流しとか言いがかりで死刑宣告とか)にも有ったがそんなものには負けず【自分】の【信じた】事をやり通した人だった。

俺じゃぁブルって泣いて逃げ出しちゃうね。でも勘の良い人ならおっ?って思ったでしょ?

【比企谷八幡】の事語るまでもう少し待ってね。

じゃあ、そもそも【法華経】って何よ?って事になるよね?

 

【法華経】とは正式名称【妙法蓮華経】。

平たく言えば【妙法】は、お経(お釈迦様が言った教え)の中の肝とか一番大事とか【究極】って事かな。

 

【蓮華】っていうのは泥の中に咲く白い蓮の花。泥は我々が生きているこの【娑婆世界】の事で、そこで花を咲かせて(穢れなく正しく。)生きて行くにはこうしたら良いって事かな。

 

【経】は教えかな。

まぁ【究極】な【現実世界】の【生き方】の【教え】って事だね。

で、それを【行う】と【仏 ほとけ】になれるよって感じ。

 

じゃぁ【仏】って何よ?って思うよね?

【仏】ってのは死んだからなるんじゃ無いんだよね。

よくお葬式とかでお坊さんが【成仏 じょうぶつ】しましたとか、テレビ番組で謎の霊媒師が【成仏】させるとか言うけどさ。

 

『おかしいな~なんかこの部屋だけ空気が違う。ヤダなぁ~ヤダなぁ~』

これは淳二な。気を取り直して。

 

間違ってもいないけど、それだけじゃ無いのよ。

まぁ素人の俺が言うのも何ですが。

【仏】【仏陀 ブッダ】っていうのは【悟った者】だね。

【悟り さとり】を得るとか開くってよく聞くでしょ?ん?聞かない?まぁ聞いている事にしようよ。

して。してください。

 

『オナシャス!シャス!』

勘違いしないでね。

これホント【俺ガイル】の事話すからもう少し待とう。

俺も手短にする様に

『頑張るであります』

 

話を戻そう。【お釈迦様】が遠い昔【インド】のどこかの国の王子だった時に自分のお城の四方の城門から町の人を見た時に思ったらしいんだ。

 

人は何故【生まれ】【老いて】【病気になって】【死ぬ】のかって。

そもそも生まれて来なければ【苦しみ】は無いもんね。

生まれて来たが故に老いて、病に倒れ、終いには死んじゃうんだよね。

ではその【苦】を取り除くにはどうしたら良いか?

【知りたい】とお釈迦様は思った訳さね。

そこで【お釈迦様】はお城を出て王子の身分を捨てて修行の旅に出たと。

で、そこで【難行苦行】の末に【悟り】を得たんだね。

【悟り】を得たからこの世の【理 ことわり】が全て分かったんだね。

平たく言えば(これはこうだからこうなんだみたいな)言葉を変えれば物事の【道理】だね。

要するに【苦】の【原因】が分かれば取り除けるし【怖くない】と。

だから死んだ時にそれ以上の【苦】がなくなるから【成仏】って言うんだね。

また一つキーワード出ましたね【知りたい】ちょっと分かってきちゃったでしょ?

『もっと早く!チャァ~チャァ~チャァチャァチャァ~チャァ~チャァチャ~』

あの音楽が脳に流れて来たので急ぎます。

ここで【日蓮】に戻るけど要するに【日蓮】の教えは【苦しみ】を取り除くには【他者】に委ねず自分の力で【自力本願】で【行者】として生きて【法華経】の教えを【行い】【仏】になり【悟り】を得れば【自分自身】が【救われる】って言いたいんだね。

【他者】に何かを【期待】しないで【自分自身】でする事なら【納得】できるし色々な事が【わかれば】【悩み】とか【苦しみ】が無くなるでしょ?

【他人】の【心】は【簡単】に【変わらない】けど【自分】の【心】は【変えられる】でしょ?

【他者】に【期待】する前に【自分】に【期待】しろって事だな。

では【法華経】には何が書かれているのだろうか?

約七万字からなる【法華経】には色々な事や例え話が書いてあるが大まかに言えばこの【娑婆世界】言わば【現実世界】には色々な【迫害】や【困難】はあるがそれに【忍辱】耐えて【法華経】の【教え】を【広宣流布】。

大勢の人に話したり【行い】なさい。

それしか【仏】になれいよって書かれている。

言わば教えのライザップ的な?違うかw

【仏】になれるって事は【悟る】訳だから【苦】の原因が【わかり】【理解】できるって事だもんね。

また【他者】に教えてあげれば【苦るしみ】の中にいる人も【救われる】【方法】が【わかる】もんね。これを仏教的に言えば【菩薩行 ぼさつぎょう】って言うのよ。詳しく知りたい人は本屋さんで調べたりしてみてね。

【菩薩行】って何?だよね。

【菩薩】ってのは、みんなが知っている【観音菩薩】(手とか顔とかいっぱいついている仏像)とか三人寄れば文殊の知恵の【文殊菩薩】とかが有名かな。この【菩薩】って言うのは色々な事から人々を救ってくれる者。

【人助け】をしてくれる者だね。

だから【菩薩行】って言うのは具体的に言えば【人助け】をしろって事な訳さ。

はい!【海老名】さん!ピーンと来ましたね。

『コレキマシタワー!受けがヒキタニ君で・・・』

違います。

まずは鼻血を拭きましょう。

そうですね、【比企谷八幡】の所属している部活は何ですかぁ~?

ん?聞こえないなぁ。

もっと大きな声で!そう!そうです【奉仕部】ですね。

正解!【奉仕】。

【他者】の為に力を尽くす。

ひいては【人助け】をする。

どう?

ここまで聞いてきて?

ヤバいでしょ?

俺もヤバいわ。

色々な意味で

『何故、倒置法なのかしら』

いや、より平易な文体で。

まぁ冗談はさて置き【比企谷八幡】は知ってか知らずかは分かりませんが同じ千葉県出身の【日蓮】の【生き方】や【行い】【思想】に近いと思われます。

いや、むしろ自然となって行った、の方が良いのかな。

彼は【ぼっち】であり【他者】に対して【希望】等を待て無くなったので【ペシミスト 悲観主義者】になった。

その後【奉仕部】の二人と触れ合う事によってこの【自力本願】の考え方に自然と行きついたとも言える。

【比企谷八幡】は別にお経を上げたり【お題目】を唱える訳ではありませんが千葉愛が深く読書家の【比企谷八幡】なので全くもって【日蓮】を知らないとは思えません。

むしろ【渡航】先生の千葉愛かと思いますが。知らんけど。

じゃあ逆に【南無阿弥陀仏】は?と言うと。

この【現世】の【娑婆世界】は辛いから【来世】に【阿弥陀仏】の居る【西方極楽浄土 せいほうごくらくじょうど】へ貴方に【願い】を委ねるので連れて行って下さいって事かな。

言ってみれば異世界に転生して、セイって女の能力は万能なのよ。

つまりこの教えと考え方が無いと異世界に転生してスライムになったりゼロから異世界生活も出来無いし、異世界に薬局も無いし、駄女神にも会えないのよ。

この辺りの事を踏まえて考えてみよう。

まず内容に行く前に【比企谷八幡】の名前に注目してみよう。

【比企谷 ひきがや】【神奈川県】の【鎌倉市】に同じ名前の【比企谷】(鎌倉ではひきがやつ)という地域があります。ここに【日蓮宗】の最古の由緒ある寺院【妙本寺】と言うお寺があります。

ここは【鎌倉幕府】に仕えた【比企一族 ひきいちぞく】がいた場所で【日蓮】に帰依していた【比企一族】が土地を寄進しその後寺院になった場所であります。

また【八幡】と言えば【鶴が岡八幡宮】を連想するのは誰しもかと思います。

で、この【鶴が岡八幡宮】で祀っている神様と言うと【八幡神・仏教的に言えば八幡大菩薩 はちまんだいぼさつ】である。

【八幡大菩薩】この【菩薩】アニメの劇中にも登場しましたね。

【材木座義輝】が前世で主従関係だのなんだのって件wしてこの【八幡大菩薩】日蓮宗のご本尊である【大曼荼羅 だいまんだら】に入っていらっしゃいます。

既になんか関係ありそうな匂いがしますね。

【日蓮】が無実の罪で【龍ノ口 たつのくち】(現在の藤沢市の江の島の前辺り。たまに野生のバニーガールが出没しTariするらしい )の刑場に連れて行かれる前に八幡宮寺の前で

『八幡大菩薩。貴方は法華経の行者を守護するとお釈迦様に誓ったのは嘘であったか』

と叱咤した後、刑場にて、いよいよ首をはねられるといった時に空が光り、強風が吹いて死刑執行人の刀が折れ一命をとりとめたって有名なエピソードがあるんだけど、要するに、世の中の衆生【人】を【助け】ようとした事に対して【自分】の【信念】を貫いたが故に無実の罪という【泥】を被って【耐えた】って事かな。

また【菩薩】って何かはこの前で語ったよね

。そう、【人助け】してくれるんだよね。

【八幡】って名前。深いね~。

話は逸れたが苗字の【比企谷】。

名前の【八幡】。

ここだけでも【日蓮】との【親和性】【関係性】が、かなり高いと言えよう。

名前の事については後々語るとして。

ホント長かった。俺も語ってて長かった。

『感動した!痛みに耐えてよく頑張った!』

もう聞いてくれたみんなに優勝賜杯あげちゃう!でもここを知らないとここから面白くないのよ。いよいよここから【比企谷八幡】の実際の行動を検証してみよう。

『レッツゴー!』

彼が【信念】を曲げず尚且つ己自身で【行動】をし【責任】を取った時、すなわち【自力本願】で事を成した時に物事が上手くいっているのではないか?

文化祭のエピソードなんかは良い例だと思う。

【比企谷八幡】との関係性が少しギクシャクしいた【雪ノ下雪乃】。

彼女が文化祭実行委員になった時に文化祭実行委員長の【相模南】から【自分】の【成長】と文化祭実行委員長としての仕事をサポートをして欲しいと依頼された。

全くの余談だが俺的に相模南の見た目は好みである。

あと、川なんとかさん。ショートカットとポニテが好きなのよ。ごめんね突然。

『うちぃ?うちかぁ』

『はぁ?あんたバカなんじゃじゃないの』

ごはんがおかずになりそうなくらい怒られましたので戻りまして、そもそも【奉仕部】の活動は当事者に直接何かをしてあげるのではなくその当事者が【自分自身】で解決する手助けをする事である。

これ原作にも書いてあります。お腹が空いた人に食べ物を与えるのではなく食べ物を得る術を与えると。

ここも【仏教的】なんだよね。

ちょっと話逸れるけど【お盆】ってあるじゃないですか?

あれって【お釈迦様】の弟子に【目連尊者 もくれんそんじゃ】って人がいて彼は【神通一 じんつういち】って言われている凄い人なの。

その【目連尊者】が【神通力 じんつうりき】を使って亡くなった母を見た訳。

すると母は【地獄】で腹が減ったって泣いているのよ。

で、【目連尊者】は【神通力】を使ってご飯を送った。

それを食べた母は【地獄の業火】に焼かれて燃えちゃうの。

『っべー』

って思って【目連尊者】は慌てて水を送るんだけど余計に燃えちゃうのよ。

そこで困った【目連尊者】は【お釈迦様】に相談した所、お前の母は【地獄】の【餓鬼道 がきどう】にいる。

お前の母を助けたければ仲間の修行者達に【供養】しなさいって言われたのさ、で、【目連尊者】はその仲間たちに【お盆】に食べ物とか載せて【供養】したの。

その【行動】の【功徳 くどく】で母は【餓鬼道】から救われたの。

これが【お盆】の始まり。簡単に言えばね。

要するに【人助け】をするって安易に直接物や何かをしてあげるのってダメなんだね。

犬なんか見れば分かるけど一度あげちゃえばもっとくれ、もっとくれってなるもんね(かわいいからついついあげてしまいますが・・・うちの犬に対して僕はそんな事ありませんが・・・いや、そうでもないかw)。

それが返ってその人自身が【怠惰】になり【努力】をしなくなり【成長】しなくなるから本当の意味でその人の為にならないんだね。

それと【母】を助けたい!

ってのは言わば【自分】の為。だって悲しいもんね。

【仲間】に【供養】したのは【他者】の為。

ここをはき違えちゃいけないんだけど。

【人助け】っていうのは【自分】の為にしちゃダメで、【他者】の為に行わなければいけないのよ。

【利他】の心がお前に無かったから【母】は苦しんでいたんだ。

と【お釈迦様】は言っているんだね。

でも巡り巡って【他者】の為にした事が【功徳】となり【母】を助けたんだね。

ここを鑑みて先を見てみよう。

けれど【雪ノ下雪乃】はそれを間違え(正確には出来なかったのかな)仕事をしない、いや出来ない(彼女のように出来る人の方が珍しいが)言わば【怠惰】で【無責任】な【相模南】やその他の文実のメンバーを【黙認】し一人で仕事を抱え、こなしていった。そしていよいよ体調を崩して学校を休んでしまった。

確かに一人で仕事をこなすのは悪い訳じゃない。

しかし周りにいる仲間を頼らない【雪ノ下雪乃】を非難するかの様な空気感に【比企谷八幡】は憤りを感じていた。

この時に【比企谷八幡】の取った行動がまさに【行者】であり【自力本願】のそれである。

【比企谷八幡】は文化祭のスローガン決めの時に【相模南】の【絆 共に助け合う文化祭】というスローガンに対して失笑した。

(よく言うよと、誰しもが思ったと思うがw)

『いやなら案出してよね』

と言われ出したものが強烈な皮肉を込めて言い放った彼の考えたスローガンが傑作である。

『人 よく見たら片方楽してる文化祭』

もう最高かよ!誰かに任せっきりの【怠惰】で【無責任】な言わば【赤信号。みんなで渡れば怖くない】的な他のメンバーに対する強烈なメッセージだ!アンチテーゼだ!残酷な天使・・・

危うく暴走するところだったぜ。

逃げだしそうだが語りにシンクロ率をあげて。

俺も【雪ノ下陽乃】さんバリに笑ったわ!

『バカだ、バカがいる!』 

【比企谷八幡】の言った事は【正論】なのだが人はまともな事を言われて指摘されると余計に腹が立つものだ。

言わば【身も蓋も無い】事を言われると【反省】よりも【怒り】が増すのよ。だって、みんなその程度しか仕事してないのに、なんで【私】だけが【悪い】の?って思うでしょ?

また【雪ノ下陽乃】さんは【妹】の【雪ノ下雪乃】の為にわざわざ【周囲】に嫌われる事をする【比企谷八幡】に対して【嬉しさ】と、この子Ⅿなの?との二つの感情が入交ってこんな子いるんだと思って笑ってしまったのだ。

人間とは特に小中高の【閉鎖】された特殊なコミュニティの中で回りの空気に合わせないという事は今後の学園生活の中では【致命的】になる。

【ぼっち】確定である。

これさ、アニメだから笑っていられるけど想像してみ?超辛いよ。

体育やっても誰も一緒にやってくれないし。飯は一人だし。

周りから【奇異】の目で見られて俺なら学校行けないよ。

一人にしないでメノウちゃん。処刑されるな、そろそろ俺w

元々彼は【ぼっち】だが、だとしても辛いよ。

今までは【受動的】言わば【自然】に【ぼっち】だったとしても今度は【恣意的】言わば【自分】から【ぼっち】になり尚且つ他者の【悪意】に晒され続けなければいけない。

もはや【自分自身】で【死刑宣告】したと言ってもいい。

彼程の思案を巡らせる者なら尚更想像はついただろう。

しかし彼は言ったのだ。【行動】したのだ。

何故か?それは彼の【信念】が郷土の偉人【日蓮】の【血脈】から来る【自力本願】だからだ。

彼は己の【信念】に沿って何が今後あろうともそこを曲げなかったのだ。

彼は【雪ノ下雪乃】の【現状を救う】事と彼女の【世界を変える】との【願い】を【自分自身】の事と【捉え】あえて【皮肉】を込めた【苦言】を呈し【悪者】になり【泥を被って】【周囲】を【変えた】のだ。

この事によって【比企谷八幡】は周りの文実のメンバーから大いに嫌われたが仕事をさぼっていた人達はあんな、むかつく事を言う奴が仕事をしっかりとやっているのを見て負けられないとばかりに仕事をしたのであった。

結果、文化祭はつつがなく開催される事になったと。

『争いこそは技術を発展させるのであ~る』

この件に関して【比企谷八幡】はたった一言も言い訳をせずに黙って【忍(忍辱)】を着た。

【雪ノ下雪乃】が【比企谷八幡】に問うた。誤解は解かなくてよいのかと。それに対して彼はもう解は出ていると。

【自分自身】で解を出し黙って【責任】を取る。これが【自力本願】これね。

それとよく勘違いするのが【我慢】と【忍(忍辱) にんにく】の違いね。

【我慢】本来の意味は【自分】を出しすぎるみたいな意味らしいが今はどちらかと言えば己が高い所に有って(精神的にね)仕方なく耐える感じの意味かな。

【忍】は辱めや苦しみに心を動かさない事みたいな感じかな。

もちろん【比企谷八幡】の今まで生きて来た人生の積み重ねや【価値観】ではあるとは思うが中々にどうしてできようか。

【人は皆わが身が可愛いのである】。

そしてここにもう一つ隠れているのが【比企谷八幡】の取った【行動】が自分の【利益】では無く【他者】の【利益】になったという事だ。

彼が【悪者】になった事によって文化祭実行委員会は活動を活発かさせ【雪ノ下雪乃】の【心】を【救った】。

ひいてはその後の彼女との関係に良い【影響】を与えて来るのである。

この後に学校の帰りすがりに手を少し挙げて

『また明日』

と言うゆきのんがクソ可愛いのは言うまでもない。

『私、可愛いから』

顔が赤くなった所で話を戻そう。

その後文化祭のエンディングセレモニー時に【相模南】を連れ戻す時にも同じ様な行動を彼は取っている。

また、ここでもう一つ言っておこう【比企谷八幡】が見せた【行者】としての矜持が

【人助けとは沼に落ちた人を上から引っ張り上げるのではなく自分も沼に落ちて先に相手を陸に上げてやる】である。

よくカッコいいアニメやドラマなんかではありがちだが(俺の事は構わないで先に行けアスナ!的な)で最後には称賛されてハッピーみたいなね。

けれど【比企谷八幡】にはそれが無く文化祭が終わって体育祭(アニメだと大したエピソードではありませんが原作やコミックだと相模さんの件が続きます。

是非読んでね。面白いから)が終わっても誤解は解けず永遠とクラスで【ぼっち】な訳で【戸部】なんかには空気を読めない奴の事を【揶揄】して

『どこの何谷君』

なんて言われている始末だ。けれど総武高校にいじめは存在しないのであるw

しかし彼は普段通りに高校生活を淡々と送って行った。

この【沼に落ち助ける】。って事さ修学旅行の時もそうだし、物語の終盤のシーンで【雪ノ下雪乃】にあの陸橋の上で話した時も

『お前に価値が無いなら俺がもっとダメになればいい』

と彼が語っていた辺りも頷けるのではないか。

また、この周りに【嫌われて】【ぼっち】という【結果】が彼に取ってこの行動の【責任】の取り方である。

【比企谷八幡】は【自分自身】の【信念】が曲がらなければそれで良いさえあるのかもしれない。

そう【行者】とは孤独なのである。【ぼっち】なのである。

そして己のした事に【責任】を取り自分の目の前で起きる事を【己の事】として、【捉え】【行動】するのが【自力本願】であり【行者】なのである。

【一色いろは】曰く【比企谷八幡】を称して【責任おばけ】というのは極めて的を得てると言えよう。

このエピソードを一例として見ても彼の中に郷土の偉人【日蓮】の【行者】としての【血脈】が流れているんじゃないかと考えても良いかと思えるのでは無いか。

【俺ガイル】深いねぇ~。

こんな感じで見るとますます面白いよ。

 

 

そろそろ結論を言おう

 

 

 千葉者は今日も孤独に黙って行くのである。