「博多っ子純情」を読んだらくさ、

                                 昭和の町を そーついとうごたー!

博多っ子純情と博多弁 ① 」~「博多っ子純情と博多弁 ⑪」の続きです、

 

在日朝鮮人で日本と朝鮮の古代史を研究していた金 達寿(キム・タルス 1920ー1977)という小説家がいた。 彼の著書「日本の中の朝鮮文化」は、面白いので良く読んだ。 昔の話だが、彼と司馬遼太郎の対談をまとめた本があって、記憶によると金氏がこんな話をしていた。  九州の方言や地名のサ行(さ・し・す・せ・そ)には、古代朝鮮語に絡む発音が多い。  例えば、背振山の「セフリ」について・・・現在の韓国首都である「ソウル」の語源は「ソ・フル=ソ族の都(フル)」で、「フル」が「フル」、「フリ」と転化したのだそうだ。 渡来人がソウルから眺めた山を懐かしんで呼んだのだろうか。 他に「宇佐」の「ウ」や「阿蘇」の「ア」がそれに当たるらしい。

 

今回の「博多っ子純情と博多弁 ⑫ 」のタイトルは「そーつく」。 町の中をブラブラ歩くことを意味するが、長崎では「さるく」と言う。  鹿児島の観光バスガイドは、このような方言を紹介する。 

「いっぺこっぺ  さるっもしたや すったいだれもした」

 聞き方によっては、語調が韓国語の様に聞こえなくもない。  「るっ」は「歩き回る」で、「あちらこちら歩き回ったら、すっかり疲れてしまった」を意味する。  福岡の「ーつく」、「長崎の「るく」と同じ意味、しかも、「・し・す・せ・」の範囲内で、語源は同じかもしれない。  

 

そんなことはどうでもいいか・・・いずれにしても、「博多っ子純情」を読んでると、昭和50年代の福博の町を「そーつく」ことが出来る。 長谷川法世さんは、その町の風景を実写のごとく正確に描いて残してくれた。 前回までのブログでも、多くを紹介してきたけども、今回も続けたい。

 

 岩田屋前を走る西鉄市内電車          (9巻60頁より)                    

 電車は渡辺通~住吉~博多駅~千代町~築港~天神を廻る環状線を走っている。 後ろが現在の「ソラリアステージ」となる。  ビルの看板に『ひのくに号』の文字が見える。  「博多っ子純情」の時代(昭和50年代)は、既に西鉄福岡駅は高架化されているので、その1階に「福岡バスセンター(現在の西鉄天神高速バスターミナル)があった。  昭和48年(1973年)、九州自動車道の南関ICまでの開通に伴い、それまで3号線を走っていた「ビジネス特急『ひのくに号』を高速バスとして運行し、大幅な走行時間短縮を果たした。  西鉄と産交の相互乗り入れで、九州一のドル箱路線として、大いに宣伝していた時期だったと思う。

                   現在の同場所

 福岡バスセンター」は平成9年(1997年)、ソラリアターミナルビル3階に移動し、名称は「西鉄天神高速バスターミナル」と改称している。  この道路に電車が走っていたことも、忘れ去られようとしている。  団塊世代には、昭和30年頃の「チンチン電車」の姿が懐かしい。

 

 新天町の「金文堂」                              (9巻  60頁より)

           

 小さい頃、「ここに本屋がある」と気付いて、現在も同じ場所にある本屋は新天町内の「金文堂」と「積文館」の二店だけだ。 その意味では、両店とも素晴らしい。 と言うのは、天神地区には「八重洲ブックセンター」、「リブロ」、「紀伊国屋」、「丸善」などの大型店が進出して来て、書店の販売激戦が繰り広げられたからだ。 結果、「金文堂」と「積文館」は激戦を生き残っている。 


金文堂」は明治45年(1912年)創業の老舗書店だ。 「博多っ子純情」に登場するのは、六平類子が・・・勿論、法世さんも・・・学校からの指示で、ここで教科書を買ったことからだろう。  新天町の中の色んなお店も、時代の変化と共に業態も変わった。 「マック」が入って来た時は「ウソやろう」と思ったが、若者にとっては当たり前のことで、うっちゃんも今は見慣れてしまった。  でも、「金文堂」と「積文館」には、いつまでも、この場所に居てほしい。

 

さて、天神から大手門の福岡城跡まで、そーつきます。

うっちゃんが小・中学生の頃、野球は「平和台球場」、相撲は「スポーツセンター(現ソラリア)」だった。 野球は「西鉄ライオンズ」の黄金時代。 相撲は「若乃花」と「栃錦」の時代だった。 「若乃花」とは若・貴兄弟の叔父さん・・・と言っても、話が通じない時代になった。  「平和台球場」も「スポーツセンター」も、今は無い。

 

 平和台球場                 (11巻 60頁より)

 昭和24年(1949年)の創建から、平成9年(1997年)の閉鎖まで、西鉄クリッパーズ・西鉄ライオンズ福岡ダイエーホークスの本拠地として使用された。 建設当時の昭和24年、福岡城跡地は連合軍のGHQに接収管理されていた。 福岡市が国体開催のために陸上競技場と球技場を造る計画をGHQに上申した。 その時、平和目的の建設であることをアピールするため、この地を「PEACE HILL平和台」と名付けたい、と頼んだことが認められた。 「平和台球場」の誕生であった。  「平和台=PEACE HILL」の名前を何処かに残して行かねばと思う。

 

 

福岡ダイエーホークスが福岡ドーム(現在のペイペイドーム)を本拠地とした後、「平和台球場」は閉鎖され解体されたが・・・その地下から現れたのが、なんと「鴻臚館跡」だった。  昭和24年(1949年)の建設中にも、地面の中から貴重な遺物が出て来ていたのだろうが・・・終戦後のGHQ管理のなか、意に介する者は誰も居なかったのだろう。  それからすると、初代藩主・黒田長政が城を築いた際にも、多くの遺物が出て来た筈だが・・・何なのか判らなかったのだと思う。

                 上ノ橋近くのモニュメント

 

現在の「ソフトバンク ホークス」は絶対的強さを誇っているが、「西鉄ライオンズ」も強かった。 うっちゃんが小学生の昭和31年(1956年)から、3年連続で日本シリーズを制覇して、その頃が黄金時代と言われている。 平和台球場で、西鉄ライオンズの試合を観た記憶がある。 その時、中西 太選手の豪快なホームランを見て彼のファンになった。 

                中西 太選手   (ウィキペディアより)

他に稲尾、豊田、高倉など凄い選手が揃っていた。 成人して東京本社に転勤になり、埼玉県鳩ケ谷(現・川口市)に住んでいた頃でも、「西武ライオンズ」を応援している自分がいた。

 

 香 椎 宮               (9巻 第96回 より)

 博多っ子純情」で、六平多々良川を渡って香椎まで そーついていたとは思わんかった。

石堂高校1年9組の二学期、六平のことをやたら意識して近づいてくる女子生徒がいた。  扶桑一子と言う。 香椎参道中学校出身で、家が香椎にあった。 扶桑一子のことを好きだった阿佐道夫六平が、彼女の家を訪ねる場面で香椎宮が紹介された。

 

漫画絵の中に、法世さんの説明がある。

香椎宮は 朝鮮遠征のさなかに 亡くなった 仲哀天皇を祀る神社で 後に 神功皇后も 合わせて祀られた ところです

 

香椎宮については、法世さんよりもうっちゃんの方が地元ですから詳しいです。  大きくは間違いないのですが、細かい点を正しておきます。  仲哀天皇が亡くなったのは、朝鮮遠征のさなかではなく、熊襲征伐のさなかが正しいです。  よって朝鮮半島へは神功皇后お一人で遠征されています。 香椎宮は西暦724年、神功皇后を祀るために創建され、仲哀天皇のほうが大正4年(1915年)になって、後から合祀されました。  細かいところを、つっついて申し訳ありません。  でも、何気なく「香椎宮」を案内するところは、松本清張の『点と線』のようで、法世さんカッコ良かー。

 

 前後の漫画コマからすると、六平阿佐道夫は貝塚で西鉄津屋崎線に乗り換え、香椎宮前駅で降りて、参道を歩いている。

 

 参道で坂を上るとすれば、右側しかない。 最初の坂は浜宮への道で民家はない。 2番目の坂付近は、当時は既にコンクリートの建物が建っていた。 よって、この漫画写真は3番目の坂に向かう途中だ・・・と想像する。 

 近くに住む友人に確認したところ、コーヒーの「NANの木」の向かい側辺りではないかとのこと。

 

いずれにしても、「博多っ子純情」の中で、香椎が描かれていたことが嬉しい。 

 

博多弁」も紹介せんといかんね。

  くらさるうぞ              (1巻  46頁より)

 「殴(く)らす」は博多弁で喧嘩する時の、いきがり用語?。 

博多の喧嘩は、次の様に始められる、と法世さんの解説がついている。

   「殴(く)らさるうぞ!」

   「おう、殴(く)らしてんやい!」

   「おーお、殴(く)らしちゃる!」

 

  うらんしか                   (4巻  12頁より)

 久留米(筑後弁)でも、「うらんしか」を使う。 うらめしか=気持ち悪いの意味だが、博多では少しニュアンスが変わって、エッチ、いやらしいを表す時に使う。 

六平、中学3年の時の山笠。  大人衆が六平に「山笠の間はSEXを断たないかん」と、遠回しに諭す。 六平は「さっぱり わからん」と言いながらも、何のことかは解っとる・・・。   

 

  しゃん-しゃん                (11巻  31頁より)

 「手際よく・テキパキ」を意味する。 一般的に「ちゃんとする=キチンとする」、と言いますから、「しゃん」は「ちゃん」の博多仕様かな?  独身のころ、二日酔いでふらふらしていると、母から「しゃんと せんね」と叱られていた。

 

最後に面白か話を・・・

博多弁の中で、由来が英語から来ている言葉がある・・・と言う話ば知っとうね? 

But then(バット ゼン)」は「しかし~~」の意味だが・・・これが訛って「ばってん」になったげな。 

博多弁じゃなくとも、日本語には他にもある。

Kill(キル=殺す)」が「斬る」になった。

「名前(なまえ)」は「Name」のローマ字読みが訛った・・・・など等。

 

ブログの「博多っ子純情と博多弁」シリーズはここで一旦終了したいと思います・・・が、気が向いた時に投稿するかも・・・。

博多っ子純情と博多弁」ブログをシリーズで読んでもらってありがとうございます。

法世さんには了解も得ずに画像を載せて申し訳ありません。 何度か町家に伺ったんですが・・・。

 

何度も触れていますが、「博多っ子純情」は我々福岡人が誇る傑作漫画です。 

法世さんに提案があります。 

博多っ子純情 2021」を、短編~中編で書かんですか?

六平類子は孫に囲まれとうやろか? 阿佐黒木はどげんしようやろか?  うっちゃんが興味あるとは、野枝由宇子と扶桑一子のその後です。 

コロナ禍で戦う博多商人の活躍と絡ませても面白いと思う・・・のですが、どうでしょうか?

 

博多っ子純情と博多弁」ブログシリーズ最後になりますから、「チューリップ」の「博多っ子純情(You-Tube)を貼り付けます。 六平と類子の物語とは直接には関係ありませんが、法世さん了解のタイトルです。  作詞:安部俊之  作曲:姫野達也  唄:チューリップ

 

 

博多っ子純情と博多弁」 

 

博多っ子純情(アクションコミックス)

 

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