昭和は遠くになりにけり
「博多っ子純情と博多弁 ①」~「博多っ子純情と博多弁 ➉」の続きです。
「博多っ子純情」を読めば読むほど、リアルに描かれた昭和の景色が懐かしい。 平成の時代は、そうでもなかったが、令和になると昭和が遠くになってしまって、ますます懐旧の念が強くなる。
六平と類子の行動範囲は、博多部が中心だと思っていたが、福岡部にも結構足を運んでいる。 中学生の時は、博多三中(現在の博多中)から、須崎橋を渡り、須崎公園の横を通って・・・、高校生になってからは、明治通りから天神地区に入ったのだろう。
ブログ「博多っ子純情と博多弁⑨」の舞台となった「博多臨港線」、「那の津大橋」、「ボートレース場」が右上に見える。 右下に(見えないが)西鉄市内電車が走る須崎橋が架かっている。 博多三中の生徒にとっては、この須崎公園も行動範囲に入っていたと思う。
① 福岡市民会館
昭和38年(1963年)の開館なので、老朽化により、数年後に新施設でのオープンが計画されている。 我々の年代にとっては、思い出も多い。 アクションコミックス14巻156回で、石堂高校の予餞会(卒業生を送る会)が開かれているが、会場はここだと思う。 当時、1,770席の大ホールを持つ施設はここだけだった。
② 県立美術館
昭和39年(1964年)、福岡市民会館と同時期に、福岡県文化会館として開館した。 開館当時は、県図書館と県美術館が併設された施設だったが、昭和60年、県図書館が箱崎に移転したので、県立美術館となった。 当時、自宅にクーラーを持つ家庭は少なかったので、夏休みの暑い日は、ここの図書館で勉強?した記憶がある。
↓ 市内電車道がある須崎橋を渡たり、須崎公園の横を通って、ダイエーショッパーズで大きく左にカーブしてマツヤレディス前 ③ に出る。 天神コア ④は竣工したばかりだ。 その南側には、未だ愛眼ビルもIMS(イムズ)も建っていない。 天神コアビルも今年までで、このエリアは天神ビッグバンで大きく変わる。 岩田屋 ⑤ の南側、西鉄大牟田線福岡駅 ⑥は、未だ、蒲鉾駅舎だ。 ちょっと気になる事を申し上げると、明治通りが描かれていないような感じがするんだけど・・・。 法世さん、描き忘れちゃったのかなー?
(アクションコミックス 7巻第73回より)
③ ダイエーショッパーズ ・ マツヤレディス
昭和46年(1971年)、天神にダイエーショッパーズが進出してきた時、ダイエー会長の中内 功さんが「天神の人の流れを変える」と豪語していたのを思い出す。
ダイエーショッパーズ マツヤレディス
↓ 現在は「ミーナ天神」、「ノース天神」、「イオンショッパーズ」の3施設で営業が続いている。
⑤ 岩田屋
旧・天神岩田屋本館は昭和11年(1936年)に、九州鉄道(西鉄の前身)福岡駅に隣接する九州初のターミナルデパートとして開店している。 岩田屋が開店した昭和11年がどんな年か・・・二・二六事件(クーデター)勃発、そして次年に日中戦争が始まるなど緊張が高まっていたが、福岡は都市化が急速に進んでいた時期でもあった。
↓ 岩田屋開店初日の10月7日、10万人が詰めかけたそうだ。 凄か~!
(福岡市博物館蔵 福岡博覧より)
↑ やっぱし、のぼせもんが多かねー。 うっちゃんも、この時代に居れば、行っとうと思う。 ばってん、これじゃ、ソーシャルディスタンスなんて ほど遠かね!
旧・天神岩田屋本館 (アクションコミックス 7巻第73回より)
↑ 小学生のころ、母が弟妹と一緒に良く連れて来てくれた。 5階か6階に食堂があって、生まれて初めて洋食(オムレツ?)を食べた。 屋上は遊園地になっていて、吊り下げられた飛行機(クルクル回るヤツ)の遊具があったことを覚えている。 屋上のエレベーター乗り場の横にペットショップがあった。 ペットショップと言っても、小鳥・金魚・ゼニ亀とハツカネズミだけだったような・・・。
本館が閉店したのが、平成16年(2004年)なので、うっちゃんも何回か息子を連れて来ている。 考えてみると、親子三代でお世話になったデパートだった。
↓ 岩田屋閉店後、長らく空きビルの状況が続いたが、平成22年(2010年)3月、改修工事後にPARCOパルコが開店した。
⑥ 西鉄大牟田線福岡駅と岩田屋 大怪獣ラドンに襲われる
(1956年 東宝映画 円谷英二特撮映画 空の大怪獣ラドン より)
↑ 昭和31年(1956年)、西鉄福岡駅と岩田屋は、大怪獣ラドンによって破壊された。 市民が力を合わせ復興されたが、 ↓ 平成6年(1994年)、ゴジラが現れ、天神地区は再び大打撃を被った。
天神中央公園横の竣工したばかりのアクロスを破壊
(東宝映画 H/P気まぐれ特撮道より)
そんでも福岡は、ほんなごつ強かー。 再び立ち上がり、復興したげなー。
↓ さて、六平と類子が石堂高校1年生の夏。 類子の買い物(一番上のお姉さんの結婚祝いプレゼント)につき合わされて、二人は新天町に出て来た。 (9巻 第88回より)
↑ 右上に「シノハラ」、左上に「はくせん」が見える。 驚くのは、半端ない人の数。 コロナ禍など無かった昭和の高度経済成長期は、こんなだったんだ!
↓ 上の場面が新天町の何処かを探してみた。 南通りでサンドーム(時計台)より東側エリア。
右上に「SHINOHARA」の看板が見える。 これが「シノハラ」だろうと思う。 「はくせん」は、今は無く・・・博多人形の店だったような・・・思い出せない。 「眼鏡市場」になっている。
昭和20年(1945年)、米軍B-29の空襲によって福岡の街は焦土と化し、8月に終戦を迎えた。
↓ 新天町商店街は、西日本新聞社の復興策によって、その年の10月には建設が始まり、翌年10月には早くも営業を開始している。 福岡市復興の象徴であった。 北通りの福岡駅側に現在と同じ「白十字」が見える。
(新天町商店街蔵 福岡博覧より)
類子が何軒もの店を廻るが、「どれがいい?」と言うばかりでなかなかプレゼントの品が決まらない。
六平が「もう何軒 回っとるとか?」と、イラついて言う。
↓ 口喧嘩になるが、類子は買い物を次回にまわして、約束どおりに、六平に「かき氷」をおごる。
↑ 確かに新天町の何処かに「ロイヤル」があったが、場所が正確に思い出せない。 飲食スペースは2階?だったような・・・。 町中の「かき氷」は、赤や緑色のシロップを上からかけて、「イチゴ」や「メロン」と名付けていたが、「ロイヤル」の「かき氷」はフルーツやクリームが添えてあって実に豪華だった。 現在「ロイヤルホスト」として全国展開しているが、福岡で生まれた企業で、洋食レストラン「ロイヤル」の1号店が新天町にあったこの店だった。
二人で「かき氷」を食べながら話をしていたが、二番目のお姉さんのことで再び喧嘩になり、類子が怒って泣き出す。 ロイヤルを出て歩き出した。
二人は新天町北通り西口を歩いて「西鉄グランドホテル」横の西通りに出る。 電車通り(明治通り)と交わる部分はS字のカーブになっている。
西鉄グランドホテル前のS字カーブ
ここは、黒田長政が福岡の城下町を造る際、攻め込んで来る敵の勢いを止めるための「カギ型道路 〇印」の跡だった。 明治通りは幹線道路なので、カギ型には出来ず、緩やかなS字カーブで残った。
↓ 西鉄グランドホテルの向いのS字カーブ脇にカトリック福岡教会の旧聖堂があった。
聖堂前の石段に二人は座ったが、類子はまだ怒って泣いている。
カトリック福岡教会 (9巻 第88号より)
類子は六平に、二番目の姉さんが辛い思いをしながら、日々過ごしていることを話した。
六平はつぶやいた。 「人間ていうとは、なして すんなり 思うたごと 生きれんとやろか・・・」
この赤レンガ造りの聖堂は、明治28年(1895年)、上級福岡藩士の屋敷跡に建てられた。
そして、昭和49年(1974年)11月27日、武田鉄矢さんが、この旧聖堂で結婚式を挙げている。
↓ 昭和61年(1986年)、聖堂はモダンなスタイルで新築された。
武田鉄矢さんが結婚式を挙げて、六平と類子が石段で話し込んでいたレンガ造りの旧聖堂は、どうなったんやろか?
↓ 久留米市の聖マリア病院構内に、そのまま移築されて、「雪の聖母聖堂」と呼ばれている。
久留米聖マリア病院 雪の聖母聖堂
「人間ていうとは、なして すんなり 思うたごと 生きれんとやろか?」
時には人生を振り返って、若かった時の「なして・・・?」を思い出すことも大切かも・・・。
「博多っ子純情と博多弁 ⑫」に続く。
漫画画像は、長谷川法世作アクションコミックスからお借りしています。
参考資料:「福岡博覧」 海鳥社 他
福岡市と博多湾を想う
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