日本と韓国は隣国同士なのに、何故対立するんだろう!

現在、日本と韓国の間には、国(政府)を越えて、国民の間にも溝があるような・・・。 安倍さんと文さんの時代になって特にひどくなった。 二人とも頑固な面があって、対立を際立たせたような気がする。 双方ともに「国益と国民を守るために」と言う・・・、それはそれで間違いないのでしょう・・・でも、問題は両国だけではなく、その前に国際社会、とりわけ北朝鮮中国、そして米国との関係にも大きな影響を与えていることが、うっちゃんは一人の日本人として気になっているのです。  菅さんに変わって、好転するのかな・・・?。


素人の判断で、政治・国交問題を論じるつもりはないのだが・・・。  でも、歴史を学習するに、日本史を学ぶ時には韓国(朝鮮半島)との関係を外せない。 世界史を学ぶ時も、日本と韓国(プラス中国)が必ず絡む。  両国の関係について、多くの知識人が言ってきた言葉がある・・・両国政府及び国民は正しい歴史認識を共有する必要がある、と。 言葉は簡単だが、それが、なかなか複雑で難しいのよね。 まず、日本と韓国では、その「正しい歴史認識」の考え方・捉え方が異なっているのだ。

 

日韓間のこじれている認識の一つが侵略と言う言葉ではないだろうか。

                             朝鮮侵略    (H/P 戦国サプリメント 戦国未満より)

うっちゃんの中学校の時の教科書では、「秀吉は朝鮮へ出兵した」となっていて「侵略」とは書かれていなかったような・・・。  現在の高校教科書では、日本軍の朝鮮侵略は、朝鮮の人びとを戦火に巻き込み、多くの被害を与えた、となっている。(山川出版社 日本史B )  「日本の侵略」は、その通りだと思う。 加えると「多くの被害を与えた」では、済まされないほどの殺戮が行われた。 日本軍は数多くの民間人も殺害した。 内容は記することが怖くなる程、残酷なものだ。  それでも、秀吉の朝鮮出兵を「侵略」と認めない日本人も多いようだ。  それは歴史認識と言うよりは、ナショナリズムに因るところだろうけれどね。 その言い分は、うっちゃんにも納得できるところがある。  後ほど、少し触れます。

 

国連の安全保障理事会による「侵略」の定義を簡単にまとめると、こうだ。 一国の軍隊が他国の領域に攻め入って、土地や財物を奪い取り、その国の主権を侵すことだと。  しかし、定義の全文、及び解釈となると、受け取り方によって中身は複雑のようだ。 

現在のように、地球規模で戦争の悲惨さを共有でき、しかも、道徳的規範が高まっている中、まともな国家であれば簡単に戦争の口火は切れない。  古代はどうだったか・・・・道徳とか平和の概念も無い時代は、国(村・集団)が水や耕地の争奪をめぐって、生きるか死ぬか・・・、攻撃される前に攻撃する。 そこに「侵略」の概念などは、ある筈がない。 

 

日本国の最も古い歴史書は、8世紀初めに編纂された「古事記」、「日本書紀」で・・・これらでは、5世紀以前の日本の様子が正確には分らない。  中国と朝鮮半島に残る資料に、日本(倭国)のことが書かれている。

 

中国 「漢書・地理志

    「後漢書・東夷伝

    「魏志・倭人伝

朝鮮 「高句麗・好太王碑

    「高麗・三国史記

 

中国の史書には、紀元前後の日本は「100余国に分かれていて・・・国が乱れる」、と書かれている。 「乱れる」とは戦争が起こっていた意味だが、日本国内での争いは絶えることなく明治まで続く。 その争いは、国連が定義する侵略に近いものも多い。 これは、何処の国でも、近代国家としてまとまるまでは、内紛が起こっていいて、同じだったと思う。  

日本(倭国)が初めて海外に侵攻する記述が「記紀」に見える。 神功皇后の「三韓征伐(西暦200年?)」がそうだ。 伝承も多いが、創作部分も多い。 まず「征伐」の言葉は、当てはまらない。 日本の国威を海外に示したかったのだろう。 

 

神功皇后だとは確認は出来ないが、倭国朝鮮半島を攻めたことは間違いない。

高句麗・好太王碑」に次のような内容が刻まれている。

                         高句麗・好太王碑

高句麗は百済と新羅を属民とし、両国は我が国に朝貢して来ていた。 ところが、倭国は391年、海を渡って百済と新羅を破り、臣民とした」  年代が違うが、これが神功皇后朝鮮半島侵攻なのかもしれない?  好太王碑石に刻まれた文字は世界的に一級の資料であり、内容は間違いないとされている。

 

当時、倭国内でも大和朝廷と地域の国が争っていて、朝鮮半島内でも三国が領域を争い合っていたことになる。 そんな中、倭国百済同盟を結び、伽那国に拠点(任那)を置いて、当時一番大切な鉄の輸入体制を確立していた。 しかし、後に新羅が朝鮮半島全域の主権を握ることになる。 それでも、朝鮮半島内各国や倭国侵略の概念はなかった、と思う。 

                        三国時代の朝鮮半島  (ウィキペディアより)

ただ、気になる点がある。  

高句麗・好太王碑」には、404年、倭は大軍をもって、帯方郡に侵入して来た。 高句麗はこれを討って大敗させたと刻んである。 帯方郡は現在の平壌(ピョンヤン)辺りとされている。 倭国は百済と同盟を結んで進軍のルートを確保していたとは言うものの、高句麗の領域奥深く侵入している。 このことから見て、倭国は主力の軍隊の殆どを投入して高句麗に侵攻したのではないか・・・。 その強力な倭国軍に高句麗軍は打ち勝ったのだ。 

 

気に成る点とは、ここからです。 倭国軍を大敗させた高句麗軍は、何故、そのまま百済を破り対馬海峡を渡って倭国まで攻め込んでこなかったのか?  と、言うか、この時代、朝鮮半島の諸国が海を渡って倭国に攻め込んで来た事実は見当たらない。 逆に、「高句麗・好太王碑」によると、倭国はどんな時でも、何回も対馬海峡を渡って半島へ侵攻している。 

倭国は背後から・・・つまり、太平洋側から攻められる脅威が無かったからだと思う。 逆に、朝鮮半島諸国は、対馬海峡を渡って倭国に軍隊を侵攻させると、満州近辺の国、或いは大陸の国から背後を突かれる恐れがあった。

 

彼らは、武力が弱かったのではなく、侵攻したくても、出来なかったのである。 

後世に同じような場面が2度ある。  一つは、663年、白村江で日本軍に勝利した新羅(唐との連合)は、何故、そのまま攻め込んでこなかったか?  

                       白村江の戦い  (ブログ「堺から日本を守ろう」からお借りしました)

 

二つ目は、秀吉の慶長の役後、疲弊していた日本軍を何故追い打ちしなかったか・・・この時は、李朝鮮国も疲れていたので無理だったのだろう。 でも、何れも背後が心配だったから、朝鮮半島から軍を動かすことが出来なかった、と想像できる。  

 

両側から挟まれた朝鮮半島の地形的な問題による不安・・・・その不安な歴史の積み重ねが、韓国及び北朝鮮の人々の日本国(日本人)に対する恨みや焦りとして渦巻いて来たのかも。 

韓国では、日本は何時の時代でも、侵略してきた」と言う。 「侵略?」は違うでしょう。 これは、日本のみならず、古代・中世に於ける世界各国の歴史の中で起こっていた当然の事実だと思うのだが・・・・。 そこに道徳規範的な善悪は存在していなかった。 しかも、現在の国連定義もなかったのだから。  近辺の敵を倒し、外に向かって領土拡大し、強くなることのみが、生きて存続するための手段だったから。  その歴史の事実は、世界各国にあるのに・・・何故、日本だけに・・・。

 

太平洋戦争を除いて、日本が唯一、本土上陸を許した事件が起こった。  蒙古襲来と言われる「文永の役(1274年)」と「弘安の役(1281年)」で・・・・合わせて17万の大軍が押し寄せ、一部が北部九州沿岸に上陸し、日本軍と交戦した。  

                  元軍・高麗軍の侵入経路  (ブログ 「元寇・防塁の跡」からお借りしました)

日本軍は苦戦したが、防塁(弘安の役)や御家人達の活躍、また暴風による天の助けもあり、これを防いだ。 

               元・高麗軍と戦う肥後の御家人・竹崎季長  (蒙古襲来絵詞)

国連定義で言う「日本の主権を侵していない」ので、侵略ではなく、襲来としているのだろうか(?)。  17万の大軍のうち、3分の1以上が、蒙古)に服従した高麗の軍隊だった。  朝鮮半島の軍隊が侵攻して来た歴史上の事実である。 

文永・弘安の役で、高麗軍対馬で島民全員を虐殺した。 本土上陸後も、民間人への残酷な殺害・略奪が横行。 子供数百人を奴隷として連れ去り、高麗王に差し出した」・・・・これらの記録が、高麗の歴史書に正しく残されている。  多くの韓国の人々もこの事実を知るべきと思う。

 

以上のように、日韓の歴史問題は、古代・中世からあったのだが、現代の両国の対立(問題)は明治以降の近代史だ。 特に第2次世界大戦前後については、未だ存命の当事者の方も多く、双方の一般国民が素人意見を述べることは注意しないといけない。 ただ一つだけ、日露戦争後の「韓国併合」について・・・これは、植民地化したけれど、国連定義に当てはめても、侵略(不法統治)ではない。 大韓帝国と武力戦争はしていないのだから。  何故、韓国政府は侵略と言うのか? イラクの武力によるクウェート侵攻が国連の安保理事会では「侵略」と認定されなかったのに・・・・どうして「韓国併合」が侵略なのか? 

伊藤博文は、貧しい家庭の子供達が学校に通えるようにと提唱し、それによって、100だった小学校が4,000を超えたではないか・・・。 下水道を整備して、不衛生を改善したではないか・・・。 鉄道を敷いて、経済活動を活発にしたではないか・・・。  植民地とはしたけど、国民の文化・生活の向上に力を注いだではないか・・・。 「韓国併合」を侵略(不法統治)」とする1点だけは、承知出来ない。 ヨーロッパ諸国の東南アジア植民地支配とは、まったく内容が違う。 同じ時代に同じ様に統治されていた「パラオ」の多くの人々が、心から日本に感謝しているのは何故か? この事実も再確認する必要がある。 一度、原点に戻って事実をお互いに整理することも大切だ。 当然のことながら、お互いに作り話を事実化しないこと。

 

SNS等で、双方の一般国民が大統領や首相の悪口を書き込んでいる・・・・また、それを読んでナショナリズムに酔っている人もいるが・・・非常に危険だ。  一般国民同士までが、泥沼にはまってはいけないのではないか。 本当に危惧している。 

 

文禄・慶長の役で朝鮮半島の人々を苦しめた数年後、未だ戦争の熱が冷めない中、徳川幕府がスタートし・・・・直ぐに李氏朝鮮と国交が回復している。 そこには双方に、それなりの理由と大変な努力があったようだ。 その辺りに今後の問題解決のカギがあるのかも。

最後に一言・・・うっちゃんは韓国には何度も訪問していて、人々も食べ物も好きだ。

 

日本と韓国 ② 対馬の善隣外交」に続く

 

うっちゃんの歴史散歩

香椎浪漫

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