濱男神社(はまおじんじゃ)
 
香椎宮の末社で、旧唐津街道の道脇に鎮座しています。 御祭神は「神功皇后が朝鮮半島出征の祭、航海の安全を司った神」と伝えられていますが・・・後に触れる「御島神社(みしまじんじゃ)」との関わりからして、綿津見大神(わたつみのおおかみ)であろうと推測しています。
                                       濱男神社 
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神功皇后は仲哀天皇亡き後、朝鮮半島出征を決心しました。 香椎潟沖に浮ぶ御島神社で祭神の綿津見大神戦勝祈願をし、海水で髪を洗って「みずら」という男髪に結われたのです。 橿日の宮(香椎宮)に帰る途中、鎧と兜を身に付けられ、全身が男姿となったので、この海岸辺りを「濱男」と呼ぶようになります。 この濱男に「濱男神社」が建てられ、後に、その前面の道が旧唐津街道となります。
マピオン地図で場所を確認しておきます。
 
                                   香椎参道付近の地図  
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印が濱男神社、●印が香椎参道JR鹿児島本線踏み切り前、印が香椎宮。 緑線は香椎参道(勅使道)、茶腺は旧唐津街道です。 JR香椎駅前から参道踏み切り前の間は、近年まで「濱男通り」と呼ばれていました。
 
江戸時代後期(1810年頃)、博多の商人・奥村玉蘭が描いた墨絵「筑前名所図会」(福岡市博物館所蔵)の中の一枚に「香椎村濱男」を見ることが出来ます。
 
                             筑前名所図会 香椎村濱男  
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申し訳ない事ですが・・・説明が分かりやすい様に、オリジナルの墨絵に色やマークを付けました。
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マピオン現在地図と同様で、印が濱男神社、●印が香椎参道JR鹿児島本線踏み切り前、茶腺は旧唐津街道、緑線は香椎参道(勅使道)です。 明治23年、青色点線のように鉄道(九州鉄道)が開通します。 当時の一ノ鳥居(浜鳥居)は鉄道敷線計画の上に立っていたので、20間(約37m)後面の現在の場所に移動しました。
 
                           現在の香椎参道踏み切り前 ●印
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筑前名所図会」を見ても分かる様に、旧唐津街道の西側は海(香椎潟)が広がっています。 その先に、神功皇后が髪を洗ったと伝えられている御島神社が、海の中の岩礁の上に立っているのです。 昔は香椎宮の神官が、毎日船で御島神社に渡り、海の神・綿津見大神にお参りをしていました。 雨・風が強くて船が出せない時のみ、「濱男神社」からお参りしていたのです。 濱男神社には遥拝所の役割があったのだと考えられます。 神功皇后にとって、志賀島の海の神・綿津見大神(わたつみのおおかみ)が如何に大切な存在だったのかが分かります。 朝鮮半島への渡航の成功を、永久(とわ)に感謝しているのでしょう。 よって、うっちゃんは濱男神社に祀られている「航海の安全を司る神」とは、綿津見大神(わたつみのおおかみ)だと思っているのです。 
 
最初の写真でも分かるように、濱男神社の狭い境内は、エノキの大木が社を覆っています。筑前名所図会」でも、そのエノキが描かれています。 御島神社からの帰り、薄い霧で視界が悪くなった時には、このエノキが目印になったそうです。
 
さて、香椎に住む友人から、「知らんあいだに、濱男神社がなくなっとうとばってん、何か知っとうね?」と、携帯がありました。
 
香椎参道踏み切り(●印)の近くから、旧唐津街道(濱男通り)の濱男神社方向を撮った写真が次です。
                                参道踏み切りから濱男神社方向   
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香椎エリアの区画整備事業によって、手前のビルがなくなっています。 右側が旧唐津街道(濱男通り)です。 先に立花山が見えます。 左のマンションの手前に濱男神社が鎮座していたのですが・・・鳥居も祠も見当たりません・・・エノキだけが残っています。  
                                         濱男神社跡 
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本ブログの一番最初の写真と見比べて下さい。 知らない人は、ここに神社があったなんて感じられないでしょう。 あまりにもアッサリと変わった殺伐な景観に、何かしら・・・虚しささえ感じます。
 
でも、これは区画整備事業という、止むを得ない事情によるものです。 香椎エリアが新しい街として完成する時に、濱男神社はこの場所に戻ってきます。 (香椎宮確認済み)
 
仮のお住まいは何処?だって・・・。 香椎宮の末社ですから、現在は境内末社として遷座している筈です・・・。 綾杉の手前左側から中門を上がると、香椎宮拝殿に向かいますが・・・逆に、綾杉の右側にある扇塚の方へ向かい、右に少し下ると祠が見えます。
                                     扇塚から右方向   
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屋根のある社殿はありませんが、間違いなく濱男神社の祠(本殿)です。 
                                    濱男神社の祠   
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お参りを済ませたのですが・・・屋根も鳥居も無い佇まいの中で・・・何かしら懐かしさと共に、申し訳ない思いも覚えました。
 
これが濱男神社だと言われても、そうとは思えない・・・濱男神社は旧唐津街道(濱男通り)のあの場所にあってこそ濱男神社なのです。
 
うっちゃんは香椎潟に浮ぶ御島神社の祠は神功皇后をお守りした綿津見大神を信仰する阿曇族が建立したのだと思っています。 その御島神社の祠と、神功皇后が祭られている香椎宮」の楼門(境内が広いので結界(けっかい)の役を持つ楼門を基点とした)の間を地図上で線を引いたのです
 
                            香椎宮と御島神社間の地図 
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驚いたことに、その線上に一寸の狂いも無く、「濱男神社印)が位置していたのです。
また、片男佐橋の近くに立つ鳥居印)もこの線上に位置しています。
 
       御島神社 印                                                 片男佐橋近くの鳥居  
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この一直線は神功皇后綿津見大神を結ぶ特別重要な意味を持っています。 よって・・・香椎の街は、これから大きく変わりますが・・・濱男神社はどうしても、(印)の場所に戻らなければならないのです。
 
砂浜も無い、海から遠い街の中に取り残されましたが、神功皇后の朝鮮半島出征をお助けした「航海の安全を司る神」にとって、ここが一番安らぐ場所なのでしょう。 
出来るだけ早く、お戻りになれる様、お祈りしています。
追記:  2020年7月、もとの場所に戻られました。 
 
香椎宮探訪