米国による長崎への原爆投下から、今日8月9日で78年だった。

 

 

 6日の広島での平和祈念式典は猛暑の中で行われたが、台風6号の影響を受けて、今日の長崎での式典は規模を縮小し室内で行われた。

 

 

 

 今日はまず、最近目にしたひとつの記事を紹介しよう。

 

 

 「原爆の惨状をよく伝えているから。その破壊力を目の当たりにし、理解できることがある。想像力は視力を通してより鮮明になる。悲しい記憶だが、このような場を設けてくれたことに感謝している」

 

 

 これはプロ野球・DeNAのトレバー・バウアー投手(米国)が、先月広島の原爆ドームを訪れた時の感想だ。

 

 

 

(広島市の原爆ドーム)

 

 

 

 広島との試合の合間をぬって訪問した理由について、バウアー投手は次のように言っている。

 

 

 「第2次世界大戦は知っている。でもそれはアメリカ人の視点だから。日本人の視点について知りたいから」と。

 

 

(横浜DeNAベイスターズ・トレバー・バウアー投手) 

 

 

(原爆投下直後の長崎・浦上天主堂)

 

 

 

 ところで私は平成の初め、単身赴任した広島の街とそこに暮らす人々に2年間お世話になった。そこで多くの方から被爆の様子や、その後の広島の発展の過程を見聞きしてきた。

 

 

 私が原爆ドームや広島平和記念資料館(原爆資料館)を見学したのはその時が初めてだった。それ以降、広島を訪ねてくる友人・知人には意識して見学を勧め案内した。

 

 

 家族3人も広島に来た時に、原爆ドーム・資料館の両方を案内した。その後ふたりの娘は結婚し、3人の孫たちのうち男子2人は、高校に上がるまでに家族旅行などで広島に立ち寄り見学した。今年中学生になった孫娘にもその機会があったらと願っている。

 

 

 

 

 

 

 広島での勤務を終えて帰京してから30年過ぎた。帰京してから8月を迎えると1人でも多くの人に、広島の被爆の様子を資料館等で見て、原爆の悲惨さをぜひ考えてほしいと思うようになった。

 

 

 

 その後リタイアしてブログを始めた私は、2021年からこの時期になると広島や長崎への思いを投稿するようになった。その投稿2本を添付しておきます。(枠内をクリックすれば開いてお読みいただけます)
 

 

 

2021年8月12日付け投稿『「ダメだ、ダメだ」と言い続ける・・・原爆投下76年に思う

 

 

 

2022年8月4日付け投稿『 ”でも・・見たことがない人は見ておいた方が良いと思った” ~8月6日、原爆投下の日に思う

 

 

 

 ここで、6月29日の朝日新聞「ひととき」に投稿された54歳・女性の ”広島へ一人旅” という話を紹介しよう。

 

 

 (抜粋)『・・・「広島に行ってみたい」・・・翌日、原爆ドームの前に立つと私のウキウキ気分は停止した。長年、来たいと思っていた場所だ。資料館の体験記は途中から涙なしでは見られなくなった。あの原爆投下の日。たくさんの暮らしが広島にもあった。それがたった一つの爆弾で、その年に失ったとされるだけで14万人の命。なぜ原爆は開発されたのか。なぜそれが日本だったのか。幼少期に息子たちをここに連れてくるべきだったなと少し後悔した・・・』

 

 

 

 

 今年5月広島でサミットが開催された。その時、それまで広島の被爆者や県民の中から出ていた「世界の指導者に原爆の ”実相” をしっかり見てほしい」という声がさらに大きくなった。

 

 

 昔から使われていたのだろうが ”実相” という言葉が、妙に私の耳に残った。

 

 

 

 ”実相” とは 『もののありのままの真実のすがた・実際の有様・実際の事情・・・』とある。

 

 

 被爆したモノを自分の目で見る、被爆した人から自分の耳で聞くことで、この “実相” に少し近づくことができる。

 

 

 サミットで来日したカナダのトルドー首相は、5月19日に他の首脳らと一緒に平和記念資料館を視察したが、「もっとじっくり見たい・・・」と滞在最終日の21日午後、私的に再度資料館を訪ねてから帰国している。

 

 

 私はそのニュースを読み、”実相” の迫力というか訴える力を感じた。

 

 

(カナダ・トルドー首相)

 

 

 

 

 ご参考までに、8月6日前後の新聞に掲載された原爆関連記事の中から、より ”実相” に近づくための「見る」「語る」「聞く」につながる記事を転載しました。よろしかったらお読みください。

 

 

 

 『中学生の時、長崎市の長崎原爆資料館で子どもたちが亡くなっている姿を写真などで見ました。佐賀に住む親族からは、原爆が投下された日、多くの大人そして子どもたちが水を求めて線路沿いを歩いてきたという話を聞きました・・・広島や長崎の歴史を見つめれば、本当の被害の姿がわかります』(「被爆国から2023 広島・長崎は問う 歌手・MISIAさん)

 

 

 『・・・被爆者の平均年齢が85歳を超えた中、家族の被爆体験を語り継ぐ人たちがいる。思いを受け継いだ人たちが歩み出している・・・昨年度から広島市が養成を始めた「家族伝承者」は、親や祖父母などから聞き取った被爆体験をもとに講話を行う・・・今年4月、一期生7人が委嘱を受けた』(社会面記事より)

 

 

 『・・・事前学習で戦争について色々と学んでいて、怖さを理解していたつもりだったが、いざ広島に行って平和記念公園の前を流れる川を見ると、体に燃え移った火に苦しみながら水を求める人々の姿が目に浮かんできた。ガイドさんに戦争体験を話してくれた被爆者の思いを受け継ぎ、次は私が戦争を知らない世代に語り継いでいきたいと思ってる』(”声”への投稿 大学生 吉田羽花 19歳)

 

 

 『・・・原点は中学の修学旅行で聞いた広島の被爆者の話だ。「もう一度私が被爆するより、あなたが被爆する可能性の方が高い世界なんだよ」 初めて「私も核がある世界に生きる当事者だ」と感じた』(「ひと」に紹介された核廃絶とジェンダー平等をめざす団体を設立した徳田悠希さん)

 

 

 

 最後に、「国際平和シンポジウム2023・核兵器廃絶への道」の特別トークとして掲載された作家・高村薫さんの言葉を転記しておきます。

 

 

「・・・広島には、抽象論や理想論、政治信条を抜きに、問答無用で非人道的と断罪すべき被爆の実相がある・・・戦後78年、広島、長崎は核兵器の怖さを発信してきました。発信を受け取った人びとが想像力を重ね合わせ、今日の世界の核廃絶への思いにつながっています」


  

 

 

 今日は新聞やネット記事の紹介だけでしたが、機会がありましたら、いや是非機会を作って広島、長崎を訪れ、原爆の ”実相” に近づいてみてください。

 

 

 


 ・・・1945年8月6日午前8時15分 原爆が広島に投下された。そして、3日後の9日午前11時2分に長崎にも投下された。

 

(写真はNHKテレビより)

 

 

(注)写真は、新聞記事「ひととき」を除き、NHKテレビとネットよりお借りしました。ありがとうございました。