1945年(昭和20年) 8月6日 午前8時15分

 

 連合国のアメリカ合衆国が広島市に対して原子爆弾を実戦で使用した。人類史上初の核攻撃だった。

 

 

 

 この原子爆弾投下により、当時の広島市人口の3分の1にあたる約10万人が被爆し、数か月以内に死亡したとされる。また投下後、救助や安否確認などで広島に入った人を含めれば、56万人が被爆したといわれる。そして3日後の8月9日には、長崎市へも投下された。

 

 

 長崎市への投下から6日後の8月15日、戦争は終わった。

 

 

 

 さらにそれから1年7ヶ月後、私は生まれた。今年75歳になった。

 

 

 

( 爆心地近くの原爆ドーム。当時は「広島県産業奨励館」。原爆の悲惨さを伝える建築物として保存されている。)

 

 

 

 先月、朝日新聞に載った投書をひとつ紹介しよう。

 

 

 

( 2022年7月16日付け 朝日新聞 読者投書欄「声」より。)

 

『娘の言葉で行った広島の資料館』

  大学職員 各務 宇春 (京都府 45)

 

 5月末の修学旅行が1週間後に迫って、小6の次女が行きたくないと言い始めた。

 

 旅行先の広島平和記念資料館が恐ろしいという。

 

 館のHPで調べて展示の様子を説明し、「悲惨な目にあった人がそのことを知らない人に伝えたいと考えれば、こういう展示になるのではないか」と伝えると、「それはわかる。ただ、それでも見られない」と訴えた。

 

 結局、本人が担任の先生と話をして、資料館の見学中はロビーで待つこととし、広島に向かった。

 

 帰って来て聞くと、「もう広島に来ることはないかもしれないと思い、頑張って入った。気分が悪くなるくらい怖かった。でも、無理にとは言わないけど、見たことがない人は見ておいた方が良いと思った」との感想。

 

 次女の勇気を誇らしく思い、一度も訪れたことがない私もその週末、ひとり広島に向かった。その展示に息をのみ、足がすくんだ。そして次女の感想に同意した。

 

 広島や長崎へ向かう子どもたちの中には同じように悩む子がいるかもしれない。次女の感想をお伝えし、背中を少しだけ押したい。それでも無理だったらロビーで待って、いつか見ることができると思った日に再訪してほしい。

 

 

 

 

 

 

( 噴水の向こうの横長の白い建物が「広島平和記念資料館」。その中央奥の池の手前に、埴輪の家型を模した「原爆死没者慰霊碑」が見える。さらに奥の木々の間に「原爆ドーム」が見える。)

 

 

 

 もうひとつ「広島平和記念資料館」をめぐる小さな話をご紹介します。

  

 

 昨年末のコロナがやや落ち着いていた時期、次女から「H君のご実家に帰省してきます」とLINEが入った。久しぶりの帰省旅行で、旦那さんのH君の実家は兵庫だが、せっかくだから広島と岡山にも足を延ばしてきます・・・とあった。

 

 

 「広島に行くなら、縮景園前のマンション見てきてよ。それから、S君を原爆資料館(広島平和記念資料館の通称)にぜひ連れていってね」と私は伝えた。S君とは当時中学2年生だった孫だ。そしてマンションとは、平成の始め広島に単身赴任していた時、2年間私が住んでいた社宅だ。妻は「お好み焼きなら広島駅の ”麗ちゃん” が美味しいよ」と、自分が好きだった店を売り込んでいた。

 

 

 私が単身赴任中の夏休みに、まだ高校生だった次女はひとりで遊びに来たこともあった。また、高校の修学旅行でも広島に来たので、宮島の宿舎に会いに出かけたこともあった。その次女も今では中学3年生の母親だ。

 

 

 次女家族が帰京してからだったか、「S君は資料館を見て何か言ってた?」と次女に聞いたら、「ひとりで黙々と見て回っていたよ。とくに感想は聞かなかったけど・・・」との返事だった。

 

 

 私は「ああ、一番いい見学だったようでよかった・・・」とすこしうれしく思った。

 

 

 

 孫のS君が、両親や他の大人の説明を受けることなく、ひとりで黙々と展示物や説明文と向き合っている様子を想像しながら、新聞に投書された各務さんの娘さんもおそらくそうだったのだろう・・・と思った。

 

 

 そして勇気をもって見学した各務さんの娘さんは、”無理にとは言わないけど、見たことがない人は見ておいた方が良いと思った” という感想を、お父さんに話したのだろう。

 

 

 

( 上空から見た広島平和公園。左側が本川で右側が元安川。上部に見える広い空き地は旧広島市民球場跡地。)

 

 

( 現在平和公園のある場所の原爆投下前は、太田川の三角州上にあった中島町。そこには多くの市民の暮らしがあったことがよくわかる。ふたつに分かれた川に架かる橋の位置も変わっていないので、その位置関係がよくわかる。現在の公園前を東西に走る幅100mの平和大通りは、1965年・昭和40年に開通。)

 

 

 

(注)新聞記事を除く写真はネットからお借りしました。ありがとうございました。

 

 

(ご参考) 昨年8月12日に投稿したブログ