「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。まだ詳細は何ひとつわかっていない。何ひとつわかっていないにもかかわらず、それは一晩で急速に炎上した。寝苦しい日だった。虫の知らせというのか、自然に目が覚め、時間を確認しようと携帯をひらくとSNSがやけに騒がしい。」

という書き出しで始まる宇佐見りんの「推し、燃ゆ」(2020年9月)は、第164回(2020年度下半期)の芥川賞を受賞した。

 

 

21歳での受賞は、綿矢りさ(19歳)、金原ひとみ(20歳)に継ぐ歴代三番目の若さである。

この本が、異例の売れ行きを示し、2021年5月には50万部を突破、2023年7月には、早くも文庫化されたので、さらに売り上げを大きく伸ばすのは間違いない。

既に世界15ヵ国で翻訳出版されて、全世界の売り上げは、80万部を超えており、もうすぐミリオンセラーとなることは見えている。

世界で高評価され、英国The Bookseller誌には「TikTok世代のキャッチャー・イン・ザ・ライ(サリンジャー)」とまで言われている。

ちなみに、英訳の題は、「IDOL, BURNING」である。

「推し」を推している女子中高生などに支持を得たのか、大変な勢いである。

この異例のベストセラーを書いた宇佐見りんは、まだ現役大学生である。

大学がどこか明らかにしていないが、ネットで見ると、慶應大学文学部の学生のようだが確証はない。

 

 

デビュー作「かか」(2019年11月)では、第56回文藝賞、第33回三島由紀夫賞を史上最年少で受賞し、第二作目の「推し、燃ゆ」(2020年9月)で芥川賞を受賞、本屋大賞にもノミネートされ、2022年5月には、第三作目の「くるまの娘」が出版されるなど、順調すぎる作家の道を歩んでいるのだ。

 

 

 

ちなみに、三島由紀夫賞というのは、新潮社が主催して1987年に創設され、1988年から受賞者が出ており、近年、話題になったのは、2016年に元東大総長でもあった蓮實重彦が、80歳にして「伯爵夫人」でこの賞を受賞したことである。

 

 

このとき、受賞の記者会見で不機嫌であった蓮實重彦は、「はた迷惑な話だと思っております。80歳の人間にこのような賞を与えるという機会を起こしてしまったことは、日本の文化にとって非常に嘆かわしいことだと思っております」と発言し、自分を選んだことを「暴挙」とまで言い放った。

この受賞会見には、賛否両論がわき起こり、嫌なら辞退すればいいのにという当然の反応から、蓮實の芸風だと言う人もあれば、北野武のように「いいねえ、蓮實さん。切れ味鋭いねえ」と賞賛する人もいた。

誰もが、今さら蓮實重彦に文学賞?と驚いたこの賞を、宇佐見りんが最年少で受賞したわけで、実にこの賞のコンセプトはわかりにくい。

ただ、蓮實重彦が辞退せずに受賞しながら文句を言うところが、この人の面白いところで、東大総長に推挙されたときも、私は蓮實が辞退しなかったことに驚いたものである。

 

宇佐見りんの芥川賞受賞時のインタヴューなどを見ると、作家の中上健次を非常に尊敬していて、中上健次は彼女にとって圧倒的な「推し作家」らしい。

卒論でも中上健次を書きたいと話しているが、この複雑な作家を敬愛しているのは意外でもあるが、好感が持てる。

特に中上健次の「岬」は何度も繰り返し読んだと言っている。

これをきっかけに若い人も「岬」などを読む機会があれば、喜ばしいことである。

 

 

そもそも「推しを推す」という変な言葉が広がったのは、AKB48がブームとなったあたりからで、2011年の新語・流行語大賞には、「推しメン」という言葉がノミネートされている。

アイドルは、今や昔よりずっと身近な存在となり、握手もできて、会話もでき、SNSで直接応援する声を届けられる存在となった。

今の若者たちは、オジサンが、昔、クラスに一人くらいいたあこがれの人を「推している」のと同じくらいの距離感で、それぞれの推しを推しているのである。

 

もっとも、オジサンの昔のあこがれの場合は、「推し」というより、その前に流行った言葉「萌え」の方が近いものがあって、イメージとしては、「萌え」は男子がかわいい女子に対して「萌え」るのに対して、「推し」は女子がお気に入りの男子を強く応援するイメージで、「推し」の方がずっと力強い感じがする。

事実、「推し、燃ゆ」においても、「推し」は単なるアイドルの追っかけではなく、自分の生活の背骨であり、「推しを推すとき、あたしというすべてを懸けてのめり込むとき、一方的ではあるけれどあたしはいつになく満ち足りている」のである。

推しのいない人生は、もはや余生なのだそうだ。

この特殊な文化、推し活をしている人にとってどれほど推しが大切かを世の中に正しく?理解させた小説が、「推し、燃ゆ」なのであるとも言える。

これには、圧倒的多くの「推し活」をしている女子たちの共感を得たとしても不思議はない。

 

「推し」もそうであるが、最近の女子たちはいろいろ力強くて面白い。

理科系女子のリケジョ、歴史好きなレキジョ、相撲好きなスージョ、仏像好きなブツジョ、土木業界で働くドボジョ、林業や森林で働く林業女子、ラーメン好きなラーメン女子またはラージョ、激辛好きな激辛女子、演劇好きなゲキジョなどなど、従来、男子の領域と思われる領域に進出し、XX女子と呼ばれることで、結構かわいく見えてくる。

また自分のことも、「ぼく」と呼ぶ女子が増えているらしい。

それに比べ、男子は、草食系男子くらいしか思い当たらず、やや情けない。

 

「推し、燃ゆ」を読んで、まあ「推し活」とはこういうものかとは思ったが、特に感動するものでもなかった。

ただ、きっと若い人たちは、この世界を生きて行くには、何か自分の中に足りない空虚感があるのだ。

そして、何かに夢中になることで、その空虚感を埋めてくれる背骨が欲しいのだ。

文庫版では、金原ひとみが非常によい解説を書いてくれている。

今後、文学的表現者として、宇佐見りんという作家は、期待される作家であることは間違いないだろう。

 

ところで、かつて年末のレコード大賞には、レコードの売り上げ枚数という客観的な評価基準があった。

これがCDの時代となり、AKB48の握手券などというものが付いて、音楽のためでなく、推しと握手するために(或いは人気投票をするために)、一人で50~100枚も同じCDを買う人たちが出て、もはや、売り上げ枚数というものがアテにならなくなってきた。

さらに今では、ダウンロードだったり、YouTubeで聴いていたりするから、ますますよくわからない。

いろいろな意味で、AKB48は文化を変えてしまった気がする。

 

 

ここで唐突ですが、私の銀行時代の話をしよう。

私は、入社4年目でニューヨーク支店に異動となったため、会社の留学生試験を受ける権利をなくしたのだが、その後、私の同期は続々と留学して米国に来た。

60数名の同期であったが、記憶にあるところでは、MITに3名、ハーバードに2名、シカゴ大学に1名、バークレーに1名、ニューヨーク大学に2名、ペンシルバニア大学に1名と、10人くらいが留学して来た。

当時は何とも思っていなかったのだが、銀行が破綻して、再就職せざるを得なくなったとき、やはり留学してMBAをとっておけばよかったと思った。

 

 

当時は定年まで1つの会社にいるものだと思っていたし、人事部が考えてくれるからと、勝手に安心していたところもあり、資格などには全く興味がなかった。

銀行が破綻して再就職するときまで、私が持っていた資格は、運転免許証だけであった。

一度ほかの会社に移ると、今までとは違って、みんなが私を知っているという環境から、誰も私を知らないという環境に置かれることとなり、その後、外資系金融機関に移ってからは、さらに自分で自分の能力を証明しなければいけなくなった。

1997年11月に山一証券が破綻したときには、様々な年齢の山一転職者があふれた中で、採用面接において、「あなたは何ができますか?」と聞かれて、「部長ならできます」と答えた人がいたことが話題になった。

 

当時の日本の会社では、部長にまでなって、何か自分でやらなければならないという発想はあまりなかった。

部長は人事(好き嫌い)を中心にしたマネージに徹して、業務に直接さわることはなく、たまに部下を飲みに連れて行って、少し多めに金を出すくらいでよかったのだ。

私も経験した外資系金融機関では、当り前ながら、自分で直接業務をやらなければならず、マネージより、自分に何ができるのかが重視された。

ただ、外資系がすべてよかったかと言えばそんなことはなく、いつまで経っても担当者レベルのマネージャーが上にいることも多く、それはそれで鬱陶しいだけだった。

自分より優秀な部下は、自分のポジションを確保するために追い出してしまう場面もよく見たし、能力の低い外人上司に取り入ることだけで生き延びている人もかなりいた。

つまりは、日本の企業だろうと外資系だろうと、要はバランスの問題で、マネージャーになれば楽をするのではなく、マネージャーとしての業務があるということだ。

 

とは言え、次の職を得るために、仕方なく、私も40歳半ばくらいから、必要と思われる資格も取り始め、金融業務を行うには問題ない程度には資格を揃えた。

ただ、留学はしていなかったので、50歳頃になって、留学(MBA)の替わりに、CFA(米国証券アナリスト)くらいはとっておくかと思いついた。

これが、50歳を過ぎて、仕事をしながら片手間で取るにはなかなかの難物で、実際にはLEVEL I をとったところで断念した。

この資格は、さらにLEVEL II、LEVEL III まであって、面倒になったのである。

 

LEVEL I の試験も何度か受けて、ようやく受かったものだ。

この試験は、全世界同じ日に実施されて、午前中3時間、午後3時間と計6時間も英語の問題に取組むので、試験の最後の頃は、頭も体も疲れ切って、かなりランナーズハイみたいなラリった状態になり、50歳を過ぎて、普段は深く眠っている脳が覚醒したような感覚に襲われ、ボケ防止にもいいかなと思って、趣味的に受験を続けた。

但し、試験後に、せっかく覚醒したと意識した脳も、2週間もすれば、またまた深い眠りについてしまうのが常だった。

さらに、大半が20代、30代の若者たちに混ざって試験など受けていると、オジサンになっても努力している人もいるんだよと、勝手に周囲にいいことをしているような錯覚を持ったりもした。

 

もう一つ、この試験で特筆すべき異常さは、試験前の持ち物検査である。

持ち物は厳しく制限されているのだが、試験会場に入ると、さらに係の人に申告して、チェックを受ける。

私は、鉛筆を削って、芯が折れないように透明なキャップをつけていたら、まず鉛筆のキャップは持ち込んでよい物に書かれていないとされ、キャップを取り上げられた。

消しゴムを見せたら、消しゴムを包んでいた厚紙を剥がされて、丸裸の消しゴムにされた。

 

 

さらに、ポケットティッシュの包みもむかれて、ばらばらになったティッシュだけ渡された。

さらにさらにエスカレートして、後に試験を受けたときには、ポケットティッシュも許されず、洟をかみたくなったら、手を挙げて、係の人に1枚か2枚だけティッシュをもらわなければならなかった。

ほとんど、受験生は、最初からカンニングをする犯罪者のような扱いを受けるのである。

従って、自分の席に座るまで、時間がかかる持ち物チェックを受ける列に、かなり並ばなければならないのだ。

 

何回目かの試験のとき、少し会場に到着が遅れた私は、長蛇の列を見つけ、どうせ持ち物チェックの列だろうと、深く考えもせずに、とりあえず並んだ。

その列がいつまでも動かないので、おかしいと思い始めて、ようやく並んでいる人たちを観察してみると、オタク風なのはCFA試験でも同じだったが、何か気配が違う。

思い切って、何の列だか聞いてみると、握手会ですと言う。

なんと、同じ会場の別のホールで、AKB48の握手会が行われており、私はうっかり、その握手会の方の列に並んでしまっていたのだ。

あわてて、別なホールに走り、試験会場が閉まる直前に滑り込んだのだが、もはやそのときは、集中力もなくなり気力も失っていた。

当然、その時の試験には受からず、AKBの握手会を恨んだものである。

 

いずれにしても、結局、LEVEL I でやめてしまって、中途半端なことになったので、今から思えば、最初からこんなことはやめておけばよかった。

50歳にもなって、変な意地を出して、今さら必要もない無駄な資格など取ろうとすべきではなかったのだ。

これも「推し」と同じように、結局、何か自分に足りない空虚感、空洞を埋めたかったのかもしれない。

 

人生は膨大な時間つぶしと言った人がいた。

ありあまる時間をどうつぶしたらよいのかわからないと言う。

多くの人は、時間が足りないと思っている。

何でそんなに時間が足りないのだろうか?

若い人は、いろいろ見たいし、やりたいし、時間は確実に足りないのだが、年齢を重ねても時間が足りないのは、自分の中に、何か足りない空虚感があるからなのだろう。

そうした空虚感を、それでよいとしてしまえば、案外、時間はあるものだ。

 

さすがに60歳を過ぎてからは、好きなことだけやろうという気になってきた。

我々の若い頃には、「就活」という言葉くらいしかなかったのだが、その後、「婚活」、「妊活」、「推し活」、「終活」など、様々な「活」が出てきた。

現実的には、もう残されているのは「終活」くらいなのだが、自分の空虚感を埋めて、少し生き生きとした生活を送り、時間が足りないなどと若い頃のように騒いでみるためにも、ある程度年齢を重ねた人であっても「推し活」はお薦めだ。

 

私の友人で、同じゼミの秀才だったK君は、大手金融機関にいくつか勤務して、ずっと金融調査部門やアナリスト部門、国際会計基準の委員などで活躍を続け、同時に、京都大学でもファイナンスの教鞭をとっているのだが、かなり歳をとってから、Perfumeの「追っかけ」になり、先日も、国際会議に参加するためにロンドンに出張した際、現地に着いて時差もままならない当日夜に、真っ先にPerfumeのロンドン公演に駆けつけ、若い人たちに混ざって、眠気と闘いながらも応援して、興奮気味にその様子を伝えてきた。

K君は、今でもとても考えや行動が若々しくて柔軟であり、頭の冴えも以前と全く変わらない。

とは言え、年齢並みの外観とはなってきているので、Perfumeのストーカーと誤解されないことを祈るばかりである。

 

 

<了>