何も拾わない。 | 道元のブログ

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ものの見方・考え方そして生き方に関すること。

これが実に厄介な存在なのである。

とかく人のことをアレコレと批判するが、自分のこととなるとさっぱり解らない。

端的な例であるが、形がない、目には見えない、音をたてることもない、捕らえられない。

 

この得体の知れないものに、

われわれは朝から晩まで、寝ている時でさえコキ使われ、引き回され、右往左往させられている。

悩んだり苦しんだり、喜んだり悲しんだり、喜怒哀楽とコロコロ変わるのはお手の物なのである。

 

心こそ 心迷わす 心なれ

心に心 心許すな

 

迷うのも心、

悟るのも心、

苦しむのも心、

楽しむのも心、

信じるのも心、

疑うのも心、

向上するのも心、

堕落するのも心、

『千成 (せんなり)やつるひと筋の心より』とは言い得て妙である。

 

禅語に『放下着』がある。

「放下着」とは、「いっさいの執着を捨て去りなさい」という意味。

所有している物だけでなく、過去の経歴や成功体験、思い込みや決めつけといった思慮分別をも捨て去る。

もう捨てるものがない、もはや捨てきったという自負までも捨てなさい、という意味が込められている。

 

心を捨てる。

つまり、自分の心を解放するということだ。

もともとは何もないではないか、ないままにしておいたらいい。

そうすればきっと生きることがもっと楽になるのだろう。

 

今からでもいい、何も拾わないことだ。