身銭を切れ | 道元のブログ

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ものの見方・考え方そして生き方に関すること。

「身銭(みぜに)」って?

あまり聞き慣れないというか、馴染みのない言葉である。

『自分の金』、のこと、を「身銭」という。

身銭を切る、切らない、は自分の金で払う、自分の金で払わない、そういう意味である。

最近、身銭を切らない輩が多くなってきたと、老生は思っているのだが・・・。

 

何も自分の金を使わなくてもいいじゃん、

他人が払うっていうんだからいいじゃん、

もったいねぇじゃん・・・。

果たしてそうか?

 

いやいや、「けち」「しみったれ」なのである。

そう言われて反論するか否定するしかないのだが、それでもなぜか身銭を切りたがらない。

別な言い方では「ひどく物惜しみや出し惜しみをすること」「度を超した倹約」などをあらわす。

「吝嗇(りんしょく)」は好かん!!。

 

他人のためにお金を使うことは自分への投資なのであるが、それがなかなか分からない。

 

「知の巨人」タレブが『Skin in the Game』に書いてあることが実に興味深い。

その原題の訳は「身銭を切る」、本来は金融用語で「なんらかの目標達成のために自腹を切り、

自ら金銭的リスクを負うこと」を指しているが、本書の冒頭にはこう記してある。

 

ここで定義する「身銭を切る(スキン・イン・ザ・ゲーム)」という言葉の意味を、

単なる金銭的なインセンティブの問題と誤解しないでほしい。

金融の世界でよくいう利益の分配の話ではなくて、むしろ対称性の問題だ。

いわば損害の一部を背負い、何かがうまくいかなかった場合に相応のペナルティを支払うという話だ。

 

以下は、本書の概要説明であるがなぜか頷ける。

 

タレブはこの「身銭を切っているか」を厳しく見ている。

これは「発言する人は行動で示すべきであり、行動する人のみ発言を許されるべきである」という信念に基づくためだ。

タレブふうに例を挙げると、

「警官や兵士などが尊敬を集めるのは信念のために自らの命を捧げている(身銭を切っている)からであり、

政治家や経済学者が嫌われるのは高みの見物ばかりで自分ではなんのリスクも冒していない(身銭を切っていない)から」

とでも言えようか。

 

残念ながら現実は、後者の輩、

すなわち「リスクをとらずにリターンをとる(リスクは別の人間に押し付けている)自称"知識人"」が跋扈しているため、

非対称性が生まれている。この非対称性が、やがて格差やフェイクニュース、テロなどといった昨今世界を悩ませている問題を生み、最後にはシステムの崩壊へとつながっていくのだ。

 

だから、タレブはいまわれわれに問いかけている。

 

「お前は、身銭を切っているか」?

 

身銭を切るとは、不確実性だらけの世界を正しく見通し、歩んでいくためのたったひとつの原理原則。

混迷の時代を生きる指針ともいうべき書である。

 

『冷暖自知』-身銭を切って初めて分かることがある。

リスクを取らないことが最大のリスクである。