シーランド公国 | 吉祥寺の内装工事屋 カサハラ装美 社長のブログ

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みなさんこんにちは。東京都武蔵野市で畳、カーテンの販売や内装工事会社を経営している社長のブログです。
日々の出来事等で感じたことなどを書いていきたいと思います。
どうでもいいような話が多くなってしまうかもしれませんが、宜しくお願い致します。

高校生時代世界史を習い

ヨーロッパには小さい国が沢山あります、と

先生に教わった記憶があります

その最たる国が、バチカン市国ですね

サン・ピエトロ大聖堂の敷地内が国家という

日比谷公園くらいの大きさです、と教わった記憶があります

しかし、もっと小さい国があったのです!

世界中で承認している国はないそうですが

世界最小の国を自称しているらしいです

一体どのような国なのかと調べてみると・・・



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ん?

なんだこれは! まさかこの建造物が一つの国家という訳じゃ・・・

そうなんです!これが自称世界最小国家のシーランド公国なんです!

この国の成り立ちはと言いますと・・・




イギリスは第二次世界大戦中、沿岸防衛の拠点として4つの海上要塞と多数の海上トーチカ(これらはマンセル要塞 Maunsell Fort と呼ばれる)を建設した。シーランド公国が領土としているフォート・ラフス(Fort Roughs / U1、ラフス・タワー Roughs Tower とも)は、最も北に位置していた海上要塞であり、1942年から建設された。イギリス沖10kmの北海洋上、ラフ・サンズ(Rough Sands)と呼ばれる砂堆の上に、大きな柱が二本ある巨大な構造物(ポンツーン)を沈め、海上に突き出した柱の上に居住区や対空砲台などが作られていた。
戦時中は150から300人ものイギリス海軍兵員が常時駐留していたが、大戦終了後に要塞は放棄された。ところが、1967年9月2日に元イギリス陸軍少佐で海賊放送の運営者だったパディ・ロイ・ベーツが、イギリス放送法違反で訴えられたため、当時イギリスの領海外に存在したこの要塞に目をつけ独立宣言を発表、要塞を「シーランド」と名付け、自らロイ・ベーツ公と名乗った。
イギリスは強制的に立ち退かせようと裁判に訴えたが、1968年11月25日に出された判決では、シーランドがイギリスの領海外に存在し、またイギリスを含めて周辺諸国が領有を主張していなかったことから、イギリス司法の管轄外とされた。
・・・・・
シーランド公国を独立国家として承認する国・政府が現れることはなかったため、国際的には国家として扱われていない。国際法上の国家成立要件には争いがあり(モンテビデオ条約 (1933年)参照)、宣言的効果説に立てば成立の余地もあるが、創設的効果説では成立の余地はない。
国際法上では国家成立の大きな要件のひとつとして領土をあげており、この領土とは島または大陸の全部または一部であると解されている。そして、海の憲法と呼ばれる海洋法に関する国際連合条約では「島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるものをいう」としている。そうなると、自然に形成された陸地ではないシーランドは「島」ではなく、もちろん大陸の一部でもないため、シーランド公国は国際法上でいう領土を持たないこととなり、国家成立の要件の大きな点を欠いているということになる。

以上 Wikipediaより引用させて頂きました


この国の全人口は4人!

一体どうやって生活しているのでしょうね?

電気は発電機があり発電しているらしいですが

以前は火災事故があったらしいです・・・

食料、水等は・・・

うーーむ、世界には面白い事が沢山ありますなぁ




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