
『第8段母娘乗り鉄旅2022年秋~姉妹会も一緒にしちゃいました “ 3.11を忘れない ” 東北新幹線で行く三陸リアス海岸&青森の旅:1日目②びっくりブルーインパルス✈️&まさかのBRTはJRバス🚌』
からの続きです😄👌
『第8段母娘乗り鉄旅2022年秋~姉妹会も一緒にしちゃいました “ 3.11を忘れない ” 東北新幹線で行く三陸リアス海岸&青森の旅:1日目③3.11を忘れない❗奇跡の一本松と復興の街陸前高田✨』






































































太平洋につながる広田湾に面した高田松原(松原)は、350年にわたって植林されてきた約7万本の松の木が茂り、陸中海岸国立公園(現三陸復興国立公園)や日本百景にも指定されていた景勝地であったが、2011(平成23)年3月11日14:46発生した東北地方太平洋沖地震による津波の直撃を受け、ほとんどの松の木がなぎ倒されて壊滅した。しかし松原の西端近くに立っていた一本の木が津波に耐えて、立ったままの状態で残ったことから、東日本大震災(震災)が陸前高田市のみならず広く東日本の太平洋沿岸地域一帯に甚大な被害をもたらした中にあり、この木は震災からの復興への希望を象徴するものとして捉えられるようになり『奇跡の一本松』(希望の松)と呼ばれるようになった。
震災後、この木を保護する活動が続けられたが、根が腐り枯死と判断。現在は震災からの復興を象徴するモニュメントとして幹を防腐処理し心棒を入れて補強・枝葉を複製したものに付け替える等の保存作業を経て、元の場所に再び立てられている。
2011年3月11日の14時46分に発生した地震は大規模な津波を引き起こし東日本の太平洋沿岸部を襲った。津波の第1波は松原付近に15時23分 - 24分頃に到達、最大17メートルの高さをもって松原の木をほぼ全てなぎ倒した。一本松から40メートルほどの場所にあった陸前高田ユースホステルも全壊。しかし一本松は10メートル程度の高さまで波をかぶったが倒れずに津波に耐え、枝も幹も無事な状態で残った。松原の7万本の木の中で一本松だけがほぼ唯一生き残った理由は一本松と海間にユースホステルが建っていた為建物が防波堤となり津波の直撃を防いだ事・一本松自体が他の松に比べて背が高く過去の津波でもぎ取られ波の高さに枝がなかった為流されてきた瓦礫が引っかからなかった事・幹も太かった事等が作用したと推測されている。