『清性寺』
清性寺は、快遍(宝暦8年=1758年2月27日没)開山と新編武蔵風土記稿にありますが、寛文2年(1662)の住職の墓があることから、江戸時代に入ってから金乗院末として創建されたものと推定されます。
明治維新の廃仏毀釈に際し、阿弥陀堂(北町2-18:現存)、威徳院(豊島園附近にあった)、松林寺、高徳寺(北町5丁目歩道橋附近にあった)、東林寺(金乗院門前にあった)等と共に金乗院に吸収されています。
ー境内掲示による清性寺の縁起ー
清性寺は江戸時代の初期よりあり「新編武蔵風土記稿」にも記録されてます。
その内容は、「金乗院末、下三ヶ寺並に同じ、神明山観音院と号す。本尊不動は弘法の作、長さ1尺2寸立像なり。法流開山快遍宝暦8年2月27日化す。」とあります。歴代の住職の墓石の名前を見ますと、かなりな高僧であったことがわかり、権威の高さがうかがえます。境内には明治の初期までは、鐘楼もあったと言われ、寺の敷地はかなり広大であったものと思われます。
清性寺の入り口にある「招魂碑」には千川上水の開拓者、千川家の名前を始め、多くの阿弥陀堂有力者の名前が刻まれている事が上げられ、阿弥陀堂との関係の深さを物語っています。又、清性寺と阿弥陀堂は一体であったものと判断できるものであります。この事をとらえ、双方の墓石などの年代を追いますと、清性寺には寛文2年(1662)の住職の墓があり最も古く、他にも寛文11年の尼さんの墓があり、330年以前の徳川時代初期から本寺が実在していた事が実証されるものであります。阿弥陀堂では寛文12年(1672)のものが最も古く、創世期の清性寺、阿弥陀堂、双方の往時の歴史の重さが感じられます。
又、現存する寛政4年の「下練馬絵図」を見ますと、本寺の規模も知ることができ、往時の賑わいを偲ぶことが出来るものであります。
本尊不動像は、弘法の作とあり製作年度は不明ですが、この度の火災により、全体が焦げ、手は無いものの現存致しており、又、ご本尊以外にも比較的大きな弘法大師像、木魚等があり、同じ年代の作と思われます。この様な古い仏像は、北町ではこれ以外に実在せず、我が街の宝として大切に保存、後世に残さなければなりません。このために、お堂、稲荷社等を多くの関係者の努力により、この度再建をし、合わせて地域の皆様の幸せを願うものであります。合掌
『白狐稲荷神社』
ー白狐稲荷霊石の由来ー
白狐稲荷は白い狐が石に浮き出ている霊石で、徳丸の斉藤家から祭りこみを依頼されたものと言われてます。
斉藤家の由来によれば、これは、豊臣秀吉公の守り神であったが、慶長5年、関ヶ原の戦の際に、秀頼公から石田三成に渡したものだと言われ、戦いに敗れた石田三成は、越後に逃げ延びたが、大切なこの石を泊まった宿に預けてしまったため、捕まって死罪になったと言われております。もしこの霊石を、離さず持っていれば難に遭わなかったのではないかと言われ、その後は、この宿の災難よけの稲荷となっていたものだそうであり、斉藤家はその宿の子孫にあたります。『練馬の伝説より』
〈平成8年5月吉日 清性寺管理委員会
広域地図では、名前も出てこない『清性寺』と『白狐稲荷社』ですが、由緒書きを読んだら、実はすごく由緒高い処だったので、別アップしました😁👌
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210823/10/kas-color2000/72/71/j/o0560042014990704590.jpg?caw=800)
「手放したら入ってくる宇宙の法則」
〜恋愛もお金も物も、手放すと叶う〜
手放したら入ってくるってどういうこと?
お伝えしたいのは、「出したら入る♡」ということです。
「え〜??」と、最初は半信半疑でも大丈夫です。
でも、手放すと本当に入ってくるようになるんです!!
手放すことで身軽になり、チャンスや運をどんどんキャッチできる自分になっちゃいましょう♡
まず知って欲しいエネルギーの法則!
少しスピリチュアルな話になっちゃいますが、世の中のすべてのモノはエネルギーでできています。
モノ、人、お金もすべてエネルギー!!
エネルギーの集合体である私たちは、常にエネルギーの影響を受けているんです。
このエネルギーっていうのは、抱えているものがたくさんあればあるほど身動きが取れなくなっちゃうものなんです。
物理的に抱えているものを手放すと思考もスッキリし、新しいことをどんどんできるようになります♡
詳しくお話するとすごく長くなっちゃうので、まずは「ふ〜ん、そうなんだ」と思ってもらえればOKです。笑
何を手放す?4大手放しリスト!
よし!手放して身軽になろう!
運やチャンスを受け取れる自分になろう!
そう思っても「じゃあ、何を手放せばいいの??」ですよね。
手放すものは次の4つです。
①モノを手放す
②ヒトを手放す
③コトを手放す
④思考を手放す
これは簡単な順番になっているので①から挑戦してみるのがオススメ。
具体的にどう手放すのかを一つずつご紹介していきますね。
①モノを手放す(断捨離・物をどんどん捨てる!)
いきなりですが皆さん、今いるお部屋を見回してみてください。
皆さんのお部屋は
綺麗に片付いていますか?
物が散らばっていますか?
物がたまっていますか?
「あなたの部屋=心の状態」です。
部屋にエネルギーがたまっている=心にエネルギーがたまっている
ということなんです。
もしお部屋が散らかっている場合は、心が散らかっているかもしれません。
もし物がいっぱいたまっている場合は、心もエネルギーがぱんぱんにたまってしまっているのかもしれません。
お水をずっと同じ場所に動かずに置いておくとだんだん淀んできますよね。
循環してこそお水はキレイでいれるわけです。
それと同じ!!
エネルギーも循環させないと淀んでしまいます。
エネルギーを循環させることが大切なんです。
オススメなのは断捨離です。
定期的に物の断捨離をしましょう!
断捨離のコツは自分がワクワクするものだけを手元に置き、あとはぜ〜んぶ捨てちゃうということ。
買う時もワクワクするかを基準に選択。
そうするとワクワクするものだけに囲まれて、とっても幸せな生活になるんです♡
あと、1年以上使っていない&触っていないものもぜ〜んぶ捨てちゃいましょう。
過去の皆さんには必要だったかもしれないけど、それはもう今の皆さんには不要なもの。
次のステージに行くチャンスです♡
②ヒトを手放す(人間関係の整理、元彼などを手放す)
「つるみの法則」って聞いたことありますか?
「今、よく一緒にいる人5人の平均年収」=「あなたの1年後の年収」と言われています。
収入をあげたい、人生を変えたい。
それには、「誰といるか」がとっても大事なんです!!
自分の夢や理想を語って「できるよ!」と言ってくれる人とだけ一緒にいるようにしましょう。
つまり、「そんなの無理だよ」「できないよ」と自分を否定する人を手放すということですね。
一緒にいる人の考え方や口癖や行動って自然と自分にもうつるようになります。
どんどん言葉が変わり、潜在意識が変わり、夢や理想の方向に自分が変わっていけるんです。
また、周りの人から女子会や飲み会などに誘われた時にも「ワクワクするかな?」と、自分に問いかけてみてください。
誘われたら断らないではなく、自分の心が躍る、ワクワクする集まりや人とだけ付き合うようにしてみましょう!
③コトを手放す(スマホの時間など、今抱えている問題を手放す)
人生は時間でできています。
時間の積み重ねが人生なんですね。
時間=人生=命です。
つまり、何かに時間を費やすということは、命を削って費やしているのと一緒なんです。
例えばセミナーを学びに行った。
セミナーを受けるために費やす時間は、あなたの命を削って費やしているということ。
セミナーでの学びをアウトプットするというのも、命を大切に使うのと同じなんです。
一番ダメなのは学びっぱなし。
これは命を削ってただ時間を浪費しただけになっているからもったいないのです。
なので、学んだらすぐアウトプットが大事なんですね。
時間は止められません。
ぼーっとしていたらどんどん過ぎていきます。
大切な皆さんの時間(命)は
ただ入ってきたことをやるのではなく、ぜひ自分の理想が叶えるためのことに使ってください。
そのためには無駄な時間は、辞めたいことリストを作成してどんどん手放していきましょう!!
例えば、だらだらゲームや携帯を辞める、だらだらテレビを見るのを辞める、など。
皆さんの大切な命、何に使いますか?
ぜひ一度考えてみてくださいね。
④思考を手放す(思い込みを手放して自己認識を変える)
これが最後ですが、これが一番大変です。
〜しなければならない。
私は〜だから。
みんな〜って言うから。
などなど、わたしたちは思考に支配されています。
「自分が不足している」
「自分には価値がない」
「完璧じゃない人を許せない」
などの思考もそうです。
こういう否定的な思考を持ったままでは、エネルギーはマイナスに循環してしまいます。
よく「思考は現実化する」と言いますがまさにそうで、思考を変えないままではいくら成功したくても成功できないんです。
まずは
「こうであらねばならない」という思い込みを手放しましょう。
思い込みを手放すのはなかなか難しいことです。
でもぜひ皆さんには「手放す思考リスト」を作成して一つ一つやってみてほしいんです。
自分で自分の手放したい思考に気づくというだけでも、大きな一歩です。
思い込みから解放される理想はスルスル現実になるし、本当の「あなた」が最強のパートナーになってくれますよ♡
手放し上手になって豊かになろう♡
p.s. 石田三成は、豊臣秀吉公の守り神であった “ 白い狐が石に浮き出ている霊石 ” を、慶長5年関ヶ原の戦の際に、秀頼公から渡されたが、戦いに敗れた三成は、越後に逃げ延びた際、大切なこの石を泊まった宿に預けてしまった為、捕まって死罪になったと言われている。
もしこの霊石を、離さず持っていれば難に遭わなかったのではないかと言われ、その後、この宿の災難よけの稲荷『白狐稲荷社』となった。『練馬の伝説より』
大切な物は、手離さないように❤️