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行雲流水 ~所長の雑感~

松田進税理士事務所 所長の松田が日々思うことを思うままに綴った雑記帳

同志社校友会の初めての海外での催し、表題の案内が同志社タイムズ紙上に出たのは7月半ばだったでしょうか。具体的にどんな行事があるのか、誰が参加するのか分からぬままに、思い切って家内と二人分申し込みました。心の隅に出来れば、アメリカで是非見てみたい二つの場所がありました。一つは「フリック・コレクション」もう一つは校祖新島襄の母校「アーモスト大学」です。

 

916()5時起床、伊丹経由で成田へ。成田発午前1050分でニューヨーク、ジョンエフケネデイ空港まで13時間のフライトです。ニューヨーク着は現地時間午前11時頃でしたがホテルチェックインは夕方、911の跡地にある………新しいビルの見学など市内観光で時間をつぶし、ようやく午後6時、シェラトンニューヨークタイムズスクエアホテル到着、私たち二人は夕食のため予約しておいた「ブルーノート」へ。

 

【ブルーノート】

ご存知の方も多いとは思いますがここはジャズの聖地、行った甲斐はありました。本場のハンバーガーをつつきながら、ビールを23杯傾けた8時ごろ、3人のミュージシャンが舞台につくと、静かにギターがつま弾かれ、ゆっくりと木管がギターに合わせます。パーカッションが続くともうジャズになっていました。リズムに合わせてほろ酔いの体が左右に揺れ出しました。曲の名もプレーヤーの名も知らぬままに、ジャズの世界に入り込んでいました。タージマハールトリオ、知っている人は知っている有名人だそうです。ホテルへ戻って就寝は11時頃、自宅での起床からほぼ27時間、フライト中に23時間の仮眠は取れたと思いますが、良く持った体に感謝。

 

【フリック・コレクション】

 5年ほど前にニューヨークへ行ったとき、メトロポリタン美術館へは行ったのですが巨大過ぎて疲れだけが残ったような気がしていました。帰る直前に、個人の住宅そのままに、その人のコレクションを展示している凄い美術館があるよ、と聞いたのですが時間切れでした。それがフリック・コレクションです。今回、大懇親会は17()の午後5時から、時間は土曜日一日たっぷりあります。しかもホテル、コレクション、懇親会会場はすべてマンハッタン、歩いても30分以内、タクシーならほんの5分、10分です。午前中一杯かけてゆっくりと寛いできました。

 英文のパンフによれば、コークスとスティールで財をなしたヘンリー・クレイ・フリックの遺言でできたものだそうです。フェルメールが3点あるというだけでその充実ぶりを想像してください。観衆はまばら、時代物のソファーに腰かけながらゆったりとした時間でした。詳しい中身を知りたい方はHPでどうぞ。ニューヨークへ行く機会のある方には是非お勧めします。

 

【同志社校友会ニューヨーク大懇親会】     

 917()1730分、マンハッタンの日本クラブ2Fローズルームで表記の会が始まりました。同志社総長、大谷實先生、校友会会長、井上礼之氏も含め日本からの参加者は20名足らずでしたが、ニューヨークのみならず全米各地からの校友が集い、上は現地に定住されている80才以上の方から20代の留学生まで、100名を超える大懇親会となりました。後半は法学部卒業で現地で活躍されている、滋賀県出身のジャズシンガー深尾多恵子さんのジャズライブで盛り上がりました。ジャズ版、琵琶湖周航歌もなかなかのものでした。深尾さんのライブは1121日京都でもあります、行くつもりです。今後も世界各地でこんな催しがあれば楽しいかも。

 

【アーモストカレッジ】

アーモストという町は、ニューヨークからボストンを目指してバスで北上すること5時間ほどの所にあります。18()ボストンへの途中、アーモスト大学を訪問しました。アーモストは学生数は1800人ほどの小さいカレッジなのですが、全米で十指に入る難関校だそうです。広い敷地の中にチャペル、寄宿舎、教室、グランド、同志社寄贈の日本庭園などが点在していて、町と学校との区別がつきません。アーモストグッズを買った店も生協のような組織なのか、町のお店なのか区別がつきませんでした。特筆すべきはチャペルの中、卒業生の肖像画が12階に何十と飾られているのですが、新島襄の肖像画は1階向かって正面右手の一等場所に飾られていました。しかも他の肖像画は人も場所も移動するのだそうですが、新島だけは不動なのだそうです。異国の留学生とその後の同志社との関係を重く取られていることに、同志社人としては、大感激でした。 

 

【番外ハーバード大学】

 19()ボストン市内観光の最初の訪問地がハーバード大学でした。さすが全米一というか、世界一の有名校、難関校だけあって堂々たるたたずまいでした。校内には学生、一般人、観光客が自由に入っているのですが、ガイドによればハーバードの学生はすぐ分かるそうです。そういえば学生は、男女を問わずなんとなく賢そうで威厳のある顔つきをしていました。アーモストもハーバードも授業料は寄宿費も含めて6万ドルか7万ドル、大変ではありますが両校とも返済不要の奨学金が充実しているようです。

 

慌ただしい46日の旅でしたが中身はとっても充実した日々でした。感謝。

劇場の照明が消えると、四方からのスポットライトを浴びて、テントの頂上から真っ黒の衣装にキラキラと光るものをつけた「クリスタル・マン」がスーッと舞台におりてきました。

 

地球の生命の起源と言われる、地球に落ちた隕石や彗星の欠片をイメージしているのだそうです。クリスタル・マンに刺激された太古の魚と両生類が生き生きと躍動を始めます。亀の甲羅と骨格をイメージしたという、不思議な形の構造物を使っての連続の演技、それこそリオでの内村航平、白井健三など体操チームが大挙移動して来たかのような、鉄棒と段違い平行棒を組み合わせたような集団の連続技が続きます。

 

舞台は一転、北米先住民のイメージ。太鼓のリズムをバックに二人のインディアンが5個のフープを自在に操りながら、舞台を所狭しと踊り続けます。動物や風景をダイナミックに象り、神話や伝説に命が吹き込まれ、絶え間ない生命の連鎖を体現しているのだそうです。(パンフレットから)

 

次は晴れやかな5人の女性の登場です。高さ2メートルの一輪車に乗り驚異のバランス技を披露しながら、金属製のボウルをジャグリングしてゆきます。片足漕ぎをしながら自分の足から頭へ、互いに向き合って相手の頭に足で放り上げる。舞台を円形にぐるぐる回りながらの演技は晴れやかで綺麗でした。失敗してもさっと手で受けて素早く頭にかぶせるなど、けっこう笑いも取っていました。

 

近畿税理士会厚生部も時には粋な催しを企画してくれます。厚生部の文化行事として92日に相当数の入場券を確保したようです。シルク・ドゥ・ソレイユはカナダのモントリオールに本拠を置くサーカス団です。いつかテレビで、日本人の女性のオリンピアンが次回のオリンピックを目指すか否かを迷いながら、シルク・ドゥ・ソレイユの門をたたき成長してゆくドキュメンタリーを見ていたので、興味は持っていましたが、実は日本公演をしていることも知りませんでした。厚生部に感謝です。

 

舞台は30分の休憩を挟んで1時間ずつ計14の出し物がありました。それぞれリズミカルで力強い演技であっという間に時間が過ぎてゆきました。なかでも前半の「フィックスド・トラピーズ・デュオ」と後半の「ローラ・スケート」は圧巻でした。「フィックスド・トラピーズ・デュオ」は、地上6メートルほどのブランコの上で命綱なしに演じられる男女のパフォーマンス、「ローラ・スケート」は文字どおり直径1.8メートルの小さな台座の上で、男女が息を飲むほどのスピードで回転、旋回します。織田信成が「現役時代の僕よりめちゃくちゃ速く回っていましたね。」とパンフレットで述べています。ともにサーカスらしい演技でした。後ほど説明を見ると、前者は青春の恋、後者は成熟した恋を表現しているのだそうです。

 

場所は京阪中之島駅の直近、ビッグトップと名付けられたテント劇場。実はこのビッグトップをはじめ、エントランス・テント、アーティスティック・テント、キッチン、事務所はすべて移動式。電源も完全自給式で、現地で必要なのは水とインフラの通信設備のみ、輸送には85基のコンテナを利用し総重量は2000トンになります。

出演者の出身地もバラエティに富んでいます。ランダムにあげてみると、イギリス・オーストラリア・ブラジル・中国・ベラルーシ・アメリカ・ドイツ・フランス・カナダ・モルドバ・モンゴル・ロシア・スペイン・ウクライナ・日本・イタリア・ベルギー・フィンランドと18ヶ国にわたっています。

 

「シルク・ドゥ・ソレイユ」はもともとカナダの若手のストリートパフォーマー集団から誕生したようです。1985年に至り動物を使わないサーカス・アートとストリート・パフォーマンスの魅惑的かつドラマチックな融合体として成功して以来、世界各国で上演を繰り返しています。日本でも19925月の初演から毎年のように公演を続けています。それも今回初めて知りました。

 

今回感心したのはプロジェクションマッピングです。映像技術だけで、舞台が時には、湿地に、川の水源に、沼地に、湖に、海に、火山島に、池に、そして星空にもなります。大阪城の城壁にマッピングされた写真を新聞紙上で見たことはありますが、こんなにダイナミックに瞬時に変化させられる舞台装置に使えるのは驚きでした。

 

「百聞は一見に如かず。」是非大阪中之島まで足を運ばれることをお勧めします。大阪公演は1023日まであります。チケットはWEBでも電話でもコンビニでも買えるようです。当日券も売り出していました。

満洲国演義()「風の払暁」、()「事変の夜」、()「群狼の舞」、(四)「炎の回廊」、()「灰塵の暦」、()「大地の牙」、()「雷の波濤」、()「南冥の雫」、()「残夢の骸」。1928年満洲国誕生前夜から1946年敗戦の翌年までを描いた、船戸与一の遺作、全九巻を8月に読了しました。

 

「……小説は歴史の奴隷ではないが、歴史もまた小説の玩具ではない。……使用した資料はすべて市販されている……」とあとがきに著者も記している通り、すべて日本の負の歴史を余さず、隠すところなく書ききったものと思われます。


 奉天総領事館に勤務する敷島太郎、満洲で馬賊を率いる次郎、関東軍の策謀に関わる陸軍憲兵少尉三郎、左翼思想に共鳴する早大生四郎を狂言まわしに「王道楽土・満洲国」をめぐる実在の人物と事件を描いたこの物語は、読物としても一読に値しますし、隠された歴史を補う資料としても貴重なものと思い、是非一読をお薦めします。


 ただ読み進むにつれて説明のつかない苛立ちが胸にたまって来ました。日本人、満人、鮮人たち民衆は戦禍の前に無力ですが、それを守ろうとする機関はどこにもない。関東軍、中国革命軍、八路軍それぞれ策謀の限りを行使しながら、命令の出所も責任の所在も曖昧模糊なまま。日本政府、参謀本部、関東軍、陸軍、海軍、誰が何を目的に何をなそうとしているのかが分からぬままに、後に引けないのっぴきならない事態だけが進行してゆく。その結果が満洲国と大日本帝国の消滅でした。


 釈然としないままのある日、書籍の新聞広告が目に飛び込んで来ました。『明治維新という過ち~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~』原田伊織著。

「はじめに」から抜粋すると。

 

「……平成日本は今、危険な局面に差しかかっている。彗星の如く国民の不満を吸収する政治勢力が現れるのは常にこういう時期であり、それが正しい社会の指針を提示することは少ないのだ。……ところが、日本人自身に自国が外国軍に占領され、独立を失っていたという『自覚』がほとんどないのである。従って、敗戦に至る過ちを『総括』するということもやっていないのだ。ただ単純に、昨日までは軍国主義、今日からは民主主義などと囃し立て、大きく軸をぶらしただけに過ぎなかった。

 実は、俗にいう『明治維新』の時が全く同じであった。あの時も、それまでの時代を全否定し、ひたすら欧化主義に没頭した。没頭した挙句に、吉田松陰の主張した対外政策に忠実に従って大陸侵略に乗り出したのである。つまり、私たちは、日本に近代をもたらしたとされている『明治維新』という出来事を冷静に『総括』したことがないのである。極端に反対側(と信じている方向)へぶれるということを繰り返しただけなのだ。……」

 

私にとってまさに「目から鱗」でした。われわれが信じさせられている(そして私が今の今まで信じていた)「明治維新」は薩長政府が勝てば官軍として創り上げた、物語に過ぎない、というのですから。

 

「黒船来襲」ペルー艦隊を初めて見た幕府はなすすべもなく、国難と直感して立ち上がった薩長土の志士たちが「尊王攘夷」を唱え明治維新を成し遂げた、が我々が信じ込まされた嘘。実は幕府はペルー来航の1853年を10年先立つ1842年に外国船に対する「薪水給与令」を発令し事実上鎖国を開き、英米露に対する交渉経験は充分持っていたこと。黒船は外輪蒸気船の呼称ではなく、西欧列強の航洋船は防水のため黒色のピッチを塗っていることから一般に外国船をそう呼んでいたに過ぎないこと。

 

「吉田松陰」は長州藩でも札付きの悪ガキで長州藩自身がこの男にはほとほと手を焼きついには家禄没収、士籍を剥奪しています。松陰に扇動され、幕末の京都で放火、暗殺を繰り広げ、ついには御所に大砲まで打ち込んだのが、桂小五郎をはじめとする、過激派浪士たち。「池田屋騒動」は彼ら長州テロリストが御所の焼き討ちと天皇拉致を図ったのを、新選組と会津藩が辛うじて食い止めた、のが真実。

 

偽勅や奇兵隊の蛮行を伴いつつも、「関ヶ原」以来の怨念をはらし、政権を握った長州閥は、伊藤博文と山形有朋が天皇を神格化し絶対権力を握るとともに、吉田松陰が提示した「幽囚録」に示されたとおり、朝鮮を併合し、満洲領有に向かった。

などなど私には初めての史実に詰まった書物です。

 

あとがきには次のように書かれています。


「世界史的にみても人類にとって類稀な固有の特性をもつ『江戸システム』を、関ケ原以来の怨念と政治的私欲に突き動かされて崩壊させて百四十余年。私たちは、官軍の後付史観のみを押しつけられて、それを無条件に信じるだけで一度もその適否、是非、功罪を検証していないのではないか。このことは、実に罪深いことであると言わざるを得ない。」

 

慶応48月と題して、会津城下、籠城中の夫の留守を守る女に奇兵隊(と思われる)の一人が襲いかかる短い場面が『満州国演義』の始まる前に画かれています。言外に現在に対する警告であったのかも知れません。

憲法論議を始める前に多くの人が、知るべき事柄が一杯詰まっている本でした。こちらも是非一読をお勧めします。

題名・・・※題名が長いためこちらに題名の全部を掲載

『地権者は「ゴースト」~所有者不明地という日本の課題と

確実に「ゴースト」を生み出す投資マンションとわが町内の課題から

見えて来た京都の将来』

 

 

「被災地の復興は何故遅いのか………。繰り返されてきた問いの答えは「土地」にあった。集団移転に必要な土地を自治体が買収したくとも、その所有者が生きているか死んでいるか、何処にいるのかもわからない。この土地問題こそが復興を阻んでいた。また、死者が土地を所有し、その「ゴースト」に課税を行っているケースは被災地に限らず全国各地に多い。日本に長く根をおろす土地制度の課題にせまってみた。」という書き出しの記事が622日のヤフーニュースに出ていました。

 

国道161バイパスを北上し、途中トンネルを出ると、すぐ左手の三角地に「誰かこの土地の所有者を知りませんか」という大きな看板を見られた方も多いと思います。何か問題が起こっているが、登記簿上の所有者の所在不明のため解決の糸口も見いだせない、日本各地でこの問題が頻発していることが窺われる光景です。特に民法相続編のゆきすぎた平等の権利意識が未登記問題を多発させている理由の一つではないかとも思っています。

 

この記事に前後してわが町内にとんでもない問題が発生していました。わが町、下清蔵口町は上御霊前通の小川通から新町通に面しています。妙覚寺、妙顕寺、本法寺と著名な寺院に囲まれ、本法寺の東側には、裏千家、表千家の茶道家元もあります。その一画につい最近100坪ほどの空地が出来ていました。ここにマンション建設問題が沸き起こりました。3回目の近隣説明会には是非出席をというお触れがまわって来ましたので出席しました。行ってみて初めて分かったのは100坪の土地に5階建て27室の投資用賃貸マンションの建築計画でした。

 

皆さんの意見や問題提起を箇条書きにしてみると、

 

▷地域の景観から見て一戸建てが望ましい。

▷この地域では3階建てしか建てられないと聞いているのになぜ5階建てなのか。

▷投資マンションで所有者と居住者が別人なので防犯上問題がある。

▷工事中の危険から子供、住民をどう守るのか。

 

などなど現状変更に対する不安が主でした。

 

それに対する会社側の対応は

 

▶一戸建て、3階建てでは採算がとれない。

5階建ては道路幅の関係で法律上問題が無い。

▶子会社の管理会社が管理するので、防犯上その他の問題は

起こしません。

 

と、とても住民の声に耳を貸そうなどという姿勢は見られませんでした。

 

そこで私の質問と回答です

 

【質問】 27室に27人のオーナーですね?

【回答】 そうです。

【質問】 土地の登記人は?

【回答】 共有登記になります。

【質問】 建物の登記人は?

【回答】 個別部分は27人の固有登記、共有部分は共有登記になります。

【質問】 230年の間に南海トラフの大地震の可能性が高いと言われています、地震が無くとも30年後50年後には大改装が必要だと思いますが、出来ますか?

【回答】 オーナーの5分の4の賛成で出来ます。

【質問】 遠隔地でお互い面識のないオーナーの5分の4の賛成を何十年後に得るのは事実上不可能ですね?

【回答】 ……… 回答なし

【質問】 ということは何十年後にはこの建物は廃墟になりますね。百年後には絶対に廃墟になっています。そんな建物を無責任に建てるのですか?

【回答】 百年後、二百年後のことを今からどうとか言えませんのでこれ以上コメントいたしません。

 

この会社、遅くとも百年後は確実に廃墟となるとんでもない投資マンションを既に39棟建設済み、これで40棟めだそうです。私の目には遅くとも百年後京都のめぼしい繁華街や閑静な住宅地に、累々と建っている幽霊のようなビルが目に浮かぶのですが、皆さんいかがお考えですか。 

 

この会社の社長、723日、グランフロント大阪の日経不動産投資フェアで「投資の穴場『京都』がなぜ投資家にとって有利なのか?」と題して講演をするそうです。そして平成23331日付で門川市長から「京景観適合建築物」の感謝状を、この会社様がもらったとコピーを説明会場に持ち込んでました。

「歴史の資料に表れる南海トラフの大地震は684年・白鳳(天武)地震が日本書紀に記録されて以来、

203年おいて887年仁和地震、

209年おいて1096年・1099年永長・康和地震、

262年おいて1361年正平(康安)地震、

137年おいて1498年明応地震、

106年おいて1605年慶長地震、

103年おいて1707年宝永地震、

147年おいて1854年安政地震、

90年おいて1944年・1946年昭和地震、とほぼ100年から200年の間隔でくり返し起こっています。富士山の宝永大噴火は宝永地震の49日後に起こっています。」

 

530()毎年恒例の京一商・西京文化サロンが京都ホテルオークラで開催されました。今年は京都造形芸術大学学長(元京大総長)の尾池和夫先生をお招きし、一般市民数百人とともに京一商・西京のOBが「京都の地球科学」と題する講演を拝聴しました。科学者でも俳人でもある先生の講演は、巨大地震の単なる警鐘にとどまらず、地球の歴史から日本列島の成り立ち、独特の自然に恵まれた日本の暮らしと文化まで、示唆に富んだものでした。私の力不足ですべてを伝えきれませんが、エッセンスだけでもこの紙面で許す限りまとめて見ました。

 

100年から200年ぐらいの周期で起こる南海トラフ地震はフィリピンプレートがユーラシアプレートに潜り込むひずみが、限度をこえて跳ね返るために起こります。そしてこの運動が日本列島をユーラシア大陸から切り離し、今の日本海はその運動のために出来た世界でも珍しい縁辺海で1600万年ぐらい前にでき始め、700万年ぐらい前に今の形になりました。そして黒潮(暖流)が日本列島で左右に分かれ北上することで、高温多湿の日本の気象を形づけ、豊富な山海の恵みと豊かな日本の文化を育てました。」

 

「地球の歴史の1億年をある一人の女性の年齢1歳に置き換えます。その女性の名はテラさん(ラテン語の地球)。テラさんが5歳のとき海ができました。25歳の頃から大陸が離合集散を繰り返し、大陸が分裂するとき、海洋底のプレートが生まれ、それが沈み込んで、沈み込み口で巨大地震の発生を繰り返すようになりました。白亜紀、テラさんが43歳の頃、温室期地球に恐竜が全盛期を迎えた。それがテラさんが44歳のとき絶滅して今の時代になった。テラさんが45歳になった頃、南極大陸で氷河が生まれ、地球は寒冷化した。フィリピン海プレートが乗せてきた伊豆半島が本州にくっついたのは、45歳半のテラさんの今日からつい数日前のことである。それから、今の南海トラフの巨大地震の繰り返しが始まりました。」

 

「太平洋プレートが日本海溝で北アメリカプレートの下に潜り込み、最大級の陸のプレートであるユーラシアプレートと北アメリカプレートが出会って押し合っている境界線が本州のど真ん中、糸魚川―静岡構造線です。それと前述のフィリピンプレートと合わせて4枚のプレートが押し合いへし合いしているのが日本列島です。そのため日本の国土面積は世界の1%以下なのに、マグニチュード6.0以上の地震の回数の割合は20%を超えています。ヨーロッパでは地中海に近い南部を除いて地震はほとんど起きません。1億年前に出来た岩盤の上に出来ています、変動帯に対し安定大陸と呼んでいます。ヘルシンキの飛行場で周囲を見渡すと360度真っ平です。シドニーにはロックスという岩だけの街があります。地震を避けるだけが目的なら地球上に一杯場所はあります。」

 

「日本では4千年以上のあいだ地震と津波と共存してきました。日本の各地には地震と津波の被害を軽くするための智慧が一杯埋まっています。また日本で生まれた地震学を発展させ、日本人と世界の人々に貢献出来るように、地震火山庁の設置を呼びかけています。」

 

「次の南海トラフの大地震は起こるかもしれない地震ではありません。」

 

「近未来に必ず起こる南海地震であり、明日ではなく2038年(頃)に起こります。」

 

「今から時間の許す限り、個人個人で、町内会で、自治体で、企業で、広域で、国でやれること、やれないことを見極め、被害を最小限にとどめるようにしましょう。」

       ………

良寛さんの強烈な地震見舞いの一節が脳裏に浮かんで来ました。

「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候

これはこれ災難をのがるる妙法にて候」


 

この文の本物をミホミュージアムの川端康成コレクションで見たときの衝撃を思い出しました。この魅力あふれる日本列島で暮らすには、これぐらいの覚悟が必要なのでしょうか。