行雲流水 ~所長の雑感~ -6ページ目

行雲流水 ~所長の雑感~

松田進税理士事務所 所長の松田が日々思うことを思うままに綴った雑記帳

「氷見の寒ブリはちょっとちゃうで」と誰かに聞いたのは何時のことだったでしょうか。何故かその記憶には富山湾から真っ白にそそり立つ、真冬の雪の立山連峰とセットになっています。その「ヒミノカンブリツアー」に21718日と行って来ました。

 

17日は一日中横殴りの大雨で、この調子では雪の立山連峰は無理だろうなと思いながら就寝、夜中に目を覚まして空の様子を窺うと、なんと「月にむらぐも」、早く流れる雲の間から明るいお月さまが時折顔をだしています。この調子なら朝は快晴になりそう、立山連峰からの日の出が見られるかも知れない、とひそかに期待して再度床につきました。朝6時起床、カーテンを開けるとまだ暗い中、漁火が点々と灯っています。

 

ここ氷見の「くつろぎの宿 うみあかり」は道路一本をへだててすぐ富山湾、私たちの部屋は4階の一番奥、じっくりと夜明けを楽しめそうです。中空にはほとんど雲が無く、立山連峰のかたちそのものに黒い灰色の雲が覆っています。漁火が一つ二つと消えてゆくとようやく、雲の上にぽっと薄いピンクの明るみが顔を出しました。

 

それから小一時間、連峰をほぼ覆って動かぬ雲と、その上を左から右に流れていく形を変えてゆく黒い雲が、素晴らしいスペクタクルを見せてくれました。流れてゆく黒い雲はお日様が昇るにつれ、黒から灰色に、灰色から白に、そして白から金色になって空に飲み込まれてゆきます。次から次へと流れる雲は一つとして同じ形ではありません。そのうちうごかぬ山腹の雲から一点強い光が差し込みました。動かぬように見えた山腹を覆う雲も動き出したのです。

 

次から次へと雲たちが光を浴びて色、形を変えてゆくのを眺めているうちに、不思議なことに気付きました。太陽が昇って来るのではなくて、雲が太陽が光っている方へ傾いていっている。ややこしい言い方をしましたが地球が自転しているので、高い方の雲から順に色が変わっているのだと感づきました。当たり前のことながら大発見をしたような思いにちょっと興奮していました。そして陽が昇り切ると暗い海面に真っすぐ私に向かって金色の光の帯が走りました。しかし残念ながら山々は雲に隠れたままでした。

 

肝心の寒ブリですが昨夜のディナーはぶり懐石、刺身、しゃぶしゃぶ、ステーキと三役そろい踏み、特にステーキは初めての触感、誠にグーでした。ぶり以外も地元の食材がほとししゃも、青のり、昆布かまぼこなどなど。地方へ行くと京料理まがいの豪華(風)な料理が多い中で、朝食も含め天ぷら、茶碗蒸しが無いという徹底ぶりでした。

 

昨日はサンダーバードで金沢駅下車、すぐ観光バスに乗り換えて千里浜なぎさドライブウェイ、妙成寺、花嫁のれん館を経て、「くつろぎの宿 うみあかり」へ。千里浜なぎさドライブウェイは世界で三か所しかないという渚ドライブ、砂の粒子が固まってアスファルトのようになる微妙な偶然が珍しいドライブコースを作っています。当日は日本海を吹き渡る強烈な西風のため中止。     

 

妙成寺は北陸で唯一五重の塔を持つ日蓮宗の古刹、解説には日像上人が日蓮上人の命により妙法を京都に広めんとして1294年都上がりの途中、一寺を建立、とありますから、前々号で紹介した本法寺より100年ほど古いのでしょうか。十棟の堂塔伽藍を持つなかなかの寺院、特に高台にそびえる五重塔は優美かつ壮大、奈良京都の五重塔に決してひけはとらない佇まいでした。

 

花嫁のれんは能登・加賀・越中で続いている婚礼の風習だそうです。実家の紋を入れた花嫁のれんを婚家の仏間の入口にかけてくぐります。ご先祖にお参りした後、結婚式が始まります。加賀友禅で染められた数々ののれんは見事でしたが、式後ほとんどの家では箪笥の奥にしまわれ二度と使われませんでした。振袖とほぼ同じ価格だそうで最近では少なくなっているようです。

 

さて今日はひたすら帰るだけ。氷見から新高岡までは「べるもんた」、新高岡から金沢へは北陸新幹線に15分乗車、金沢からはサンダーバードで一路京都へ。べるもんたという聞きなれない愛称は、Belles montagnes et mer(ベル・モンターニュ・エ・メール・・・フランス語で「美しい山と海」)の略称だそうです。富山湾から一気に聳える立山連峰を30分ほど車窓に見る眺めは、決して名前負けはしていません。しかし朝方の黒い雲が、白い雲に変わっただけで、白銀の山々は姿を表しませんでした。聞けば姿を表すのは一年で22日だけだそうです。

 

氷見駅で列車待ちをしている間、興味のあるものを見つけました。「氷見のちゃんばち」分厚い白色の大振りの陶器に、青で「虻が島と立山連峰」が描かれています。も一つには「網起こし」朝見ていた漁火を思い起こさせました。「ちゃんばち」は茶碗鉢がなまったものか。氷見の漁師は2食分の握り飯とこのちゃんばちを持って沖に出るそうです。とれた魚で汁をつくり、ちゃんばちに掬っておかずにする。野趣にあふれた形と図柄に魅かれて氷見青年会議所から後日送ってもらいました。これで食事をするのを楽しみにしています。

節税、特に相続税の節税というと、なにか魔法の杖のような甘美な匂いがするのか、晴れやかに自慢げに話す人に良く出会います。そういう方の多くが自分の遺産にかかる相続税の額はおろか果たして課税されるかどうかもご存知ない方が多いように思います。そしてそういう方にはまず相続税が課税されるかどうか、かかるとすればいかほどか、正確に把握することから始めて下さいと話していますが。なかには既に節税のための土地を手に入れたり、銀行に融資を申し込んだりされている方もいて、こちらが慌てさせられることも無きにしもあらずです。

 

これは平成271月の相続税法の改正で、遺産にかかる基礎控除が8,000万円(配偶者と子供2人の場合)から4,800万円に引き下げられたことにより納税義務者が増加し、それをビジネスチャンスとしてとらえ高額の手数料を得る企業、金融機関、税理士法人などの広告宣伝や甘い営業のせいかなとも思います。ちなみにインターネットで「相続税節税」を入力すると無数の広告、節税策等々が出てきます。これらについ惑わされる方も結構あるのかなと想像しています。

 

そんな中、23日にTKCの税務研修で「平成29年資産税改正のポイント」と題した税理士の岩下忠吾先生の講演を聞き、平成27年の基礎控除の40%引き下げや節税対策について同感の士もいらっしゃると思い、レジュメの数字などを引用しながら紹介しておきます。

 

まず、平成27年度の相続税の申告が必要だった被相続人の数は10.3万人、平成26年以前9年間の平均は5.0万人ですからほぼ倍増しています。被相続人一人当たりの課税価格の平均額は平成26年は2407万円が平成27年は14,126万円とほぼ7割に落ちています。一方、70才以上の高齢者で二人以上の所帯の貯蓄の平均額は2,389万円、また、土地付き注文住宅の全国平均額は3,743万円(レジュメより)で合計6,132万円。これは、平成26年までは一戸建ての自宅に住む平均的な高齢者はほとんど相続税の心配をしなくてよかったのが、平成27年からはかなりの確率で納税義務者になることを意味します。

 

基礎控除の引き下げは、消費税増税の際、低所得者が増税を受け入れるなら、資産家にも課税すべきと大きな議論もないままにあっという間に決まってしまったように思います。ところが平成29年度の国家予算に占める租税収入見込み577,120万円のうち、相続税・贈与税はわずか3.66%の21,150億円。資産課税は所得の再分配機能が大義名分だと思いますがこれでは雀の涙です。法人税や消費税の増減税については大きな議論が巻き起こるのに、納税義務者が2倍になるという大増税にもかかわらず反対の声が上がらないのは、何故なのでしょうか。

 

バブル期、毎年の地価の値上がりで基礎控除の改正が追い付かず、相続税対策という名の節税業が乱立していました。基礎控除がようやく8,000万円(配偶者と子供2人の場合)となり、ごく普通の人たちには相続税の心配がほとんど無くなっていたのに、4,800万円に減額されたとたんに納税者が2倍にもなりました。アメリカの場合は基礎控除約6億円(レジュメより)、私は日本もこれぐらい引き上げればいいと以前から考えていました。理由は地方に存在している(していた?)地元産業や同族企業が相続税負担の故に廃業している、もしくは発展を阻害されているケースが、公表されてはいませんが相当数に上ると思います。ちょっとした料亭をイメージして下さい。贅沢ではなく、商売柄少なくとも数億円の不動産が最低限必要です。これが相続の度に目減りしてゆけば立ち行かなくなるのは目に見えています。また折角蓄積された文化的価値も雲散霧消しかねません。

 

節税を提案する企業や金融機関の一般的なスキームは、土地や建物の相続税評価額が時価より低い(概ね6割~7割)のを利用して、高額の借入を起こし相続税額低下を図ります。したがって資金の流動性は明らかに不自由になります。そして彼らの真の目的は彼らの売り物、金融機関なら貸し付け、建築会社なら建物ですから、相続人たちのこれからの人生はまず眼中にありません。バブル期に田圃を宅地化しマンションを3棟建て、減税には成功したのでしょうが、好きな会社のすきな仕事をやめ、マンションの管理とコンビニの人集めと経営に忙殺されているある相続人の一人の相談を受けたことがありました。

 

日頃は相続税にはあまり関心を向けられることはないでしょうが、資産税そのものに関心を持ち、日本のこれからの経済、文化のあるべき姿も一緒に考えてゆきましょう。

 

そしてもし相続税の節税を持ちかけられたときはまず私たちにご相談下さい。親戚、友人、知人でお悩みの方があれば同様です。

TKCゴールドメンバーズクラブという会があります。10数年前、TKC活動の初期に活躍されていたオールドメンバーが、年齢がゆくとともに事業参加が少なくなり、情報音痴になるのを防ごうと始めた会です。当初オールドメンバーズクラブの名称で始まったのですが、第1回目の会合で名称変更が満場一致で決まったような記憶があります。年を重ねて世話人の我々がオールドメンバーになってしまいましたが。昨年暮れ、

 

森田会長「来年は牡丹鍋でも食べに貴船でやろか」

私「牡丹鍋やったら貴船行かんでも(畑かく)にしよ」。

 

というのは「畑かく」さんは元祖牡丹鍋を名乗っておられるのと場所は上御霊前通烏丸西入、まさに私の地元、通勤路でもあります。そんなわけで見学先もご近所の小川通沿いの本法寺と報恩寺に決まりました。

 

本法寺には長谷川等伯の「仏涅槃図」があります。40年前、上御霊前通に引っ越して間もなく、本法寺で普請が始まり、程なく白壁に朱色の欄干と柱、緑の屋根の上に金色の宝珠が光る34階建ての建物が出現しました。その当時はお寺には似つかわしくない目立つ建物だなと思っただけで、その後は無関心でした。ところが安部龍太郎の新聞小説「等伯」で本法寺と等伯の関係と、「仏涅槃図」の存在を知り見学に訪れて初めて、この建物がこの涅槃図を展示するためだけに建てられたものだと気付きました。縦10メートル横6メートル1階から見上げ、2階正面から眺め、感銘を受けたことを思い出します。

 

さて117日、今回は総員10名で本阿弥光悦の「巴の庭」を鑑賞した後、「仏涅槃図」(国指定重要文化財)にゆっくりと見入りました。ただ今回残念だったのは展示されているのはレプリカでした。本物は314日から415日まで開帳されるそうです。もう一度行ってみようと思っています。興味のある方、まだ御覧になっていない方にもこの機会に鑑賞されることをお勧めします。その後和尚様に本堂へご案内いただき、お話を伺いました。日蓮宗のお仏壇、他の宗派ではお釈迦さまを飾る中央に「南無妙法蓮華経」の名号が飾られているのを初めて知りました。

 

さて「鳴虎 報恩寺」、本法寺の東門を出、小川通を裏千家、表千家の前を南へ下がり寺之内通を過ぎたところにあります。こちらは和尚様がお迎えいただき本堂へご案内いただきました。さて寺名に冠される「鳴虎」とは16世紀初めに後柏原天皇が報恩寺に寄進された中国伝来の大軸物(掛軸)「鳴虎図」に由来します。四明(浙江省)の画人・陶佾の筆で、谷川で水を飲む虎が描かれています。鳴虎の由来は度々当寺を訪れていた豊臣秀吉がゆっくり鑑賞したいと聚楽第へ持ち帰り、床に飾ったところ、その夜大きな鳴動に悩まされて眠れない。これは虎が早く寺に帰りたい、といって暴れたのではないか、と考えて、寺に返したところ騒ぎがおさまった。それから「鳴虎図」と呼ばれているそうです。現在お寺ではデジタル複製画が置かれています。原画は寅年の正月三ヶ日のみ一般公開されるそうです。しかしこの複製画、8億画素をもつ驚異の高性能デジタルカメラでとったもので本物にもひけをとらないそうです。

 

ご本尊の阿弥陀三尊像は鎌倉時代の名匠、快慶の作だそうで、とても何百年を経たとは思えないほど金色に輝いていました。阿弥陀様を中央に左右の観音菩薩と勢至菩薩が衆生を浄土に迎えるために、片足を一歩前に踏み出しているのが特徴だそうです。他に「木造諸尊仏龕」「厨子入木造千躰地蔵菩薩像」も重要文化財だそうですが、京都国立博物館に寄託されているそうで写真が並べてありました。

 

本尊の向かって左の部屋、上段の間に「黒田官兵衛(如水)」と長男「黒田長政」の位牌がありました。この部屋には中央に阿弥陀如来像、左右に善導大師と法然上人像が飾られています。実はこの部屋で、三代将軍家光に付き従い病をおして京都に来ていた長政が病没したのだそうです。

 

実は報恩寺、ご近所のことですから来たことの記憶はあるし、たしかに「鳴虎」も見た記憶もあるのですが、それ以外に立派な寺宝や由緒に包まれているとは知りませんでした。話はじっくりと聞いてみなければと改めて思いました。5年先の正月三ヶ日、忘れずに「鳴虎」の本物を見に来ようと思いました。最後は歩いて10分の「畑かく」へ。久しぶりの牡丹鍋しっかりと堪能しました。

共同通信の経済記者、橋本卓典という人が書いた表題の本が売れているようです。この本の帯に「12万部突破」「森金融庁大改革でカネの流れが変わる」「新しいビジネスモデルが求められる時代に生き残る銀行とは?強くなる会社とは?」とあります。

 20157月に就任した森信親金融庁長官が発表した「具体的重点施策」に次の内容が含まれていました。

 

「企業の価値向上」

「経済の持続的成長と地方創生に貢献する金融業の実現」

 

これに各銀行のMOF担と地銀の幹部が大きな関心を寄せているようです。「MOF担」懐かしい言葉ですね。ご記憶にありますか。MINISTRY OF FINANCE(大蔵省)の頭文字、大蔵省へ詰めて国の金融情報を先取りし、各行の政策を左右する重要な役目。「ノーパンしゃぶしゃぶ」接待で有名になり大蔵省解体の一因ともなりました。現在の金融庁は大蔵省銀行局から改組されました。

 

2015719日、森長官は、全国地方銀行協会の例会で全国の地銀頭取を前にして、所信をつぎのように述べました。「地銀が地域企業に付加価値をつけ、企業を再生・成長させ、その果実として銀行の収益も改善・拡大するとの考え方は、10年以上前にリレーションシップ・バンキング(リレバン)を打ち出した時から言われていたことである。10年経っても、未だに地域金融機関に対する評価が厳しいのはなぜか。」

 

ここ10数年金融庁と地銀はいかなる金融政策を取っていたのか、簡単に振り返ってみます。

 

199810月、当時の金融危機に対して「中小企業金融安定化特別保証制度」ができました。これは信用保証協会が中小企業融資に際し、地銀に100%保証するものでした。

 

▶ 続いて19997月に「金融検査マニュアル」が公表されました。マニュアルそのものは抜本的な不良債権処理を断行するための経済対策としてつくられ、検査官がどのような基準で判断するかをまとめたものである。ところが「半沢直樹」の小説やドラマでご存知のように検査マニュアルが独り歩きしだすと、銀行経営者は顧客のための真の価値とは何か、地域金融とは何かを考え、リスクをとって行動することをやめ、「不良債権を出さないための銀行経営」にシフトしてしまいました。

 

▶ そして2008年のリーマン・ショックでの「緊急保証制度」(これも保証協会100%保証)が輪をかけ、トップから新入社員まで完全な思考停止に陥りました。

その結果何が起こっているのか、地域金融機関の多くは、事業者融資を検討する際は信用保証制度の利用から入るのが当然という思考回路に陥っているそうです。一方事業者側からみると、中小企業金融円滑化法以降、返済猶予を受けている先は約40万社、その内2割は成長軌道に乗りそう、再生が難しいのは1割、残りの7割は支援があれば再生可能と言われています。リレーションシップ・バンキングは地銀が地域企業に寄り添ってともに収益を改善拡大してゆくというものですが、いまのところ、積極的に名乗りをあげている地銀は少ないようです。

 

ところで地銀が全ての融資を保証協会保証付きで行うと我々のお客様、中小零細企業では何が起こるか。まず最初に懸念されるのは在庫や売掛金などの短期運転資金が保証付きの長期資金に変わっていないか、ということです。以前銀行員と話をすると「手貸」という言葉がよく出てきました。「手形貸し付け」文字通り手形(おおむね1年)を振り出して短期資金を借り入れ、1年ごとに必要運転資金を予測し必要な額の手形を振り出す。この繰り返しで利息を支払うだけで、元本の返済は必要ない。この運転資金部分を保証付き長期にすると、元金返済の重圧が強まり徐々に資金繰りを圧迫し、保証料分も上乗せになります。まずこの部分を検討してみてください。

 

計算式を書きますと、

 

(売掛金+受取手形+在庫)-(買掛金+支払手形)

 

これが正常な短期運転資金です。今、一部では手貸に代えて合理的な当座貸越制度を考えているようです。

 

今金融庁は「金融検査マニュアル」の廃止を考え、「経済の持続的成長と地方創生に貢献する金融業の実現」を本気で考えているようです。銀行が変わりかけているのも感じます。変わらなければ「捨てられる」一部にはそんな危機感もあるようです。中小企業も時代を感じながら、変化しなければなりません。いま私たちTKC近畿京滋会では積極的な金融機関との協力体制を作りつつあり、単に金融のみならず、全般的な経営相談にも乗り出しています。正常運転資金の認識、獲得のみならず気軽に経営の問題を話題に乗せていってください。

 2016113日ワイン「梅のはぢらひ」が、JA紀の里から市場に出されました。ラベルには青い梅、熟した梅、ワインを飲んでポッとほほを染めた梅。「三つの梅の絵」と、「梅のはぢらひ」の文字が書かれています。裏ラベルには「この商品はJA紀の里と岩手花巻の㈱エーデルワインとの共同企画・開発されました。和歌山県産樹熟南高梅と岩手県花巻市産のキャンベル品種ぶどうで醸造したワインを使用し梅酒風に仕上げた梅ワインです。        

 

熟した梅の甘い香りとキャンベルぶどうの華やかな香りが調和した濃厚な味わいが特徴です。」との説明の欄外に、『絵:松田昌子』『字:大谷紀美子』『エーデルワイン』『JA紀の里』と四つの名が併記されています。

 

話せば長いことながら、まず樹熟(きじゅく)南高梅の説明から必要なようです。南高梅は和歌山特産の梅として有名ですが、その内5軒ほどの農家が樹で熟し自然に枝離れするまで根気よく待ち続けているそうです、これを樹熟といいます。この収穫が大変な作業で、地面に落とさないように梅林中にネットを張り、家族、親戚、友人、知人集められるだけの人を集め、何日か徹夜の作業が続くそうです。そしてこの梅を使い、従来のように赤しそを使わないつけ方で出来た梅干しはまさに絶品、私も10年来いただいています。

 

2006年頃、農水省の始めた女性起業家支援事業に、妻、昌子が関わっておりJA紀の里から樹熟南高梅の普及依頼がありました。そこでそれまで親交のあった京丹後の、旅館・民宿の「おかみさん会」、農家集団の「のうゆう会」に紹介すると大好評、天龍寺の精進料理「篩月」、京田辺普賢寺、市内料理店「ふじよし」と次々に広がり、大阪の相愛大学では発達栄養学科の授業に取り上げられるなど大好評、昌子関係だけで2トンの梅干しが生産、消費されているようです。

 

そのうちこの梅を使った果実酒づくりが自然発生し、多くの人はブランデー、焼酎など蒸留酒が多かったようです。そのうちの一人がワインで作ったらソフトな出来上がりになって、全くの下戸の人も結構喜んで飲んでいると聞いて、昌子もワインで試行錯誤していたようです。その前後JA紀の里の直売課の拡販の相談があったとき、「梅ワイン」を提案したそうです。農業試験場で私製ワインを検査したところ、クエン酸やポリフェノールとの融合(専門的なことは分かりませんが)も良く専門家の評価も高かったので、JAのつながりから岩手県のエーデルワインとの共同企画開発が実現し一気に前に進んだようです。それやこれやの経緯でラベルの絵の依頼を受けたようです。ちなみに字を書かれた大谷さんは家内の学友で前述の相愛学園長です。119日、毎月の経営研究会で乾杯酒に使ったところ好評でした。

 

思えば農水省や京都府の農村活性化事業の数々が、ここ20年ほど立て続けにあったように思います。不正確ですが、思い出すままに列挙してみると、

 

・山田知事の就任直後に始まった京都府の「農のあるライフスタイル実現プロジェクト」

・「NPO法人日本都市農村交流ネットワーク協会(農水省補助金事業)」

・農水省の「農村再生プロジェクト事業」、「女性起業家支援事業」

・・・これらの事業のイベントに私はときどき参加してはいました。

・「稲の種まき、草取り刈り取り体験」から収穫したお米を久美浜の熊野酒造にお願いしての酒づくり、最初の搾り初めの酒の美味しかったこと、この酒は「じょうの酒」と命名され市内の酒屋さんで販売されています。

・「ブナ林の南限散策」

・天龍寺の京丹後の末寺の協力で続いている「猪・鹿供養祭」、思い出すのはこんなところです。

 

昌子は近畿農政局の要請で各種事業に積極的に関わっていたようです。その結果平成242月に農水省の6次産業化プランナーに任じられています。6次産業化プランナーとは一次、二次、三次産業を直線的につないで、農業の活性化を図る意図のもとに作られたものだと思います。「梅のはぢらひ」も事業として発展すれば大きなものになりそうですが、「京都銘菓おたべ」さんの潜在的な希望…京都の菓子を京都のお米で作りたい…を先取りして、京丹後の「のうゆう会」を紹介したのも双方ともに大いに喜ばれています。もう一つ「しょうがのたいたん」という商品が京丹後の道の駅のあちこちで販売されています。小さな商品ですが、日本の原しょうがの種が日本中で失われていたのを、農水省やJAの情報網を使って高知から種を分けてもらい京丹後で作られているのも将来を考えれば大事なことのようです。そうそう「おたべ」さんとのつながりは「しょうが」がきっかけでした。

 

「梅のはぢらひ」是非試飲してみてください。少量なら私あてに、たくさん、または継続して飲んでみたい方はJA紀の里へ申し込んで下さい。