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行雲流水 ~所長の雑感~

松田進税理士事務所 所長の松田が日々思うことを思うままに綴った雑記帳

1月11日、中国海軍の潜水艦が尖閣諸島周辺を、中国国旗を掲げて航行しました。1月15日、近畿税理士会京都府支部連合会の新年懇話会の講演に、タイミング良く石平氏を招き、お話をうかがいました。ご存知と思いますが、石平氏は中国四川省出身で、2007年に日本に帰化した対中国の辛口の評論家です。当日、潜水艦の尖閣周辺航行の意味を明快に説いてくれました。誤解を恐れず要約しますと。

 

 習近平の個人崇拝と神格化は急速に進んでおり、終身独裁へとまっしぐら。そのため「中華民族の復興」と「一帯一路」を掲げている。本質的には「華夷秩序」を目論んでいる。華夷秩序とは、周辺の野蛮国(夷)が偉大なる中華に朝貢する、前、もしくは前々世紀の中国の姿。そのため南シナ海の軍事基地化を、国際法を無視して進めている。そのための最大の障害はアメリカ海軍と沖縄の米軍基地。トランプ訪中時に太平洋は広い、米中で二分しようと勝手なことを言ってるのも、案外本気。尖閣への海警局の船舶の日本領海への連日の侵入もその一環。

 

そして昨年中国は三つの新しい記念日を発表した。7月7日、12月13日、9月3日。7月7日は支那事変の勃発とされる盧溝橋事件。12月13日は当時の中華民国の首府、南京陥落の日。9月3日は対日戦勝記念日?日本が戦艦ミズーリ号の艦上で連合国に対し降伏文書を調印した日?たしか蒋介石軍、中華民国の一将軍は艦上にいたかも知れませんが。中華人民共和国の偏った歴史認識は変化するどころか益々エスカレートしているようです。そして直近の潜水艦の航行は何を意味するのか。石平氏は自衛隊(軍隊)の引っ張り出しだと言います。

 

こんな中国に対し経済的にも、政治的にもどう付き合うのか石平氏は「敬遠中国」のすすめで講演を終えました。

 

さて私たちはこれからどう対処してゆけばよいのでしょうか。中国海警局の船舶や漁船は海上保安庁の管轄ですが、軍艦には海上保安庁では対処できません。事実、日本のマスコミは意図してか、怠慢のせいか、最近ほとんど報道しませんが、空での中国空軍は連日のように尖閣周辺に飛来しています。航空自衛隊のスクランブルは連日のように行われているはずです。北朝鮮の核問題も見逃すことの出来ない大事ですが、習近平の「華夷秩序」のために、日本固有の領土が狙われているのは重大事です。中国は過去チベットや内蒙

古自治区、ウイグル自治区などでなし崩しに領土の拡大を図って来ました。最近では南支那海も中国の版図だと言っています。 

 

さてそこで憲法9条なのですが、

 

憲法9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。

 

石平氏の講演のあとこの憲法9条を書き出してみて寒気を覚えました。特に中国の新しい記念日、支那事変勃発、南京入場(多分南京大虐殺)戦勝記念日の話は私は初めて聞きました。華夷秩序を人民に正当化するためのプロパガンダなのでしょうが、決して心からの日中友好の話ではないですよね。しかも意図的なのかどうか日本のマスコミはこれに一行も触れようとしないことに怒りすら覚えます。

 

今年はいよいよ憲法改正に具体的な動きが始まるはずです。平和憲法のおかげで70年戦争しなかった。個別的自衛権はいいが集団的自衛権はだめ。憲法学者が駄目といったからダメ。内閣法制局が認めていないから無効。などと70年間ノーテンキな意見ばかりがはびこっていました。ケント・ギルバートさんは「米国人弁護士だから見抜けた日本国憲法の正体」の本の終章で「日本は建国以来、一度もほろんだことがありません。日本は現存する世界最古の国です。だから日本人は『国が滅ぶ』ということが実感できないのだと思います」「日本を滅ぼしたい、支配下に収めたいと考える国がすぐ近くに存在します。この厳しい現実から目をそらさないでください。」と訴えています。

 

世界の現実をしっかり見極め、20年後、50年後の日本の立ち位置をイメージして、一人一人が憲法にしっかり向き合いましょう。

121日表記の会をホテルグランヴィア京都で催しました。顧問先、経営研究会、金融機関と当事務所を含めて50名の集まりでした。例年この時期は全国のTKC事務所でテーマを決めて、セミナーを開いています。今年も秋口に入った頃、テーマや会場を決める会議の席上、一度顧問先にお集まりいただいて、交流会を企画して楽しんでいただいてはどうかと提案が出ました。勉強を一時わきへ置いて顧問先同志の交流を図るのも一興、何かが生まれるきっかけに成るかも知れないと、事務所全員で計画を進めました。

 

48年前の事務所開設以来、みどり会という名称でゴルフコンペを催したり、10周年記念の琵琶湖ホテルでのヨット試乗会を機に、毎年クルーザーを集めてのヨットアンドバーベキューや、来年、桂春団治という大名跡を継ぐ若き日の桂春之輔さんを招いての落語会、ミシガン就航まもなくのミシガンでの昼食会、保津川下りや、淀川下りなど、お客様の交流会はほとんど毎年催していたのですが、お客様の高齢化やバブルの崩壊などが絡まって(私の高齢化も一因かも)いつかしら途絶えていました。

 

今回私は一切口を挟まずに進行していったのですが、参加者がほぼ固まってきたところで、名簿を見ると開業以来48年間、付き合いしていただいているお客様が数社ありました。開業時の記録を見ると10社ありました。3社は友禅屋さんで、時代の趨勢と社長の高齢化とともに無事廃業されています。2社は現在も営業されていますが、諸事情で他の事務所に移られています。残る5社は、

 

㈱昭和商会(段ボール、パッケージ製造)

㈲園田商店(元裏絹卸、現不動産賃貸)

草津鋼業㈱(鉄鋼販売)

大高㈱(子供用着物製造卸)

協福電子部品㈱(電子部品卸)です。

 

残念ながら全て二代目、三代目で創業時の社長さんは㈱昭和商会の松田嶸一さん(現在は会長)だけでした。

 

また㈱木下商店(小麦他卸)が今年百周年とおっしゃっていたので、名簿を調べると他に2社の百年企業がありました。

京都インバン㈱(印章製造)が105年、

㈲芳文堂(印刷)が110年、

あと数年で100年のところが2社ありました。ずーっと前に京都新聞が京都の百年企業を特集していましたが、顧問先にこんなにあるとは京都の企業の凄さを改めて感じました。

 

さて当日、私の短い挨拶から始まって、早速創業当初からのお客様に登壇いただいて、当事務所からの感謝状をお贈り致しました。ほぼ半世紀、バブル、バブル崩壊など厳しい時代に、2代、3代にわたって事業を継続されていることに、尊敬を抱くとともに、心からの感謝を捧げ、百年企業を目指していただきたいと、心から念じました。短いセレモニーを終えてすぐに宴会です。

 

乾杯は㈱昭和商会の松田会長にお願いしました。松田会長のスピーチで思い出しましたが、㈱昭和商会は私が独立する以前からのお客様で、既に税理士登録していた私にご依頼があったのですが、私が森事務所に勤務中だったので、森事務所のお客様としてご挨拶に来ていただいたのを思い出しました。他の創業時のお客様もほとんど一緒ですから文字どおり半世紀以上のお付き合いになります。宴の途中で百年企業のお客様をご紹介し、それぞれにスピーチをしていただきました。さすが百年の年月の積み重ね、それぞれに重みがありました。百年企業の最後に企業ではありませんが、世界遺産、天龍寺の塔頭、寿寧院の小川湫生さまにご挨拶戴きました。別格も別格なんと650年の歴史があります。他の国の世界遺産は歴史的記念物、中には廃墟としか言えないのもありますが、日本の世界遺産のほとんどは今も生きています。天龍寺でも複数の雲水が今も修行に励み、昼間観光客で賑わう、夢想国師の作った方丈庭園・曹源池は夜は雲水の夜坐(坐禅)の場となります。

 

宴も半ば、お客様にご提供いただいた、それぞれお得意の商品の抽選会が始まります。次々と当選した商品を抱えたお客様の笑顔が素敵でした。最後に参加賞として柳櫻園の「手炒り焙煎ほうじ茶」をお持ち帰り戴きました。そうそう創業時のお客様への御礼と百年企業への記念品にはほうじ茶の最高級品「彩光」を差し上げました。

今月112日から5日まで、福井県若狭和田マリーナで行われていた表記の大会(通称インカレ)で同志社大学ヨット部が優勝しました。OBの一人として素直に喜んでいますが、今年の優勝にはもう一つの安堵感を覚えました。というのも長男哲也が4年前に監督を引き受け、その年は運よく西宮で行われたインカレで優勝(2連勝)出来たのですが、その後2位、3位、4位と順位を下げていました。その間、最近インターハイのトップ選手を集めた早稲田が総合3連勝、今年勝てば過去同志社だけが成し遂げた4連勝に並ぶところでした。また琵琶湖での定期戦ではストレートで敗れ、部員や監督コーチ全員が打倒早稲田を標榜していたものの、一抹の不安を感じていました。多分彼等にはかなりのプレッシャーがあったものと思います。

 

同志社大学ヨット部とそのOB会、鯨会は不思議な団体で、毎年インカレ優勝が唯一無二の目的で、新入部員から高齢のOBまで毎年の優勝を信じて疑うことを知りません。2位、3位の入賞という言葉は、鯨会に関する限り聞いたことがありません。すべて負け。なるほど戦後昭和21年から復活したインカレで、総合優勝だけに限っても71年間で19回、クラス別優勝を加えると23回を数えます。その間3連勝が2回、4連勝も1回しています。今回各地の予選を勝ち抜いてきたチームはスナイプ級、470級ともに24校、ヨット部のある全国の100を超える大学の中でこの優勝回数は群を抜いています。おそらく他の競技と比べてもダントツではないかと思います。

 

これだけの実績のもと、優勝のみを目的とし一丸となって邁進するのはよく理解できるのですが、実は我々の現役時代、半世紀前も実情はまったく変わりありませんでした。当時、関学の全盛時で1年次、2年次、4年次と関学に名を成さしめていたのですが、艇庫を訪れるOBのすべてに必ず、優勝を目指せ、我々は出来るんだ、しなければならぬ、と発破をかけられ、また我々もそう信じていました。卒業してから、諸先輩はどんな凄い実績を残しているのかなと戦績を調べてみると、戦前昭和8年の第1回から昭和17年の10回までに2回の優勝があります。昭和18年から20年は戦争のため中断、昭和21年復活第1回、第11回大会を琵琶湖で開催しています。戦後の混乱のなかで、ヨットは駐留軍に接収されたように聞きましたが、以外にもいち早く開催できたものと今となっては感心しています。そして昭和34年、私たちの時代24回大会まで優勝はありません。

 

そんな中ででも優勝のみが唯一の目的だという伝統は脈々と受け継がれていました。誰がいつ、どのようにしてこの伝統が出来たのか、いまでも分かりません。勿論先輩の一人に昭和12年のベルリンオリンピックに出場されたとか、戦後まもなく香港で行われた国際レースで好成績を収めた、国体優勝は誰それという話はあるのですが、ことインカレに関しては戦前の2回の優勝だけでした。

 

ところが私たちの卒業の翌年から突如、昭和35年第25回、昭和36年第26回、昭和37年第27回と3連覇を果たします。1年おいて昭和39年から昭和51年の13年間に7回、昭和60年から昭和63年までの前人未踏の総合4連覇につながります。そして今年の優勝を含め71年間に23回の優勝へとつづきます。

 

最初の3連覇を成し遂げた後輩たちに連覇の原因はと聞いたところ、私の同期のキャプテン(大津生まれで子供のときからヨットに乗っていた天才的なセーラーでしたが)に初めて具体的にセーリング技術とセーリングタクティクスを教えてもらったからと答えます。それは大きな要因ではありますが、不思議なのは一気に過去一校も成しえなかった3連覇を成し遂げたことです。

 

千変万化の自然を相手とするセーリングで、2種目3艇ずつ6名の団体競技で、しかも同志社は伝統的に高校での経験者は各学年12名で、選手の大半は大学で初めてヨットに乗ります。そんな中で連覇を続けるのは、単なるテクニックだけでは成し得ない、強烈な意志力が必要です。そして世間一般では、徐々に消えつつある、体育会特有の良い意味での上下関係の厳しさも必要です。それを現役だけではなく、鯨会(OB会)全体で保持し続けているのが同志社大学ヨット部です。その意志力と厳しさを半世紀以上前に私たちに植え付けた力は何だったのだろうと今思います。

 

インカレ直後に男女10人の選手がオックスフォード大学に出発しました。1989年から3年周期(ホーム・アウェー・休み)で行っている第18回目の定期戦に臨むためです。これも不思議な縁でジョン・フィリップという当時オックスフォード大ヨット部の現役生が父(英国会計士)の知り合いの京都の会計士のところに出入りしていて、琵琶湖でセーリングしているとき、日本の学生とヨットで交流したいということで始まりました。当時鯨会の運営委員だった私も、まず費用、今後続くのかどうか、オックスフォード大から日本に来る意思があるのかどうか。大いに悩みつつ見切り発車したものですが、今ではすっかり定着しています。不思議なことに哲也が当時のキャプテンで第1回遠征メンバーのキャプテンでした。これが定着し、存続出来ているのも、我々に植え付けられた、意志力と厳しさなのかもしれません。

 

いささか私的に流れたようにも思いますが、新聞テレビで報道されないマイナースポーツの情報でした。

 

喫茶店やレストランで、延々と話し続ける女性の二人連れ、会話を聞くともなく聞いていて、長い間いつも不思議な感じに捕らわれていました。一言で言うと「会話がかみ合っていない」。1人が相手にかなり長い話をしていると、一方が「そうそうわかるわかる」「うんうんそうだよね」などと相づちをうって自分が話し出す。ところが話のテーマが全然違う。違うテーマをひとしきり話すと、もう一方が「え、そうなの」「うんうん、そうなんだ」と話を引き取って、自分の世界に戻って話し出す。こちらが食事や打ち合わせが終わって小一時間、ふと耳に入ってくるのは、同じテーマの堂々巡り、あれでは会話になってないじゃん、と長い間思っていました。ところが………。

 

912日、京都銀行の定例講演会で、長年、人工知能の研究をされている、黒川伊保子先生の話を聞いて、女性の長話の謎が氷解、まさに目から鱗でした。黒川先生の話は人工知能から始まりました。人工知能(AIArtificial Intelligence)は1950年代に第一次ブームが起こり、1980年代に第二次ブームが、そして2016年に第三次ブームが起こっているそうです。2016年に起こったウエーブは単なるブームではなく、ここから先、人類は人工知能とともに生きる、まさに産業革命であり、人工知能シンドロームとも言える時代に突入しているそうです。

 

そんな黒川さんが就職したのは1980AI第二次ブームの、理系の職場。そのミッションは「人とロボットの対話の設計」でした。ところが9割がた男性の職場で直面したのは、彼女の言葉が彼等に通じない。「あなたたち男子と対話が出来ない」「ヒトとロボットの対話以前だわ」。このギャップから、彼女が発見したのは、男女脳の働きの違いと、男女の対話スタイルの違いでした。女性はことの発端から話したがる。男性は最初にゴール(話の目的あるいは結論)を知りたがる。話の流れが真逆、スタートから時系列に沿ってプロセスを語る女性脳と、ゴールから遡る男性脳。時系列真逆の制御をしている。これらが相容れるわけがない。

 

いわば女性の対話は、プロセス指向共感型。女性脳はプロセスを語るその裏で「何が真実か」を探る演算を無意識のうちに行っている。ことの経緯を語るうちに、そこに潜む真実に気付き、人間関係のひずみや、自分の失言などに気付いたりする。その際、重要なのは“思う存分”経緯を思い出すこと。そのためには話の腰を折られては困る。女性脳の真理演算を推進するためには共感が必要。女性脳はことの発端から、時系列に経緯を語りながら、そこに潜む真実や真理を探り出している。共感によって上手に話を聞いてもらうと、この作業の質が上がって、話し終えるころにはきっぱりと結論が出ているのだそうです。

 

一方、男性の対話は、ゴール指向問題解決型。一般的に男性は、問題解決のために対話を紡ぐ。相手が状況を語り出したら、その対話の意図をさぐり、素早く「解決すべき問題点」を洗い出そうとする。優秀な男性脳ほど“省エネ型”なのだそうです。枝葉末節に心を乱されることなく、全体の主幹をシンプルに捉えようとする。

 

男女の脳の働きがこんなに違えば、夫婦の対話がかみあわないのも当たり前と、先生の著書、「女の機嫌の直し方」(この項のタイトル)を購入して、ますます納得。その一部、綾小路きみまろのネタに「夫に体の変調を訴えても、何のかいもない。医者に行ったのかと聞いてくるだけ」というくだりがあって、聞き手のマダムたち大笑いする。というのがあります。

 

世の夫族の皆様このくだり、理解できますか。まさに女性のプロセス指向共感型と男性のゴール指向問題解決型の正面衝突。こういうとき女性なら「え、腰?それはつらいね」とか「腰が痛い、そりゃ大変だ」と相手の言葉の反復と同情を表すのだそうです。男性の「医者に行ったのか」は男性脳の問題解決力が為せる技で、現状把握して次の一手をうつための素晴らしい返しなのですが、この場合の女性相手には無駄、もしくは反感を持たれるだけだそうです。このことだけでも私は、結婚後52年、何十回の失敗を重ねてきたのでしょうね。今後は是非とも共感で。共感上手は信頼されるそうです、さあどこまで出来るでしょうか。

この本を読んだ後、家内も読んだようです。「面白かったか?」「面白かったわ」。多分、私が興味を持ったところと、家内が共感を覚えたところは、大きな乖離があったと思うのですが、敢えて聞きませんでした。講演を聞き、読書をした後、少しくらい進歩をしたのでしょうか。

 

年齢を問わずすべてのご夫婦に、あるいはすべての男女に一読をお勧めします。異性観が変化し、少しは相手への理解が深まるかも知れません。

表題の催しが93日龍谷大学アバンティ響都ホールでありました。大谷紀美子さんは現在大阪の相愛大学の学園長で客員教授、長年、インドで古典舞踊を学び研究し、国内外で公演を行い、相愛大学、高知大学、ハワイ、北アイルランドのベルファーストなどで指導をしてこられたことは聞いていましたが、公演を見るのは初めてです。今回の催しは76歳になられて公演活動に区切りをつけるために、インドから著名な4人の伴奏者を招き、国内外の関係者を招待し、開かれたものです。

 

舞台の左手で、ヴァイオリン、ムリダンガムという細長い太鼓、ナットゥヴァンガムという鋭い音の打楽器が独特のリズムを奏で始めました。そこにタミル語かヒンディー語か分かりませんが歌が入ってきます。神話の世界のシヴァ神や息子のガネーシャ神への祈りなのでしょうか。左右から大谷さんとルクミニー・ナオコさんが登場します。大谷さんは緑と、ナオコさんは赤と基調は違いますが、金糸に彩られた鮮やかな絹のドレスです。腕輪、足輪、胴の金色のベルトが照明にキラキラと映えています。リズムに合わせた大胆な足の運び、左右に動く顔、くるくる動く目と顔の表情は心の内面を表現しているのでしょうか。

 

20分の休憩を挟んで全11曲、背後に映る字幕を追っていると、クリシュナ、サラスヴァティ、ラーマーヤナなどヒンドゥー教の神々の名が次々と現れて行きます。それぞれにヒンドゥー教の美学を表現しているのでしょう。大谷さん、ルクミニーさんの共演が2曲、ルクミニーさんの独演が3曲、大谷さんの独演が6曲、倍ほど年齢の違うお二人でしたが、若さゆえの力強さ、老練ゆえの味わいと興味をもって聞き眺めた、初めてのインド古典舞踊の鑑賞でした。 

 

 大谷紀美子さん、家内の京女の中高の同級生で、このTheMidorikaiTimesにも何度か登場していただいています(『梅のはぢらひ誕生物語』TheMidorikaiTimes vol.280、『西本願寺の隠しホール』TheMidorikaiTimes vol.223)。我が家の孫まで含めた竹生島への一泊クルージングに気軽に同行されたり、家内の手料理でうちの茶の間でくつろいでいたり、今まで全く私的な姿しか見ておりませんでしたが、公的な姿に初めて接しました。招待客の中には西本願寺の前門主、大谷光真さん(紀美子さんの弟)、相愛学園の学長他関係者、沖縄やハワイからの舞踊関係者など多方面の方々がおられたようです。活動の幅が垣間見えました。相愛学園という幼稚園から小学校、中学校、高校、大学を有する学園長としての公人の姿に初めて接し、いささか驚いています。

 

お釈迦さまが誕生されたインドで、現在、仏教が影も形もないことに何故だろうと以前から思っていたのですが、今回の経験でなんとなく納得しました。バラタナーティヤムはもともとヒンドゥー教の寺院で巫女が教義や物語を伝えるために、演じられてきたものだそうです。ヴィシュヌ神を頂点とするもろもろの神々の物語を、こんなきらびやかな衣装と音楽で親しんできた古代インドの人々にとって、お釈迦さまの話は如何に真理を説いていても、アートマンとブラフマンの存在を否定し無の境地に達したとしても、いかにも地味。しかもお釈迦さまはヴィシュヌ神の9番目の化身として、ヒンドゥー教に取り込まれているそうです。

 

インドに旅行した人は何度でも行きたい人と、二度と行かない人に極端に分かれるそうです。行きたくない人は多分不潔さに辟易されてのことでよく理解できるのですが、何度でも行きたい人の話は良くわかりませんでした。しかし今回のささやかな経験で多分その文化や文物の多様性に魅かれるのではないか、と思いました。今までインドにはほとんど関心を持ちませんでしたが、これを機会にちょっと勉強してみようかなと思いだしました。それにしても仏教の家にお生まれになって、その中で成人された大谷さんが、インド古典舞踊に関心を持ち一生を通じて、公演や指導をされるようなったきっかけはなんだったのでしょうか。一度聞いてみようと思っています。

 

それにしても御年76歳、2時間の激しい踊りを、最後まで演じられたのは見事でした。会場ロビーで「良くがんばったで賞」と声を掛けましたが、紙面でも再度差し上げたいと思います。

 

 

「良く頑張りましたで賞」