行雲流水 ~所長の雑感~ -32ページ目

行雲流水 ~所長の雑感~

松田進税理士事務所 所長の松田が日々思うことを思うままに綴った雑記帳

How was your week in Japan?と尋ねると間髪をいれず、Fantastic!と返ってきました。9月16日新島会館でオクスフォード・同志社ヨット定期戦フェアウエルパーティの席上、キュートなイタリアンのセーラーウーマン、フェデリカが眼をキラキラさせながら答えてくれました。すし、てりやき、ラーメン、お好み焼き、そば、合宿飯の親子丼からカレーまで、何が一番美味しかった?と聞くと、立て板に水の様に口にして、全部一番と答えました。食事もさることながら、女性2人男性7人の来日メンバーは、延暦寺での座禅、薬師寺での香合、金閣寺訪問などに加え、比叡山からの風景、琵琶湖周航での湖のたたずまいなど日本の景色の美しさ、艇庫で合宿しながら布団で徳俵を作っての相撲、ホームステイでの家族とのふれあい、OBの支援など日本の風土と人情にたっぷり浸かった1週間だったのでしょう。短いスピーチの間からも充分楽しさと感謝が伝わってきました。まさにすべてが「Fantastic!」だったのでしょう。

 

レースは13日の日曜日に、すでに同志社の勝利で終わっています。なぜか過去全て、琵琶湖でするときは同志社、オクスフォードでするときはOXFORDが全勝しています。17日の京都新聞朝刊にはフェアウエルパーティを紹介すると共に、通算成績を6勝7敗とした、と報じられました。

 

オクスフォードと同志社の定期戦は、オクスフォードの現役学生のアイデアで始まりました。20年前、ジョン・フィリップ・スネリング、通称J・Pと呼ばれる青年がその人です。彼の父親が英国の勅許会計士で、仕事で京都の中野淑男公認会計士事務所によく訪問していたそうです。中野先生は同志社会計人会の初代会長でもありますが、当時は名前を知っているだけで、面識はありませんでした。J・Pも日本へは何度か来ていたそうですが、ある日、琵琶湖でクルーザーに乗っているとき、「大学のヨットクラブ同士で対抗戦がしたい、東大のヨット部を紹介してほしい。」と言ったそうです。当時J・Pは日本の大学名は東大しか知らなかった様です。それを聞いた人(今では誰だか分からないのですが……。)が「ヨットなら東大じゃ意味がない、交流するなら同志社だ。」と言うことで接触が始まりました。


 当時、私はヨット部のOB会の運営副委員長だったので、周囲の説得や費用集めなど結構大変だったのを思い出します。J・Pも後で写しを見たのですが、イギリスの日本の企業に手紙を出し、英国と日本の学生が交流する意義などを説いて、スポンサー探しなどを積極的にしていたそうです。父親のスネリングさんとも来日の都度打ち合わせを行い、たまたま同い年で同業ということもあって親しくなり、後日自宅でディナーをご馳走になったり、TKCのメンバーとテムズ川沿いの事務所を見学するなどしましたが、激務のせいか先年亡くなったのは残念です。


 1年、ひょっとすると2年ほどの準備期間があって、平成元年、まず同志社がオクスフォードに行くことになりました。ちょうど長男の哲也が4回生でキャプテンをしている時でした。J・Pも4回生になっていました。現役8人と当時のOB会長山口さんはじめOB数名が同行しました。確か航空運賃が安いということで南周りで行ったようで、20年という時代を感じます。 

 

始めた時はいつまで続くのか、また彼等が本気で日本へやって来るのか、確信は全然ありませんでした。事実、英国の不況でスポンサーがつかないので中止というようなこともありましたが、現在は3年間に一度ずつの相互訪問で落ち着いているようです。同志社大学副学長の西村先生や浜スポーツユニオン会長の挨拶にもあったように、オクスフォード大ヨット部は今年創部125年、同志社は2年後に80周年を迎えるお互いに伝統あるクラブが、20年間にわたって13回の交流を持っているのは全国的にも珍しい、とお褒めいただいたのは、誇らしいかぎりです。

 

今回来日したうち、半数以上が創設時には生まれていなかったのを知って、20年の歳月を感じると共に、私は平成4年に同行してオクスフォードに行っているのですが、当時は身振り手振りだけで意志を伝え合っていたのが、今回は同志社の学生に帰国子女が結構いることも相まって、そこ此処に英語での会話で盛り上がっていました。以前は言葉の壁のため、J・P以外個人的な交流は盛んになっていませんが、これからはそういう広がりもあるかも知れません。これも時代の流れでしょうか。

 先日、ジュンク堂の書棚をなにげなく見ていたら「シュリーマン旅行記 清国・日本」(講談社学術文庫)という文字が目に飛び込んできました。シュリーマン?トロイの遺跡発掘?何で清国・日本?時間と空間がかみ合わないまま、拾い読みをしている内にその中身に思わず引き込まれてしまいました。

 

「……日本にきて私は、ヨーロッパで必要不可欠だとみなされていたものの大部分は、もともとあったものではなく、文明がつくりだしたものであることに気がついた。寝室を満たしている豪華な家具調度など、ちっとも必要ではないし、それらが便利だと思うのはただ慣れ親しんでいるからにすぎないこと、それらぬきでも充分やっていけるのだとわかったのである。もし正座に慣れたら、つまり椅子やテーブル、長椅子、あるいはベッドとして、この美しいござ(畳)を用いることに慣れることができたら、今と同じくらい快適に生活出来るだろう。もしヨーロッパの親達が日本の習慣を取り入れて、子供達の結婚準備から解放されたら、それはなんという励ましになることだろう。」


 「……そこに洟をかむための懐紙を入れている。………彼等は、われわれが同じハンカチーフを何日も持ち歩いているのに、ぞっとしている。」「日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない。どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている。」「日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本になるだろう。」


 「ここでは君主がすべてであり、労働者階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕作された土地が見られる。」


 「日本の宗教について、これまで観察してきたことから、わたしは民衆の生活の中に真の宗教心は浸透しておらず、また上流階級はむしろ懐疑的であるという確信を得た。ここでは宗教儀式と寺と民衆の娯楽とが奇妙な具合に混じり合っているのである。」


 「本は実に安価で、どんな貧乏人にも買えるほどである。」「玩具の値も大変安かったが、仕上げは完璧、しかも仕掛けがきわめて巧妙なので、ニュルンベルクやパリの玩具製造業者はとても太刀打ち出来ない。」「なぜなら日本人は蒸気機関を使わずに達することの出来る最高の完成度に達しているからである。」


 「家族全員がめいめい椀を手に取り、器用に箸を使って、我々の銀のフォークやナイフ、スプーンではとても真似の出来ないほどすばやく、しかも優雅に食べる。」


 「それに教育はヨーロッパの文明国家以上にも行き渡っている。シナを含めてアジアの他の国では女達が完全な無知のなかに放置されているのに対して、日本では男も女も仮名と漢字で読み書きが出来る。」


「彼ら(武士)に対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金を贈ることであり、また彼等のほうも現金を受け取るくらいなら『切腹』を選ぶのである。」


 

トロイの遺跡を発掘した(1871年)シュリーマンがそれに先立つ6年前1865年の世界漫遊の際、6月3日から7月4日まで大政奉還(1867年)直前の転換期、黎明期の日本に滞在したときの見聞記です。たった一ヶ月で、当時の日本の文化と社会の本質をこれほどえぐりだしていることに驚きました。そして、ほんの100年と少し前、祖先が長年にわたって作り上げてきた簡素で清潔な生活、倫理観や道徳、美しく手入れされてきた山河など世界に誇るべき文化を、文明開化の名の下に知らず知らずのうちに削りとり、変質させ続けてきたのが20世紀だったような気がしてなりません。


 ただ、これらを読んでふんふんとうなずく私がいるのも事実です。今なら多くの日本人が同じ気持ちを共有出来そうです。少なくとも、「彼ら(役人)に対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金を贈ることであり、また彼等のほうも現金を受け取るくらいなら『切腹』を選ぶのである。」と言う感覚は日本人なら共有しているはず。


 現実に現金が飛び交っているのは事実としても、これが「悪」だという認識は日本人ならもっていると信じたいものです。


 「そこでお二方(イザナキ、イザナミ)は天の浮き橋にお立ちになり、アメノヌボコをズズッと下に向けて指しおろしての、流れ漂うておる海と泥の混じる塩を、コヲロコヲロと掻き回し掻き鳴らして引き上げなさる、その時に、ヌボコの先からしたたり落ちた塩が累なり積もりに積もって島になったのじゃ。これがほれ、オノコロ島じゃ。………………かくのごとくに言い終えての、結び合われてお生みになった子がアワジノホノサワケの島(淡路島)じゃ。つぎにイヨノフタナの島(四国)を生まれた。………………」(口語訳 古事記 三浦祐之訳より)


 この後、次々と隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡を産み、8番目にオオヤマトトヨアキツの国(本州)が誕生した、という有名な国産み伝説ですが、この建設基地になったオノコロ島が意外と身近なところに存在していたのには驚きました。4年前のみどり会タイムズ138号に淡路島の民宿はぶ荘の話の中で、「梅雨どきのここのハモは最高、淡路島のタマネギとのハモすきは絶品、是非おいで。」と誘われた話を書いていますが、覚えている方はいらっしゃらないでしょうね。

 

 先月6月26日(土)27日(日)に行って来ました。ハモすきは、話に掛け値なし。本当に美味かった。特に淡路島産のタマネギとのアンサンブルが最高で何とも言えない‘あまみ’にあふれていました。おすすめ出来ます。はぶ荘の2階から真正面に見える島、「沼島(ぬしま)」の付近が絶好の漁場で最高のハモが取れるのだそうです。


 突然ですが、その「沼島」がオノコロ島らしい?はぶ荘の目の下、土生(はぶ)港に沼島行の渡船場がありました。地図が掲げられています。小高いところにオノコロ神社があり、その山全体が「オノコロさん」と呼ばれているそうです。早速、釣り船をチャーターしてオノコロ島に出かけました。10分ほどで沼島港入港、集落は一目で見渡せるほどで人口は600人余、沼島小学校も沼島中学校もありました。港を出て島を一巡り、東尋坊の柱状節理を斜めにしたような激しい地層が剥き出しになっています。その地層に風波が激しく削り取った洞窟や、岩礁が自然の厳しさを眼前に見せています。国産み伝説の舞台と言われる奇岩が見えてきました。高さ30メートルの直立した「上立神岩」です。かつては向かい合って「下立神岩」があり、男女二神を象徴していたそうです。神秘的でさえありました。


 翌くる日、もう一つのオノコロ島伝説の一つである「おのころ島神社」に詣でました。内陸部にあるのに「島」とは何、と首をひねりながら到着しました。日本一の赤い大鳥居(平安神宮には比べものになりませんが)が遠くから見え、その背後の小高い丘の上にお社が鎮座していました。小さな神社ですが淳仁天皇(第47代)が参拝された記録もあるそうなので、かなり旧い社格の神社のようでした。この丘の麓に「塩砂」があるそうです。昔、海であった証左でもあるのでしょうか。もっとも「おのころ島神社」の「塩砂」は「アメノヌボコ」から滴り落ちた塩なので、昔から安産のお砂として村人の信仰をあつめているそうです。

 

 帰り道、ドライブしているとロードサイドにタマネギが沢山並べてあるのが目に付きました。昨日のハモすきを思い出し、ちょっと買って帰ろうかと立ち寄りました。すると、いきなりスモモを差しだしてくれました。食べてみると甘いこと。スモモ特有のすっぱさは全然ありません。木の上で完熟したものだそうです。そのうち畑からの軽トラがつき、コーンが降ろされました。それもいきなり皮をはいで半分に割ってくれます。生まれて初めての生ナンバ、あまい水分にあふれた今まで口にしたことのない食感でした。聞けば淡路島のタマネギは稲を植える前の田圃で作るとのこと。畑とは土の肥えかたが全然違うので味が肥えているのだそうです。それぞれスーパーでは手に入らない、地元の人たちだけが知ってる味なのでしょう。オノコロ島も現場を訪ねて見ると、神話の世界がかなり現実味を帯びて見えて来ました。現場を訪ねてこそわかる素晴らしい日本の食と歴史をともに堪能した二日間でした。


 


 2009年6月1日、日本の新聞各紙一面トップに「GM国有化」の記事が踊りました。ジェネラルモーターズと言えばまさに、アメリカの繁栄のシンボルでした。私がまだ中学生の頃、科学雑誌の表紙にあったデトロイトの自動車工場の写真、広い駐車場に見渡すかぎリあるのは従業員のマイカーとの解説を見て、ため息も出ませんでした。ましてキャディラックともなれば、家が2百万円で買える時代に1千万円以上、とても手が届くどころか遠い世界のおとぎ話でした。それから半世紀余り、創業から101年目の破綻でした。


 ちょうど20年前、1989年ベルリンの壁が崩壊し、ソ連で共産主義が崩れ去ったとき、全世界は自由主義、資本主義の勝利と連日報道され、アメリカが政治的、経済的、軍事的にも唯一の超大国と、もてはやされましたが、その栄光も僅か20年でその幻が消えようとしています。そもそも資本主義は、企業が自由な市場を求めて、顧客を創造しつつ自らの成長を計画し実行してゆく。市場に見放された企業は自然淘汰され、それが社会主義、共産主義に比し市場が健全化する根本の理由と理解しています。


 ところが、2008年にアメリカ政府がサブプライム問題の後、金融機関への救済と称して出したお金は5兆ドル(500兆円)(アメリカの国家予算は2.5兆円)で既に事実上、AIG(アリコジャパンの親会社)やシティグループは国有化されています。そこで今回のGMの国有化となると、ただ事ではありません。企業の大小に関わらず市場から淘汰された企業は、消え去るのが資本主義のルールのはず。アメリカの資本主義が完全にゆらいでいるのに、「世界的金融危機」との報道はされても「資本主義の危機、資本主義の崩壊」と報道するマスコミも、それについて辛口の評論をする経済学者も評論家にもお目にかかれないのが、なお恐ろしいのです。


 日本にも似たような話がありました。1989年日本債券信用銀行が不動産と地上げで破綻したとき、金融不安を理由に公的資金というごまかし語が造語され、莫大な税金が投入されました。我々の税金を食い荒らしたまま、現在はあおぞら銀行と言う名にかわりアメリカの金融資本の支配下にあります。

 

この1年、今までに無かった為替差損を計上せざるを得ない中小企業が増えています。今までの為替差損は、貿易決済のやむを得ないタイムラグで生じ、金額もそう多くはありませんでした。最近は、取引銀行が売る何らかのドルがらみの金融商品です。担当者に私が聞いてもどういう仕組みか理解出来ません。と言うより、彼等自身がまったく分かっていないのです。その評価をいちいち国税局に問い合わせなければ分からないものも、少なくありません。


 1997年ジョージ・ソロスがタイの通貨バーツを売り浴びせアジア全域に経済崩壊をもたらしたとき、(この年、北拓銀行と山一証券が破綻しています)実際の貿易決済に要する資金の10倍が投機資金として動いていると聞いて、唖然とした記憶があります。それが現在は40倍にも増加しているそうです。アメリカという国は赤字を垂れ流しながら、金融と言う博打経済でその穴埋めをしてきました。それが今回の問題の根本にあります。

 

 自由化という美名で銀行に怪しげな金融商品を扱うことを可能にし、売る方も買う方も何も知らない内にアメリカの赤字の穴埋めをさせられているのが実態のようです。キチンと最後まで納得のいかないものは絶対に手を出さないようにお願いします。そして今の金融商品、聞けば聞くほど納得のいくものはありません。


 今、郵貯がもめています。大臣と社長が茶番を演じていますが、そんな猿芝居を演じたり見たりしている暇はありません。資産222兆円の「ゆうちょ銀行」と112兆の「かんぽ生命」合計334兆の資産をもつ株式が上場されようとしています。小泉と竹中をたぶらかし郵政民営化を急いだのは、こんな狙いだったのかとぞっとしています。


 お客様の経営者のお金も郵貯のお金も、営々とものづくりに励み稼いできた大事な大事な日本のお金です。アメリカの赤字を埋めるために、強欲な投機集団にかっさらわれないよう充分注意してください。


 6月17日、京都新聞10面で大産大の本山美彦教授が「圧倒的な資産を握る一握りのエリートたちが国家と市場を動かす。米国の"金融権力"の実態はそのまま」と鋭くオバマ政権を批判しています。エキスだけを列挙すると、
 ①米国の上位400人の総資産が下位の1億5千万人の全資産を上回る。②金融危機を生んだ張本人が政権中枢に大勢いる、特にロバート・ルービン。③オバマ自身がウォール街のハミルトン・プロジェクトと深い関係があった。④そのプロジェクトが新しい金融商品(排出権など)を研究。⑤赤字解消に、ドル暴落後に新ドルに切り替える恐れがある。


こう言う指摘が早く日本人の常識になればいいのですが。


 

 ゴールデンウイークという言葉が文字どおり黄金色に輝いていたのは、いつ頃の事なのでしょうか。最近はちょっと長い休みと言う感覚でしかありません。私が年齢を重ね、感受性が鈍ってきたのかなとも思ったのですが……。成人の日(小正月)や体育の日(東京オリンピックの開催日)など、それぞれ「由緒」や「謂われ」のある日を勝手に動かしてしまう無教養な役人と政治家の所為で、やたら連休が増えているからかな、と思い今年の連休を数えて見ました。なんと正月休みを除いて土曜休みを加えると、3連休が5回、5連休が2回あります。すでに黄金週間は金メッキ以下になっていました。


 ところで、私は5月4日「国宝・海部氏系図特別展示」に惹かれて天の橋立の「籠(コノ)神社の至宝展」へ行って来ました。平安時代初めから伝わるこの系図は丹後地方が2千年以上昔から栄え、籠(コノ)神社宮司の海部氏が大和朝廷とおなじか、それ以上古くから存在した豪族であることを証明する貴重なものです。千数百年のときを経て、系図はガラス越しに目の前にありました。やや色褪せてはいますが決して風化せず一字、一字もしっかり見分けられます。この日本と言う国の歴史の古さと確かさに改めて感動していました。


 現当主、海部光彦氏には2002年12月にお会いしてお話を伺っています。その事をみどり会タイムズにも書いたことを思い出し、114号を引っ張り出し読み返してみて吃驚しました。


  「……世界は混沌としている。……すべて日本一国や、アメリカと言えども一国の軍事力だけで解決出来る問題では無くなってきている。世界で選民思想(神に選ばれた)を信ずる民族が二つあり、その一つは日本で今一つはユダヤ民族。日本は先の敗戦でかなりぐらついたところへ経済優先で成功したかに見えたが、物質文明への偏向が最近まで続き、ついに魂の抜け殻になったように見える。一方のユダヤは2千年の放浪の末、資本主義の世の中でその中心である金融を握り世界を支配しようとしているが、「ものづくり」を軽視した資本主義はいずれ終焉を迎えようとしている。21世紀は20世紀の延長線上にはない。人類が人類としての新しい世界を生み出す世紀で、そのためにここ数年の内に大激変が起こるでしょう。こんな時こそ私共は日本的な特質、大自然と共生する「大同大和」「融合同化」「四海同胞」を自覚堅持しつつ創造と調和の提言をするのが世界文化の真の質的興隆に貢献する道でしょう。」


 海部氏の話の要約ですが、まさに去年から世界を覆う金融不況や新インフル騒ぎを予言するような言葉が並んでいます。良くも悪くも世界の距離が短くなり、一国、一地域の問題を一瞬にして世界が共有せざるを得ない状況になっていることを、この二つの事象が表しているのでしょう。日本の失敗が物質文明偏重、ユダヤの失敗は「ものづくり」を軽視した金融資本主義とすれば、答えは至極簡単です。失われつつある精神文明を取り戻し、「ものづくり」が企業経営の根幹をなすことの再確認です。


 昨年末、「禅資本主義のかたち」(TKCモデルの研究)という本を宮田矢八郎(元中小企業金融公庫理事長)先生が出されました。ご存知のように、TKCは故飯塚毅先生が「自利とは利他をいう」という仏教哲学を理念として創立され、われわれTKCのメンバーもその理念を共有しています。その本の終章近くに「第一に言及すべきは自利利他という経営理念の凄みである。それはこの理念が天才の一瞬のひらめきやアイデアではなく、数千年の宗教伝統に裏打ちされた人間存在の洞察に基づいているという凄みである。それはグローバリズムが市場原理を経済の基本とし、利潤極大原理をミクロ企業の行動原理とし、私利の追求が社会を予定調和に導くといった経済学のイデオロギーを根拠にして、社会道徳の低下と殺伐たる弱肉強食の経済社会を生み出しているのと、まさに対極にある。」と、書かれています。「自利利他」という短い言葉に今わたしたちが日々行動すべき原理と、同時に世界に向けて日本人が発せねばならぬメッセージがともに込められていることを再発見しました。

 

普段がらがらの京都縦貫道、「所沢」「土浦」「稚内」などなど見たこともないナンバープレートの車があふれていました。千円の「休日割引制度」が導入されただけで、日本中が車で一杯になる、そんな国に「百年に一度の不況」などと誰が言い出したのか。大変な時代であることは充分認識した上で、いい加減なマスコミに振り回されず、「自利利他」で目前の仕事を一つずつ片づけて行こうと思います。軽くゴールデンウイーク風景を書くつもりが重い文章になってしまいました。