How was your week in Japan?と尋ねると間髪をいれず、Fantastic!と返ってきました。9月16日新島会館でオクスフォード・同志社ヨット定期戦フェアウエルパーティの席上、キュートなイタリアンのセーラーウーマン、フェデリカが眼をキラキラさせながら答えてくれました。すし、てりやき、ラーメン、お好み焼き、そば、合宿飯の親子丼からカレーまで、何が一番美味しかった?と聞くと、立て板に水の様に口にして、全部一番と答えました。食事もさることながら、女性2人男性7人の来日メンバーは、延暦寺での座禅、薬師寺での香合、金閣寺訪問などに加え、比叡山からの風景、琵琶湖周航での湖のたたずまいなど日本の景色の美しさ、艇庫で合宿しながら布団で徳俵を作っての相撲、ホームステイでの家族とのふれあい、OBの支援など日本の風土と人情にたっぷり浸かった1週間だったのでしょう。短いスピーチの間からも充分楽しさと感謝が伝わってきました。まさにすべてが「Fantastic!」だったのでしょう。
レースは13日の日曜日に、すでに同志社の勝利で終わっています。なぜか過去全て、琵琶湖でするときは同志社、オクスフォードでするときはOXFORDが全勝しています。17日の京都新聞朝刊にはフェアウエルパーティを紹介すると共に、通算成績を6勝7敗とした、と報じられました。
オクスフォードと同志社の定期戦は、オクスフォードの現役学生のアイデアで始まりました。20年前、ジョン・フィリップ・スネリング、通称J・Pと呼ばれる青年がその人です。彼の父親が英国の勅許会計士で、仕事で京都の中野淑男公認会計士事務所によく訪問していたそうです。中野先生は同志社会計人会の初代会長でもありますが、当時は名前を知っているだけで、面識はありませんでした。J・Pも日本へは何度か来ていたそうですが、ある日、琵琶湖でクルーザーに乗っているとき、「大学のヨットクラブ同士で対抗戦がしたい、東大のヨット部を紹介してほしい。」と言ったそうです。当時J・Pは日本の大学名は東大しか知らなかった様です。それを聞いた人(今では誰だか分からないのですが……。)が「ヨットなら東大じゃ意味がない、交流するなら同志社だ。」と言うことで接触が始まりました。
当時、私はヨット部のOB会の運営副委員長だったので、周囲の説得や費用集めなど結構大変だったのを思い出します。J・Pも後で写しを見たのですが、イギリスの日本の企業に手紙を出し、英国と日本の学生が交流する意義などを説いて、スポンサー探しなどを積極的にしていたそうです。父親のスネリングさんとも来日の都度打ち合わせを行い、たまたま同い年で同業ということもあって親しくなり、後日自宅でディナーをご馳走になったり、TKCのメンバーとテムズ川沿いの事務所を見学するなどしましたが、激務のせいか先年亡くなったのは残念です。
1年、ひょっとすると2年ほどの準備期間があって、平成元年、まず同志社がオクスフォードに行くことになりました。ちょうど長男の哲也が4回生でキャプテンをしている時でした。J・Pも4回生になっていました。現役8人と当時のOB会長山口さんはじめOB数名が同行しました。確か航空運賃が安いということで南周りで行ったようで、20年という時代を感じます。
始めた時はいつまで続くのか、また彼等が本気で日本へやって来るのか、確信は全然ありませんでした。事実、英国の不況でスポンサーがつかないので中止というようなこともありましたが、現在は3年間に一度ずつの相互訪問で落ち着いているようです。同志社大学副学長の西村先生や浜スポーツユニオン会長の挨拶にもあったように、オクスフォード大ヨット部は今年創部125年、同志社は2年後に80周年を迎えるお互いに伝統あるクラブが、20年間にわたって13回の交流を持っているのは全国的にも珍しい、とお褒めいただいたのは、誇らしいかぎりです。
今回来日したうち、半数以上が創設時には生まれていなかったのを知って、20年の歳月を感じると共に、私は平成4年に同行してオクスフォードに行っているのですが、当時は身振り手振りだけで意志を伝え合っていたのが、今回は同志社の学生に帰国子女が結構いることも相まって、そこ此処に英語での会話で盛り上がっていました。以前は言葉の壁のため、J・P以外個人的な交流は盛んになっていませんが、これからはそういう広がりもあるかも知れません。これも時代の流れでしょうか。