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行雲流水 ~所長の雑感~

松田進税理士事務所 所長の松田が日々思うことを思うままに綴った雑記帳

 痛快な本が出ました。最近のマスコミは何事においても、真実の追究よりもいかにセンセーショナルに表現するかだけに、関心があるように思えます。芸能記事なら好きにすればいいと思いますが、国の将来を左右する経済記事がそれでは困ります。「日本は財政破綻する。」、「国の借金が1000兆円を超えた。」、「対名目GDP比が200パーセントを超えた。」、「借金を孫子の代に先送り。」などなど、事あるたびに活字が目に踊り、マスコミ受けだけに関心のある経済学者(?)が煽ります。

私は、国債の大部分が日本国内で消化されている限りにおいて、別に問題は無いと考えてはいましたが、きちんと反論し説得するだけの知識は不足していました。簿記・会計に少々の知識のある人なら、貸方の負債だけ論じても意味がない、借方の資産はどうなってるの、という疑問が湧くはずです。また「国債費が30%を超えた。」と騒ぐのですが、国債の償還額(借入金の返済額)と利払いの区別をしようとはしません。そして、どちらにしてもその支払先は国内ですから、お金が循環しているだけの話なのです。

そのことを数字とグラフと易しい文章で説明してくれる本が、表題の「図解・それでも、日本経済が世界最強という真実」三橋貴明著、なのです。まず、政府の借金は国の借金ではありません。経済上の「国」とは政府と民間の集合体です。この対外純資産が240兆円あるよ、というのが第1章の①です。以下、第1章のタイトルだけを挙げてみると、


第1章 「莫大な借金があっても破綻しない」これだけの理由

①日本は世界一のお金持ちである

②政府にお金を貸しているのは日本国民

③日本の政府は負債も巨額だが資産も巨額

④本当は世界に援助できるほどお金があり余っている

⑤政府の借金は世界と比較してもそれほど増えていない

⑥負債残高がGDPの二倍に達してもまったく問題はない

⑦日本は家計の金融資産も世界一

⑧政府の「借金」は必要なもの

⑨日本国債の金利支払い負担は世界で最も軽い

⑩政府が借金をすると国民が豊かになる

⑪そもそも政府は借金を返す必要がない

⑫日本銀行が国債を買取れば借金は「チャラ」になる

⑬お札をばら撒いてもハイパーインフレにはならない

⑭自国通貨建ての借金で破綻するのは論理的に無理

⑮政府は「無駄遣い」などしていない

⑯公務員は多くもなければ「無駄遣い」でもない

⑰金融資産の海外逃避が起きても何も問題ない

⑱年金制度は絶対に破綻しない


 と、具体的に財政破綻などあり得ないと説いています。ただし、⑥で名目GDPが横這いなのが最大の問題であることとデフレ脱却を急務としています。


そして、第2章で「『日本はまだまだ経済成長できるこれだけの理由として20項目を示しています。主なものを列挙してみると、「日本は『輸出依存国』などではない」、「増税などしなくても日本は必ず復興できる」、「日本はまだまだ内需拡大が可能」、「他国を圧倒する技術大国・日本の高い技術力」、「広大な海を持つ日本は隠れた資源大国」、「日本の食料自給率は低くない」、「日本の農業は最も有望視される将来の輸出産業」、「日本国民は平均的に知的水準が高い」などと大いに勇気づけられる資料で一杯です。最後に第3章、「『日本は世界がうらやむ最強の国であるこれだけの理由として10項目を提示しています。元気のでる事は保証しますので、ご一読をお勧めします。

 

 とにかく、名目GDPの上昇とデフレ脱却を目指すために、やらねば成らぬ政策と、企業の立ち位置について大いなる示唆を受けました。




表記のような案内を頂いて7月12日早朝、黄檗山 萬福寺へ行って来ました。朝8時、雨の中を法堂に着くとすでに大勢の人が、床机の上で結跏趺坐か半跏趺坐の姿勢で、和尚の座禅の説明を聞いています。私も早速一座を占め、半跏趺坐の姿勢をとると、チーンと澄んだ鉦の音とともに、座禅が始まりました。ひとーつ、ふたーつ、とゆっくり数を数えながら、「無」の境地に入ろうと心がけますが、なかなかそうはいきません。警策を持って歩く和尚にも気を取られますし、額に浮かぶ汗も気になります。そろそろ足のしびれが気になりかけたとき、うぐいすが一声鳴きました。雨があがったのかな、と思ったとき、チーンと鉦がなって、短い座禅(30分足らず)は終わりました。


 このあと斎堂で黄檗宗布教師による「慈悲の心、これ仏心」という講話を聞いた後、お待ちかねの普茶料理、今までは総門の向かいの普茶料理店「白雲庵」で隠元禅師以来の形式の普茶料理で結構美味しかったのですが、今回は山内の「黄龍閣」でお寺の普茶弁当を頂きました。お向かいと競合しないのかな、と余計な心配をしました。113回というと、年に3回としても37年間、昭和50年ぐらいに始まったのでしょうか、結構長く続いています。京都中央信用金庫の親睦、研究団体としても結構古い集まりです。私はここ10年ほど、割とまめに参加していますが、朝ご飯がわりの精進料理が目的かもしれません。東福寺や天龍寺も行きましたが、妙心寺や大徳寺など他の禅宗寺院でも開催されたことはあったのでしょうか、聞き漏らしました。

TKC入会直後、昭和45年から50年頃、妙心寺がTKC会員の研修道場になっていました。自分自身の研修や職員研修で、数回参加したことはありますが、その後無関心でした。50歳代だったと思いますが、自宅の近く堀川通上御霊の西北角の興聖寺で、「いつでも、だれでも座禅出来ます」の看板を見て、春先から初冬まで半年余り通ったことがあります。一般人を集めての座禅研修ではなく、興聖寺の雲水さんと一緒でしたから、本格的なものだったと思います。週に1、2回、7時からほぼ1時間、30分の座禅を2回やってました。

春秋の気候のいいころはまだしも、真夏の汗を一杯かきながら、蚊の攻勢に耐えるのは結構きつかったなあ、という思いがあります。また冬、寒いのは厚着で何とかなるのですが、座禅中は当然、裸足になります。畳の上でも冷たいのに、方丈から法堂への冷え切った板の簀の子の冷たいこと。法堂の周りのせん(敷き瓦)の上を歩いたらしもやけになるのでは、と心配しましたが、幸い草履がおいてありました。その藁の肌触りの暖かかったこと。暖房や冷房に囲まれ、やわになっていた自分に気付くとともに、藁の自然のやさしさにも気付かされました。結構はまってはいたのですが、真冬になって「体壊したら何にもならん、暖かくなったらまた行こ。」と勝手な理由をつけてそれきりになりました。

 話は変わりますが、TKC全国会顧問の禅宗妙心寺派、千葉県妙性寺の高橋宗寛和尚を先達に飯塚毅先生の著書「会計人の原点」の輪読会、「原点の会」を京都で始めて、10数年、今年で100回を越えました。「会計人の原点」は会計人としてあるべき姿、経営者としての心構え、それ以上に、人としてこの人生をどう全うすべきか、を問われています。禅を基盤とする仏教を中心に、古今東西の哲学をも読み砕いた名著ですが、難解。10年を過ぎてようやく、おぼろげに核心に近づいている感じです。その宗寛和尚が、私が座禅をしていることを知って、ニタッと笑いながら、こう言ったことがあります。「先生、座禅をしていると、雑念が一杯湧いてくると思うでしょう。だけど座っているから、雑念が湧いて来るのではないですよ。絶え間のない雑念の流れのなかで、仕事をし、大事な人と話しているんですよ。」


目からうろこでした。それなりに仕事もこなし、会う人にはそれなりの説得力もあると、自負していたのが、吹き飛んだ一瞬でした。ティショットを打つとき、雑念が入ると見事にミスショットします。と、すれば私の一日一日はミスショットの連続ではないのか。ちょっとぞっとしました。それに気付いてからは、仕事であれ、遊びであれ兎に角、目前のことに全力で取り組むようにはしていますが。飯塚先生の和尚を通じてのご教示だったのかも知れません。座禅の効用を聞かれても確たる答えは持ちませんが、私が座禅をしていなければ、和尚のそんな言葉も出なかったでしょうし、私も素直に反応出来なかったことでしょう。


 昨年の今頃から、同志社関係の会合に出席すると、ひそかな盛り上がりを見せている話題があります。「新島八重」同志社の創始者、新島襄の奥様です。平成25年のNHKの大河ドラマのヒロインです。まさに異例中の異例、大河ドラマの主人公は、第1回、花の生涯の井伊直弼に始まり、今年の平清盛まで、日本人なら誰でも知ってる英雄で、ほとんど男でした。同志社人でもこの話が出るまで、90%以上の人が名前も知らなかったのではないでしょうか。私も新島会館に飾られているお二人の写真を見て、名前だけは知っていましたが、その生い立ちや人となりについては、全く知りませんでした。

 6月2日、からすま京都ホテルでの、同経会(同志社大学経済学部の卒業生の集い)で、同大神学部教授(新島襄の研究家で、このNHKの企画が決まってからは八重のコメンテーターを自称)本井康博先生の講演を聴いて、ようやく流れが見えてきました。

 全ては3・11に遡ります。東北大震災後の福島復興番組のヒロインとして、すでに決まっていた企画を押しのけて決まったのだそうです。その背景に、2009422放映の「歴史秘話ヒストリア 悪妻伝説 初代ハンサム・ウーマン 新島八重の生涯」が大当たり、BSも含めて10回ものアンコールがあったそうです。はたして柳の下の泥鰌も、年50回の期待に応えられるのでしょうか。

ところで、福島県人としては、歓迎しながらいささか戸惑いもあったそうです。というのは、「会津初代藩主、保科正之を大河ドラマにする会」が、すでに50万名の署名を集めていたのだそうです。それに福島県出身の有名人といえば、日本のみならず世界的に名を馳せた野口英世とその母がいます。それに加えて、会津鶴ヶ城に籠城した「山本八重子」は福島県では知られていますが、「新島八重」はWHO?だったそうです。

 キャスティングは去年6月22日に、ヒロイン「新島八重」に「綾瀬はるか」が決まりました。そのライバルで籠城戦で戦死する「中野竹子」(会津のジャンヌ・ダルクとして福島では八重よりはるかに有名だそうです)に「黒木メイサ」、会津藩家老に「西田敏行」(福島県人だそうです)。準主役として、八重の兄「山本覚馬」(同志社創立時の新島の協力者)に「西島秀俊」、八重の最初の夫「川崎尚之助」に「長谷川博己」、この二人は私は知りません。同志社人期待の新島襄はいまだに未定。

 さて、八重の86年に及ぶ激動の生涯を概観すると、大きく三つに分かれます。第1ステージは、会津時代(18451871の26年間)で、山本八重子として戊辰戦争で活躍しました。砲術指南の娘として生まれ、鉄砲と大砲が扱えたので、白虎隊の少年にも銃の指導をし、鶴ヶ城に籠城し官軍と銃撃戦を展開しました。「会津のジャンヌ・ダルク」(中野竹子と重なりますが)と呼ばれ、この間、但馬出石藩士、川崎尚之助と結婚、戦争のため離別も経験しました。第2ステージは、兄の山本覚馬を頼って入洛後、キリスト教に入信した上で、新島襄と再婚、クリスチャン・ホームを築き、夫と死別するまでの時期です(18711890の19年間)。この間、同志社との関わりは一番深いのでしょう。アメリカ帰りの夫とともに、レディファーストで「ジョウ」と呼び捨てにしたり、人力車に先に乗り込んだり、世間から悪妻の評をもらったこの時代です。襄はこんな八重を「ハンサム・ウーマン」と呼んでいたそうです。第3ステージは、同じく京都で永眠するまでの独居時代(18901932の42年間)、日清・日露戦争で篤志看護婦を努め、女性初の宝冠賞(勳7等と勳6等)を受賞した働きから「日本のナイチンゲール」と呼ばれました。同時に、裏千家で茶道三昧の生活を送り、茶道を女子へも解放した功労者でもあります。

 

 さて、大河ドラマはどの時代に焦点を結んで展開するのでしょうか。震災復興応援ドラマとしては会津時代が中心にならざるを得ないのでしょうが、それだけでは群百の白虎隊ドラマに終わってしまう。初代ハンサム・ウーマンを画こうとすると同志社、新島を避けては通れない。第3ステージが一番長いのですが、素人目にもドラマにはなりにくそうです。

大河ドラマ一回の制作費が6千万円、年間50回として30億円、30億円もの宣伝費を決して同志社のためには使わないぞ、というのがNHKの関係者の堅い決意だそうです。果たせるかな、NHKのドラマ紹介のホームページに「八重の桜」がかなり詳しく出ています。しかし、新島襄は数回出てきていますが、「同志社」は見事に避けています。すでに「新島旧邸」などのロケは済んでおり、前述の本井先生をはじめ同志社関係者への取材も結構あったと聞いておりますが、私達の過度の期待は見事に裏切られるかも知れません。

表題は、社会福祉法人「同和園」の附属診療所所長中村仁一先生のベストセラーです。

老人ホーム勤務も12年目に入り、最後まで点滴注射も、酸素吸入もいっさいしない『自然死』を数百例もみせてもらえるという、得がたい体験をしました。」と、著書の「はじめに」に謙虚に書いておられます。

単なる医療批判かなと思って読み出したのですが、「はじめに」だけを読んで、すでにショックでした。「目からうろこ」とはこんなことなのでしょうか。その「はじめに」をちょっと抜粋してみます。


………ですから、ほとんどの医者は、「自然死」を知りません。人間が自然に死んでいく姿を、見たことがありません。だから死ぬのにも医療の手助けが必要だなどと、いい出すのです。

「死」という自然の営みは、本来、穏やかで安らかだったはずです。それを、医療が濃厚に関与することで、より悲惨で、より非人間的なものに変貌させてしまったのです。

………がんでさえも、何の手出しもしなければ全く痛まず、穏やかに死んでいきます。以前から「死ぬのはがんに限る」と思っていましたが、年寄りのがんの自然死、6070例を経験した今は、確信に変わりました。

繁殖を終えた年寄りには、「がん死」が一番のお勧めです。ただし、「手遅れの幸せ」を満喫するためには、「がん検診」や「人間ドック」などは受けてはいけません。………

………本来、年寄りは、どこか具合の悪いのが正常なのです。不具合のほとんどは老化がらみですから、医者にかかって薬を飲んだところで、すっかりよくなるわけはありません。昔の年寄りのように、年をとればこんなものと諦めることが必要なのです。………

………人間は、生きものである以上、老いて死ぬという運命は免れません。最先端医療といい、再生医療といい、所詮、「老いて死ぬ」という枠内での話です。年寄りは、あまり近づかない方がいいと思います。

………年寄りの最後の大事な役割は、できるだけ自然に「死んでみせる」ことです。

しかし、「逝き方」は「生き方」なのです。今日は昨日の続きです。昨日と全く違う今日はありえません。

ということは、今日の生き方が問われるわけです。今の生き方、周囲へのかかわり方、医療の利用の仕方、これらが、死の場面に反映されるということです。………


 お医者さんも知らない貴重な「自然死」を、私は幸い?な事に2度体験しています。最初は、母方の祖父です。滋賀県は真野の母の実家に疎開していた小2の時でした。夜中に起こされて、死に水をとらされました。81歳でした。子供心に恐かった記憶はありますが、その前後に本人も家人も騒いでいた記憶は全くありません。本当に静かでした。2度目は母方の祖母、95歳でしたが、直前1ヶ月はまったく食を受けつけず、水だけで過ごし文字通り骨と皮だけになって静かに旅立ちました。しかし、「さとねーちゃん」(叔父の妻)は大変だったんだろうなあ、と今だから思います。その叔母も叔父もすでにいません。父母も残念ながら病院死です。

 「目からうろこ」は実はここからなのです。私は人間ドックを50歳前から毎年受けて、今年もすでに予約を入れています。おおよそ30年の間、おおむね良好という診断を受けて、安心しているようですが、さて、今年、後期高齢者の仲間入りをする年になって、ドックにどんな意味があるのかなと首をひねっています。

 もう一つの「目からうろこ」は、ついこの間まで私達の先祖は「逝く」も「看取る」ことも「弔う」ことも当たり前に自前でやってきました。ところが、いつの間にか、病院や葬儀社に任せるのが当たり前のような環境になっています。仕事を人手に渡すのは一見、楽なようですが、そのために思考停止におちいり、自分の責任まで放棄しているのではないのかなとも思えます。一度立ち止まってしっかりと考えてみることにします。



 中央に明かり取りの大きなガラス天井、その周囲はこった造りの格天井、蝋燭を形取った8基のシャンデリアが柔らかい光で室内を照らしています。壁は、南北は白、東西は渋い朱色の煉瓦造り、100平方メートルほどの空間に100人ほどの人が開演を待っています。


聴衆の間を縫って、演奏者が入場してきました。目の前2メートルぐらいにバイオリン、向かってすぐ右にビオラ、その奥にピアノ、ピアノの前に巨大なコントラバス、その前にチェロとそれぞれの位置について間もなく、ロッシーニの「弦楽のためのソナタ第1番ト長調」が始まりました。クラシックは機会さえあればよく聴くのですが、室内楽を演奏者と同じ平面で、目の前にして聞くのは初めての経験です。ピアノを除いた、バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスの弦楽4重奏です。演奏者の真剣な表情に目を留め、弦のまろやかな響きに聴き惚れている間の、あっという間の30分でした。


幕間での、主催者ご夫婦、安井敏雄、理子(瀬戸内寂聴の娘)さんのご挨拶によりますと、このサロンコンサートは2005年、若いバイオリニスト、梅津美葉さんと始められたようです。以来、春には京都、秋には東京で開催し、7年目第13回を数えるそうです。続いて今度はピアノも含めたモーツァルト「ピアノ四重奏曲第一番ト短調K.478」が始まりました。ピアノが入ると華やかさが倍増します。第一楽章アレグロ、第二楽章アンダンテ、第三楽章ロンド、アレグロモデラートと、楽しく聴けました。ここで休憩。


30分の休憩時間に、なんとも凝った室内と展示物を見回っている内に、ガラス戸棚の中に何枚かの、自筆のネームカードがあるのを見つけました。最初に目に付いたのがチャールズ・リンドバーグ1931・9とあります。空の英雄がなんで此処に?と思い、次々と見てゆくと、エドワード八世1921・5、ジョン・グレン(宇宙飛行士)1963・5、ジェームズ・ミッチェナー(映画『南太平洋』の原作者)1952・5、スウェーデンのグスタフ皇太子ご夫妻、ローレンス・ロックフェラー、アイザック・スターン、メニューヒン、芦田均、河合隼雄、アヴェリ・ブランデージと、有名人のオンパレード、ヘレン・ケラー1948・10までありました。

最後は、シューベルト「ピアノ五重奏曲イ長調作品114D667『鱒』」です。先の2曲は、多分初めて聴く曲でいささか緊張して聴いていたようですが、この曲の第四楽章「鱒」はさすがに聞き慣れていて、ほっとリラックスして聞けました。演奏会が終わると、同じ階下の部屋にワインパーティの用意がしてあります。しゃれたおつまみが用意され、ワインは赤白飲み放題のようです。2、3杯傾けるうちに演奏者も加わっての楽しい集いでした。来年もこの楽しい、ちょっとハイクラスな催しには是非参加しようと思ってます。皆さんもいかがですか。


ところで、有名人のネームカードの謎、ネットでパビリオンコートを開けると簡単に分かりました。19世紀末から20世紀初頭にかけ、混乱期の日本や中国の美術品をアメリカ、イギリスを始め世界に知らしめ、世界の富豪や美術館を顧客にもった美術商、山中合名会社の顧客向け迎賓施設という店舗でもありました。道理でなんとなく上品でありながら、バタくさい雰囲気も大いに頷けます。現在は、コンサートや結婚式場など貸し会場に使われているようです。東山、青蓮院の真向かいです。館内の「喫茶いろどり」は誰にでもオープンで、簡単に雰囲気は味わえます。なお、これを書くために購入した「ハウス・オブ・ヤマナカ-東洋の至宝を欧米に売った美術商-」(朽木ゆり子)は、明治期の青年の気概と冒険心、当時の欧米の東洋美術への関心の高さと、美術品の欧米への流出の経過、世界に名の売れた事業が戦争のため敢えなく消えてゆく過程を画いた優れもののノンフィクションでした。