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行雲流水 ~所長の雑感~

松田進税理士事務所 所長の松田が日々思うことを思うままに綴った雑記帳

 同志社の経済学部の卒業生の集い、同経会を毎年6月(今年は1日)に開いています。総会、懇親会の前に内外の著名人をお招きして経済(とは限りませんが)のお勉強をしています。今年は津上俊哉氏(東大卒、通産省を経て現在、中国コンサルタント)をお招きして、ちょっと異色の興味あるお話を聞くことが出来ました。


6月7日~8日にかけてのオバマ大統領と習近平国家主席との首脳会談では「大国同士の新たな関係のモデルをつくるべき」(習主席)などと大国意識が表面にでたり、「(GDPが)今後10年で米国を抜いて世界一になる可能性もある」(同日の日経)と報じるなど、中国台頭論がかまびすしいですが、それに一石を投じるような冷静な講演でした。

 

 10年ほど前から「京都府・雲南省友好協会」という小さな私的な団体に加入して、雲南省の二つの中学校にささやかな奨学金を届けています。今まで数回、昆明、大理、麗江、シーサンパンナ、シャングリラなどを訪問しました。そこで省政府の要人や中学校の先生、生徒、または旅行案内のガイドさんなど、直接中国内陸部の人たちと接触していますと、上海、北京を主とする中国台頭論にはそうかなぁ、と首をかしげることが多かったのですが、この講演を聴いてうなづけることが多々ありました。

 

 講演の要旨をこの紙面で伝えるのは不可能ですが、さわりだけを書いてみると、経済成長には三つの要素が必要。一つは労働投入量増大、一見無尽蔵とも思えた安価な労働力が世界の工場としてGDPを押し上げてきたのですが、限界にきている。すでに都市部では人件費の高騰と定着率の低さは、われわれの顧問先でも経験済み。都市と農村の二重構造のため、労働力の移動は自由でない。1人っ子政策のためすでに日本を上回る勢いで高齢化社会に突入しつつある。労働資源が生産性向上に寄与することは期待できない。


二つ目は資本投入量の増大ですがこれも限界。2008年のリーマンショックは世界中を空前の経済落ち込みに追い込んだ。中国も例外ではなかったのですが、空前の4兆元(57兆円)の経済刺激策を発動、劇的な効果を発揮した。中央政府が3割(1兆2千元)、残りの財源は地方政府が有利子負債で負担した。投資対象事業は都市インフラ(鉄道、道路、空港)、民生関連(農村インフラ、医療衛生・教育文化事業)。ところが2012年あたりから当初の効果が甚大だった分その後の副作用が明らかになりつつあるとのこと。


これを聴いて2010年に訪問した中学校のことを思い出しました。大理市から出来立ての高速道路で30分、その間トンネルと山間ばかりで都市も観光施設もありません。あっという間につきました。前回(2008年)には大理市から野超え、山越え谷を渡り、3時間ほど車に揺られて行ったのですが。そして訪問した中学校で、奨学金は主に教科書代に使っていたそうですが、今年から無償支給になったので参考書が買えます、とのことでした。


三つめは生産性の向上。「中国で行われるiPhone組立工程に支払われるコストは6.5ドル分、1台約179ドルの製品原価の36%分しかない」「製品原価の34%に相当する61ドルを日本製の電子部品が占めている」中国の輸出額の半分はこういう賃加工貿易が実態。生産性向上、付加価値の向上は先進諸国、特に日本の民間企業における、あくなき向上心と普段の改善改革に負うところが大きい。中国も「自主創新」を国策とし科学技術研究や研究開発助成への予算投入を急激に増加しているがはたしてどうか。将来はともかくとして、急激な成果は期待薄。要は国家資本主義が限界にきているのではないのか。一時期「国退民進」(国営企業が退出して民営が進出する)とうたわれた時期もあったが、今は「国進民退」が圧倒的。経済成長の果実を官がとりすぎ。強大な行政権で腐敗、特権層が跋扈。「大鉄飯(親方五星旗)」で生産性が向上するか。


そして私たちが大いに関心がある、中国人の対日感情に対しては二つの興味深い指摘がありました。歴史領土問題は日中間の「国際問題」である以上に、中国人の「内面問題」であるとして、「漢奸タブー」と「抗日ドラマ」を例示されました。漢奸タブーとは外国特に日本に対して融和的な言動には、「漢奸(外敵に手を貸した同朋)」として糾弾される、特権階級も民衆も同じ。「抗日ドラマ」は売れ筋を次々と統制され、辿り着いた安全パイが「抗日物」、悲しい現実のようです。


最近特に「尖閣問題」を通じて中国も日本も熱くなりすぎているようです。日本人は特に中国の肥大化に対して被害妄想に陥っているのではないかと思われることもあります。頭を冷やすという意味でも意義のあった講演でした。

国民栄誉賞がかしましく話題になっています。いま何故長嶋なのか、なぜ松井秀喜と抱き合わせなのか。昨日(15日)国民栄誉賞の金色のバットが、石川県能美市の「松井秀喜ベースボールミュージアム」に常設展示されることになり、お披露目されたそうです。実は5月4日に能美市の辰口温泉に向かって小松インターを降りたとき、目に入った「MATSUI HIDEKI BASEBALL MUSEUM」の看板に誘われるままに、入場してきました。その翌日に東京ドームでの授賞式があっただけに、妙に関心をそそられてテレビや新聞報道をわりと熱心に見ていました。


授賞式までは松井に対して懐疑的な記事や論評が結構あったように思います。式典での彼の挨拶も、「・・・王さんのようにホームランで、衣笠さんのように連続試合出場で、世界記録をつくれたわけではありません。長嶋監督の現役時代のように、日本中のファンの方々を熱狂させるほどのプレーが出来たわけでもありません・・・」とかなり控えめでした。その後の記者会見や対談などでも、常に長嶋を立て謙虚に振る舞っているのを見ている内に、そんなに遠慮することも無いじゃないと妙に判官贔屓になり、「松井」と言う記事や本に敏感に反応するようになりました。そして私にとって一野球選手でしかなかった松井秀喜に共感するようになった活字に出会いました。一つは『逆風に立つ、松井秀喜の美しい生き方』(伊集院 静)そしてもう一つ、週間現代5月25日号『伝説はここから始まった!松井秀喜「甲子園5連続敬遠」を語ろう』を面白く読みました。


週刊現代の記事は1992年の夏の甲子園、石川の星陵高校と高知の明徳義塾戦での5打席連続敬遠という前代未聞のゲームの当事者、星陵の6番打者・福角元伸と、明徳義塾の投手・河野和洋と4番打者で一塁手の岡村憲二の鼎談です。冒頭星陵の福角があの試合の終了後挨拶無しで帰ったことをわびると、明徳の岡村があの雰囲気ではしてもらえないと思っていたと素直に発言、当事の異様な雰囲気をうかがわせます。投手の河野は、当日になって敬遠を指示されたこと、7回は2死無走者でも敬遠のサインを見てそこまでやるかと思ったこと。ファーストの岡村は(松井が)1塁ベースで何かに耐えるように目をつむって瞑想しているように見えた。怒りを表に出さないのはさすが。特に9回2死、3番の山口が3塁打を打って4番松井が5度目に敬遠されたとき、スタンドからゴミやメガホンや缶ビールが飛んできて、「カエレ、カエレ」の大合唱、殺されるかと思ったときでも、彼は瞑想していた。などと語っています。当時の松井の高校生ばなれした雰囲気が伝わってきました。

 伊集院 静の『逆風に立つ・・・』はいささか誉めすぎのようには思えますが、「彼の人生はいつも逆風に立っていた。それを平然と受け止め、克服してきたのだ。その姿に私たちは勇気と感動をもらっていたのだ。゛逆風に立つ゛それが松井秀喜の生き方だったのだ。」の言葉には深みを感じました。


最初の逆風は5敬遠。週間現代の鼎談のなかで、福角はこう語っています。「・・・松井はいつも言っていたんです。『・・・自分は何もしていない。敬遠で全国区になった選手なんて後にも先にも自分だけだから、あの試合のことは感謝している。』」


2番目は逆風だったかどうかは分かりませんが、彼は高校時代タイガースの掛布ファンだった事は周知の事実のようですが、長嶋監督のくじに素直にジャイアンツへ。巨人での活躍は結果的に彼にとって幸運だったのでしょう。


3番目は10年後、フリーエージェントの権利を得るや、事前に何らの工作をすることなく、大リーグ入りを宣言、「日本のファンの方を裏切ることになるかも知れませんが・・・決断した以上命を賭けて戦ってきます。」と言ってヤンキースへ。

4っつ目はケガ、2006年の左手首骨折で連続試合出場が1768試合でとぎれ、それ以後ケガに悩まされます。2009年、新ヤンキースタジアム誕生の年にワールドシリーズ制覇、DHと代打だけながらMVP獲得。


最後は、その翌年ヤンキースとの契約でDHのみの契約を拒否、エンゼルスへ、翌年はアスレチックス、2012年7月2日レイズでのプレーを最後にグランドから姿を消しました。そして2013年5月5日東京ドームに姿を現しました。


彼の実家跡に建つMUSEUMには小中学校時代の写真や賞状からワールドチャンピオンリングまで、彼の野球一筋の歴史が詰まっていました。運命に逆らう事無く、策を弄することなく、自分の意志を曲げることなく、与えられた場で努力し続けて今の彼がある。充分に国民栄誉賞に値すると私は思います。

 「……仏教哲学の精髄は『相即の論理』である。般若心経は『色即是空』と説くが、それは『色』を滅して『空』に至るのではなく、『色そのままに空』であるという真理を表現している。同様に『自利とは利他をいう』とは『利他』のまっただ中で『自利』を覚知すること、すなわち『自利即利他』の意味である。…… 

 そう解すれば自利の『自』は、単に想念としての自己を指すものではないことが分かるだろう。それは己の主体、すなわち主人公である。また利他の『他』もただ他者の意ではない。己の五体はもちろん、眼耳鼻舌身意の『意』さえ含む一切の客体をいう。

 世のため人のため、つまり会計人なら、職員や関与先、社会のために精進努力の生活に徹すること、それがそのまま自利すなわち本当の自分の喜びであり幸福なのだ。……

 

 これは40年以上前から知っている「TKC理念」なのですが、さて職員やお客様に納得出来るように説明しようとすれば、自己矛盾に陥って終う。なんとか分かりたい、いやそれ以上に具現出来ればと思って始めたのが「原点の会」です。当事まだ若かったTKC顧問の妙心寺派の禅宗の僧侶、高橋宗寛和尚を先達に、飯塚毅先生の著作、講演集「会計人の原点」を比較的若手(当時)のTKC会員数人から10数人で読み進めています。全国で10数グループあるのでしょうか。「近畿原点の会」は去年100回を迎えました。正確な記録がないので分かりませんが、ほぼ年6回開催していますので、第1回の20世紀後半からおおよそ20年近く続いています。

 

 第1回の和尚の話の、「今の世の中、『損か得か』『善か悪か』『右か左か』『好きか嫌いか』などなどの、単純な二元論が横行している。私達は腰を据えて、『わからない』という言葉を横に置いて『青い議論』を続けましょう。」という発言がはっきりと記憶に残っています。台湾の元総統、李登輝さんは日本の旧制中学に学び、「青春時代の数年を『青い議論』に明け暮れた事が自分の人間形成に大きな影響を与えた。」と繰り返しおっしゃっています。私達をふくめて戦後世代は、民主的、合理的といった便利な軽い言葉にまどわされ、「ハウツー」ものに毒されてきたような気がしています。

そんななかで、飯塚先生が自らの事業の基礎に「自利利他」を置き、会計人にもTKC全国会の中心理念として説かれた事は、われわれにとっては大きな財産でした。しかしその神髄にたどりつくことの道の長さ。先週4月12日の「原点の会」は「説得力」がテーマでした。「説得力」だけでも初回のメモを見ると 11年8月、2年がかりで読み進めています。その間宗寛和尚はわれわれの理解を助けるため、中国古典や仏教教典を題材に、とくにお釈迦様から直接伝わるとされる禅宗各派の名僧の言葉をテーマにたくさんのことを調べて、われわれの理解を助けてくれています。

 

 この間世界中でまた日本でおこっている事は、冒頭の理念で掲げる「主人公」、つまり人間の、地球生命の、宇宙の持っている本来のことからはずれた事件や出来事ばかり。思いつくままにあげても、ホリエモン、デフレ不況、民主迷走、原発事故、尖閣、中国問題、北朝鮮、リーマンショック、イラク戦争、EU通貨危機、世界中を巻き込んだ物欲と権力欲に世界の人々は翻弄されています。そんななかで大震災が発生しました。13日にも淡路島で強い地震がおきています。そして東南海地震など日本列島に強い警告もでています。 

 

 日本人は古来から自然を畏れ敬い、自分を律し他の人々と協同しながらこの日本列島で暮らしてきました。まさに自利利他を一身を持って示しながら長い年月をすごしてきたように思います。大災害に際し示して頂いた東北の人々の行動は、まさにそれを具現した姿でした。

 

 「原点の会」で学び始めてすでに10数年あまり、その間、わたしも知らぬ間に、還暦、古稀をすぎ、まもなく喜寿という節目を迎えます。その間何ほどの学びが出来たのか。ましてその実践となると心細い限りです。最後にTKC理念の最終の言葉をもって今後の自戒としたいと思います。「……そのような心境に立ち至り、かかる本物の人物となって社会と大衆に奉仕することが出来れば、人は心からの生き甲斐を感じるはずである。

連日9時から5時まで、3日間にわたる「認定支援機関向け・経営改善、事業再生研修」も終わりが近づいています。3月1日の午後、【設問1】「当社が窮境に至った原因とその除去可能性について記述してください。」の設問に各自が記述し、グループディスカッションを終え、各グループの発表が終わりました。いよいよ最後の【設問2】「具体的な企業再生手法としてA銀行によるDDSの実行効果を織り込んだ、当社の経営改善計画のポイントを記述してください。」に突入しました。TKCの税理士を中心に一部弁護士や銀行マンを加えたほぼ60人が、連日の疲れは否めないものの精力的に取り組んでいます。

 

 民主党の目玉施策として、亀井大臣肝いりの『中小企業金融円滑化法』が平成21年12月に施行され、1年の時限立法が再々度延長された後、平成25年3月、今月末終了になります。『金融円滑化法』では資金繰りが窮屈な企業がリスケ(返済猶予)を申し出れば、金融機関は無条件に応じ無ければなりません。返済猶予を受けて資金繰りが楽な間に、企業は速やかに経営改善計画書を提出し早期に正常な経営に戻ることを期待されていました。しかし340万件超、累積額95兆円超の返済猶予企業で「実現可能性の高い抜本的な」経営改善計画を持ち、前向きに再生しつつある企業は限られているようです。

 

 そこで平成24年6月に『中小企業経営力強化支援法』が制定されました。それに先だって4月20日に、内閣府、金融庁、中小企業庁の連名で「中小企業金融円滑化法の最終延長を踏まえた中小企業の経営支援のための政策パッケージ」が発表されています。それによると、経営改善を目指す中小企業をバックアップしていくうえで、従来の商工会や商工会議所に加え、金融機関や税理士などの支援事業を行う者の認定を通じ、中小企業に対して「チーム」として専門性の高い支援を行う事を狙いとしています。松田進税理士事務所は平成24年11月5日に既に支援機関の認定を受けています。冒頭のシーンはそれを受けて中小企業基盤整備機構が支援機関に対して行った「平成24年度認定支援機関向け経営改善・事業再生研修(3日間コース)のひとこまでした。このパッケージと経営力強化支援法の中で、私にとって注目すべき点は二つありました。一つは企業再生の担い役に税理士が明記されたこと。もう一つは金融機関が資本性借入金(DDS)を活用した事業再生を検討すること、と明記されていることです。税理士(特にTKC)はすでに「継続マス」システムを使って多くの顧客企業と一緒に、経営計画を作成している実績があります。これをもう一歩進めて、企業内で具体的な行動計画を作成し、モニタリングが出来る仕組みをつくれば、金融庁の言う「実現可能性の高い抜本的な(実抜)計画」は出来上がります。またDDS(資本性借入金)とは現在のキャッシュフローでは20年以上たっても返済しきれない部分について、資本注入に似た取り扱いをすることです。返済のための借入金を繰り返し、自社の明快なキャッシュフローを掴み切れていない企業にとって使い方では朗報になりうる可能性はあります。

 

 金融庁は平成24年11月1日の「円滑化法の期限到来後も、貸し渋り・貸し剥がしの発生や倒産の増加といった事態が生じないよう検査監督を通じて……円滑な資金供給に努めるよう……」との大臣談話を発表しています。したがって新しい年度が始まって(平成25年4月)すぐに金融機関の態度が変わることは無いと言えますが、逆に金融庁のこういった方針が金融機関の末端(支店長クラスでさえも)には通じていないおそれの方が大きいのでは無いでしょうか。

 

 幸い当事務所のお客様で「リスケ」をされているお客様はございません。しかし長い間のデフレと先を見通せない環境のなかで、厳しい企業運営を日々続けられていることは変わりありません。アベノミクスでやや明かりが見えかけているようにも感じられますが、それで全て解決するほど、甘いものでは決してありません。やはり経営の常道は、社員が納得出来る「経営理念」をもち、「経営計画」を立て社内に浸透させ、「PDCAサイクル」を一丸となって回し続けて行くことかと考えます。

 

 「経営計画を立てよう」「銀行の反応が鈍い」「モニタリングってなんだ」「DDSってどうすれば使えるの」とか何らかの経営課題を感じられたら、職員を通じてでも直接私あてでも結構です、一刻も早くお知らせ下さい。事務所一丸、全力を挙げて対処してゆきます。必要ならば企業再生支援機構や中小企業再生支援協議会の協力を得ることも可能です。メイン銀行との頻繁な情報交換も必須です。そんなお手伝いも時には重要なのかなとも、考えています。



いよいよ伊勢神宮の式年遷宮の年が明けました。今年は出雲大社も60年ぶりの遷宮を迎えるそうです。2月5日の京都新聞に、下鴨神社と上賀茂神社の「正遷宮」の記事が出ていました。両神社の遷宮は21年ごと、下鴨神社は34回目、上賀茂神社は42回目だそうです。以前は建物の建て替えも行われていたそうですが、両神社の建造物は国宝や重要文化財ばかりで立て替えは不可能、また費用や用材確保の面でも難しいため、現在は社殿の屋根の葺き替えや修理が主とのこと。今年ではなくて2015年、再来年だそうです。

 

 毎朝、参拝している上御霊神社が毎年伊勢参りを催しています。平成7年に初参加しましたが、式年遷宮に因んで今年も1月26日に、小栗栖宮司に連れられてお参りをしてきました。「天気晴朗なれども風強し」宇治橋前の一の鳥居にバスから降り立つと、強い日差しが照りつける中強い風が吹き付け、神宮の森の大木が揺れ動いています。相変わらずの人出(今年は特に多かったそうです)にもまれながら、二の鳥居、三の鳥居、四の鳥居を過ぎて、30余段の石階を上ると、外玉垣南御門前に到着です。神社参拝団のいいところはこの後我々だけが御垣内に入り、宮司さんにあわせて厳粛に礼拝できることです。二礼、二拍手、一礼と厳粛にお参りしました。式年遷宮を迎えて何か雰囲気が違うのかなと期待していましたが、新しいお社が白布に覆われているだけで、とくに表向き変わったところは感じられませんでした。

 

 1月12日に九州は高千穂の天の岩戸神社に、2週間後伊勢神宮と、続けてお参りしてきました。同じ「天照大神」をお祭りしているのに、雰囲気はまったく違いました。

「なにごとのおわしますかはしらねども かたじけなさになみだこぼるる」(西行法師)

のうたにあるように、伊勢神宮は多数の神職がお仕えし、厳粛で荘厳な雰囲気に身の引き締まる思いで一杯になりますが、天の岩戸神社では、物語の牧歌性と夜に見た高千穂神楽のせいか、神々がいかにも人間的、親しみさえ感じました。我々日本人は自然、山、大木、岩、風、雷、人などあらゆるものに神の存在を感じています。一つの神様を多様にお祭りするのも、神道のおおらかさの表れなのでしょうか。

 それともう一つ。今回伊勢神宮に行く前にご案内いただいた「瀧原宮」(たきはらのみや)。ご祭神は「天照坐皇大御神」アマテラシマススメオオミカミと読みます(天照大神のことなのですが伊勢神宮も正式にはこうよぶそうです)。参拝のしおりによると 『第11代垂仁天皇の御代、皇女倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が、大御神さまが永遠にお鎮まりになるべき大宮地を求めて各地をご巡幸された後、この瀧原の地に宮殿を建てられおまつり申し上げた。その後さらに良い宮どころを求めてご巡幸になり、ついに現在の伊勢にご鎮座になった。』 とあります。伊勢にひけを取らない広大なご神域だそうですが、こんもりと茂るご神杉の大木に覆われた自然林は素晴らしい景観で、参拝者がまばらなだけに、心身が引き締まる思いはより強かったようです。機会があればお勧めです。

 

 2月11日いつものように上御霊神社にお参りすると、神前に矛と盾が飾ってあり神職が大勢立ち働いています。伊勢にも同行した、女性の神職さんに「今日は何があるのですか?」と聞いたところさらりと「紀元節です。」と返ってきました。懐かしい響きの言葉でした。「建国記念日」ではなくて「紀元節」が生きていたことに感動を覚えました。多分全国津津浦浦の神社でまつられているのかと思うと嬉しくもなりました。ところが後日事務所で「紀元節知ってる?」と聞いたところ一人も知りませんでした。すでに死語になってしまっているのですね。


 紀元節は明治になって国民の祝祭日を決めるとき、日本書紀に書かれている神武天皇の即位の日を、新暦に読み替えて決められたそうです。終戦後GHQによって廃止され、昭和40年前後に復活させるかどうかで、大げさに言うと国論を2分する騒ぎになったように思います。反対派は例によって『軍国主義復活』、『2600年以前の歴史的事実が明らかでないものを祝日にするとは何事』などなど。私は単純に1200年以前に日本書紀に書かれているのは歴史的事実なのに、と考えていました。紆余曲折の上、昭和41年に「建国の日」として復活したのだそうです。


縄文、弥生の時代から民族に綿々と受け継がれている物語、それら自然と共生する中で生まれてきた神道、それを中心に日本の歴史をたどって見るのも、今を見直すことになるのかも知れません。