无伝という物語。 | 音の破片

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舞台 刀剣乱舞 无伝 夕紅の士-大阪 夏の陣-へ。いざ出陣。

 

というわけで、盛大なネタバレで驚きをもたらしたいので(←)

みたくなければここを今すぐスルーしてください。。。。。

 

 

 

 

 

 

 

というか、ですね。

「天伝 蒼空の兵」の物語が、本当にスキでした。

当日急に見たい!!とか思い立って、当日券で行っちゃうくらい、スキでした。

なんというか、まあ、伏線はいっぱいあったんだけど、

いろいろモヤっとするシーンもあったけど、

それでも最後は本当に清々しく、すっきりした気分で家路につくことができた。

明日も頑張ろう、とか思えた。

なので今でも天伝ロス、と言う言葉を勝手に言っちゃうくらい、天伝をひきずったまま、无伝に突入した。

 

今回は、引き続き豊臣の話で、夏の陣なので、豊臣は負けるという史実通りにしなければならないのだけど。

今回は、わりと序盤で「よし、これ無理だ、放棄しよう。」みたいな負け色が出てますw

 

刀剣乱舞の世界では、まず第一に史実通りに歴史を守る、という役目があります。

どんな形であれ、終わりよければ全てよし!みたいなかんじでもOK。

もし史実通りに歴史が流れない場合、歴史は修正されたと判断され、その歴史は閉鎖、つまり「放棄された世界」となり、なかったことにされる、という設定。

 

今回は、夏の陣でキーパーソンになりえた真田信繁が、まずいない。

天伝のラストで「歴史に一太刀浴びせる」と言い残し、まさかの自害。

うっかりその場にいた大千鳥が、仕方なく真田信繁のフリをして、とりあえずなんとか史実通りに戻そうとするも、あっさり見破られる。

 

個人的には、この「諸説」も結構好きなんですよね。

真田信繁、いや幸村は、影武者がすごくいっぱいいたという諸説がある。

幸村に実際に会ったというお偉いさんがたは、それぞれ特徴を言ってみるも、誰一人合ってなかったという。

だから、真田十勇士が幸村の影武者ってことでいいんじゃね?と思いましたがw

 

そしてこの无伝の核となる、「無なる逸話から産まれた」真田十勇士。

冬の陣で、「如水が顕現した」と言われていた。

如水、顕現できるの?さにわなの?

・・・まあいいやw

無なる逸話ということですが、私は、やっぱり元になった人は史実に実在するんじゃないかな、と思っています。

如水が顕現したから真田十勇士も時間遡行軍なのか?とおもいきや、真田十勇士は時間遡行軍と敵対するシーンもあり、そのへんの関係性は謎。

 

むしろ逆に「刀剣男士は、俺たちと似ている」という。

たしかに、どちらも自分たちの守るものが明確で、

そして痛いほどの純粋さと愛をもって、ひたむきに、ただ、守ろうと戦う姿は似ている。

人間のように、笑い、惑い、怒り、そして全力で戦う真田十勇士たちは大変魅力的だった。

最終的に刀剣男士と真田十勇士は直接対決をすることとなるが、

途中、刀剣男士よりも人間くさい彼らのほうを応援したくなっちゃうもんねw

 

もう一人、歴史上では、京都に足止めされていて大阪城には居なかったとされる秀頼の育ての母、高台院が出てくる。

そういえば加藤清正とか福島正則とか出てこなかったよな~。今回人物キャスト少なかった。

まあ、どっちかというと刀ステの大核である三日月宗近の物語のほうに重きを置きたかったのだろう。

 

三日月は高台院の刀でもあったことから、この二人が絡むストーリーを描きたかったのかな。

 

ラストは、もうツラくてしかたなかったです・・・ww

最終的に大阪城が落城して燃やされるわけですが、秀頼さま、一期達と出会ったことも、もう忘れちゃったんだな・・・

 

あんなに笑顔で「秀頼さま!」って挨拶してた鯰尾で腹を切り、

高台院への介錯を頼んだ刀は、一期一振。

秀頼さまが頭上で抜刀するその姿を見た瞬間・・・

 

「そのときは、どうか、お許しください」

 

「私は、豊臣の守り刀から、歴史を守る刀になったのです」

 

「秀頼、すまない、せめて側に居てやりたかった」

 

って、

天伝での一期のセリフが勝手にフラッシュバックしちゃって、

もう、正直つらすぎて、見てられなかったですw

まあ、実際は自害した刀は鯰尾ではないという説が有力っぽいですが、

ここで愛刀の鯰尾出してくるとか、もう、天伝を愛しすぎた私への意地悪なのか、とか思いましたw

 

一方、秀頼の自害を介錯した高台院も、

「ここに居てはいけないはずの者」だから、三日月に斬ってくれ、と頼む。

 

 

放棄された世界は、閉じられるのだが、

果たして、焼け落ちる大阪城に居た三日月は、放棄された世界から戻ってきたのだろうか。

 

鶴丸と三日月が対峙するシーン。

永遠とも思える歴史を守る戦いに

「どうしたら狂わずにいられる?」

という鶴丸の問いに

「あの本丸があるから、戦える」

みたいな答えがあった。

 

古い刀であればあるほど、持ち主を次々と渡り歩き、主を失う悲しみを何度も経験してきたはずだ。

刀として、ずっと歴史を見てきた、それこそ「史実通りの歴史」を。

今、刀ステ本丸にたどり着いた三日月は、この本丸を、とても愛しているように感じた。

愛しているから、守りたい。傷つけるものから遠ざけたい。そんな気がする。

一方、刀ステ本丸でも、

慈伝では「三日月はここに帰ってくるような気がする」とみんな言っていた。

 

失っても、傷ついても、

戻る場所があるから、前に進める。

守る者があるから、戦える。

それはまるで、我々人間が、人間たる故の「本能」ではないだろうか。

いま、我々が忘れそうになっている、とっても大事な、本能なのではないだろうか、と思う。

 

また、この公演は

緊急事態宣言に無情にもひっかかり、2週間の公演が中止に。

私も行くはずだった公演が払い戻し対象となった。

 

悔しい。

それ以上に演者やスタッフたちはさぞ辛いだろう。

だが、主たちはこの本丸で待っている。

皆の帰りを待っている。

 

この苛烈な戦いをしのいだら、またステアラに集おう。

 

そしてまた、みんなで无なる戦いを見届けようか。

我々は、ひとりではないのだ。

守るべきこの舞台が、この本丸があるから、頑張れる。

 

 

 

複雑に絡まった時間軸のなか、ひとすじだけ、三日月と本丸を結ぶ糸が光った。

そんな気がした物語でした。

 

本丸に帰らない、山姥切。

歴史の糸に絡まった、三日月。

 

 

次の物語は、「陽伝」で。

また、始めよう。

 

 

 

(その前に綺伝じゃーーーい!!)