それはそれ。 | 音の破片

音の破片

音楽(ライブ)好き人間の、右脳的ブログ。

新型コロナウイルス感染症の蔓延防止措置として、エンターメント界では、今まで考えられなかった「無観客配信」という形が生まれた。


ライブや演劇などは通常のように行われ、そこにはカメラのみが配置される。

お金のある(←)団体だったら、カメラ台数は多く、曲によるスイッチングがあったり、カメラワークにこだわった映像を見ることができたりする。

 

最初、無観客配信という形を見た時は「なるほどなあ、こんなのもアリだなあ」、なんて思った。


観客は家で、食べたり飲んだり喫煙したり、お風呂入ったり、好きに過ごしながら画面で好きなバンドや役者をオンタイムで見る。


スイッチングがあれば好きな人のアップも見られたりして、それは通常座席が決められているような場所では見ることのできない表情だったりするわけだ。


全員、最前列気分。


前の人のアタマが入り込んで見えない、なんてこともない。


何度も見られるライブだってある。


音もクリアだし、隣で音痴の人が全力で歌うという、「ライブハウスあるある」が、ないw。


ライブに間に合うように支度してあわてて電車に乗り込んで1時間超、会場に来た時点で疲労感、みたいな通常の苦労がなくライブが見られるのはちょっといいかな、とか思った。

 

が。

 

やはり、無観客配信は、あくまで「そういう形のエンタテイメント」でしかないと気づく。

ライブにおいてだが、まずいつも見ているアーティストさんなのに、無観客だと全然違うことに気づく。

あれって、逆に緊張するんですかね?


あとは、音がクリアすぎて、バンドによっては、「アラが目立つ」ことも良くある。

多分通常のライブでは気にならない音の外しとか、ギターソロの雑さとかw。そういうのがやけに目立つ。

配信ライブは、音をこだわりました!とか言ってるけど、その音の良さに逆に足をすくわれているバンドをよく見かけましたw

 

特にライブバンドってのは、その場の熱狂やテンションを音の力に替えている。

だから、無観客だと、借りてきた猫みたいになっちゃう人たちもいましたw。

けっこう、上手なバンドと下手なバンドの差が明確になってしまったかな、と。

 

なので、コロナ対策で「代替品としての無観客配信」ってのは、違うな、と感じるようになった。

配信を見たからってライブに行った気分にはならないし、


もうほんと、「配信は、配信。」と言うしかない。


うまくこれを使えるバンドやアーティストは、この手法をもっと広げていけば、全国、全世界のファンが増える可能性がある。

使えない人たちは、まあ、一時しのぎに使うしかないよね・・・

 

ところで、人の流れを抑制するためにライブや演劇はやってはいけないとのことですが、

そうはいっても、通勤や通学で朝や夜に混雑している電車をどう言い訳するのでしょう。

遊びだから、仕事だから、そんな区別はコロナウイルスにはできません。

密集する場所に感染リスクはあるのでしょ?

 

職場でのクラスターの発生率と、劇場やライブハウスのクラスター発生率はどちらが高いのでしょう。


じゃあ、オリンピック観戦は?全国から人が東京に密集しますよ?

 

人は矛盾を不公平だと感じると思います。

すでに感染防止対策を徹底させている劇場やライブハウス、デパートなんかを閉鎖して、オリンピックは「感染予防を徹底して開催」と。

矛盾以外の何者でも無いと思います。

だったらせめて無観客だし、公平性を保つなら、中止が一番最善案だと思います。

 

だって、どうせ、

オリンピック開催をきっかけに、きっとどの店もかき入れ時だから、みんな開けるでしょう。

きっといままで我慢していた陰性者のみなさんも、やっと大手を振って出かけるでしょう。

そりゃ行きますよ。

私だって出かけるさ。

 

オリンピック関係なく、感染者は増大するのは目に見えています。

ワクチンがオリンピック開催までに全員に投与できなかった時点で、もう「国民は守らなくてもいいや」って思ったのかな。

 

国を挙げて世界中のあらゆるスポーツを応援したい大会なのに、こんなに久々に日本で開催されるのに、

なんか、こんなに歓迎されないと本当にかわいそうだな。

それこそ、オリンピックの代替の大会とか作って、挽回させてあげて欲しい。