久しぶりの更新となりましたが、
ご訪問いただきありがとうございます

最近は、
市民向け講座が続いていましたが
今日は医療者の方々への講演でした。

「聴く力で変わる医療コミュニケーション」

今回はじめての病院でしたが、
私の小学校、中学校の同級生だった医師が
講演のご担当だったからか、
何だかリラックスしていた自分を感じました。
そして講演終了後、
彼女に近況やこれまでのことを語ったのですが、
その時に自分で気づいたことを今日は綴らせていただきます。
全職員を対象とした講演で、
医療コミュニケーションということもあり、
私の病気に触れることはしましたが、
時間も短かったので細かく語ることはしませんでした。
講演の中で、
視点がどこにあるのか…
というお話をしたのですが、
終了後、彼女との語りの中で、
「もう治らない」
そう言われたことに視点を置くのではなく、
自分が望むことに視点を置いている。
という話をしました。
もちろん最初からその視点だったわけではないけれど(;^_^A
そして次々と思い出し、
「気胸をしたんだけど、
過去に左右両方の気胸をおこしているし、
また破れそうな予備軍がたくさんあるから
気をつけるようにいわれてるの…」
そう話すと彼女が、
「気をつけるように…?」
「そう!咳をしたり、くしゃみをしないように
気をつけるようにいわれたの」
「両方いっぺんに破れる可能性があるけれど、
そうなったら助からないよ」
「だから気をつけるように…だって」
「気をつけようがないんだけどね…」
と話しながら私は笑った…!?
当時は、
気胸の手術後で、良くなる段階だったこともあってか
咳がどうしても出ていて、
咳をすると胸が痛い…ということもだけど
気をつけるように言われていたから
すっごく気をつけていた。
というか、敏感になっていたし、
咳をするたびに軽くするように気をつけたり、
穴が開いていないか心配したり、
とにかく神経をつかっていた。
というより、
もしまた肺に穴が開いたら…
両方いっぺんに開いたら…

そんなことばかり考えては、
涙を流していた。

助からない …
死ぬんだ …
咳をしないように
くしゃみをしないように
これから一生、咳やくしゃみをしないなんて
無理・・・
そうなると、
また穴が開いて、
両方ともだったら
私は死ぬんだ…
一時期、
そのことばかりがグルグル グルグル
いくら気をつけたとしても、
突然訪れる気胸
死ぬかもしれない
スーパーで買い物していても、
家で洗濯物を干していても、
グルグル グルグル・・・
そして涙 …
呼吸器の医師が私に伝えた注意事項は、
私の中で、死への恐怖となり
振り回された時期があったことを思い出した。
それがいつしか開き直り、
「肺に穴が開いた時は、開いた時!」
「その時は、その時!」
そう思えば楽になった。
しかしふとした時に、
「死にたくない…」とか、
「開いたらどうしよう…」など
よみがえることもありました。
ところが今日、
咳をしても、くしゃみをしても
死への恐怖を感じなくなっている自分を発見。
そして、
その話自体を客観的に語っている自分を発見した。
しかも笑って話していた…。
時の流れもあるだろうし、
客観的に捉えられるようになったことも影響しているでしょうが、
自信のようなものがあるように感じました。
もしまた気胸になったとしても、
私は生きている…と感じる自信?
いえ、
生きるとか死ぬとかではなく、
視点の違いかな?
私の最終的な望みは、
笑って最期を迎える…ということ
そこに至るまでの納得には、
いまだ到達していない。
そして、
2冊目の本はまだ出版していない。
自分で納得のいく結果を得ていないので、
まだ死ぬわけにはいかない。
という想いが強い?
というか、
自分の中で「生きる」という自信のようなものがあるのかな?
私お得意の、
根拠のない自信 (^_^;)
ん~
やっぱり視点かな…
自分が手に入れたいものの方向に
視点がいっているから…
いずれにしても、
私にとって効果的な習慣が身についてきたようです。
意識がどこにあるのか、
視点がどこにあるのか、
とっても重要だとあらためて感じた出来事でした。
医療者に知ってほしい…
患者にとって効果的な習慣、
患者にとって効果的な視点への導き
そして医療者の、
患者にとって効果的な声かけ
すっごく大事だと感じています。