相場くんの LAST HOPE 最終回、
何だか駆け足で締めくくられたような印象を感じました。
LAST HOPE
患者さんにとって最後の砦として、
高度最先端医療の現場を舞台に繰り広げられていましたが、
患者さんにとっての最善を常に考え、
現代医学においてどうにもならないことでさえ、
何とかならないのかを常にめぐらせ、
最後まであきらめない。
患者さんに、患者さんの命に寄り添う。
医療の現場すべてにおいて、
彼らのような想いを抱いた医療者がいらっしゃることを願っています…。
LAST HOPE…
私にとっての最後の砦は、
残念ながら医療の現場ではなかった。
相場くんのドラマでは、
最先端医療が整った病院だったけれど、
現実として、
体の不調を抱え苦しんでいて、
近くの病院ではどうしようもなかったり、
どこに行っても自分が納得のいく医療がうけられない…
という患者さんは、とてもとても多いように感じています。
そして、高度医療が発達し、
これまでは無理だとされていた治療が可能になり
命が助かることは望ましいことだと思います。
しかし、
高度医療が発達しても「やはり無理」というケースは、
現実として、まだまだたくさんあるとも感じています。
私の場合…
1日3回打っていた痛み止めの注射。
「痛み止めををやめる!」と決めてから、
助けを求めることができなくなりました。
そして今、綴りながら感じました…
私が注射を打ちに通っていた理由は、
痛みを抑えるための行為であり、
生きる気力を唯一支えるものでしたが、
助けを求める行為だった ということに気がつきました…。
あの頃の私は、
助けを求めていたんです…。
でも残念ながら、
言葉として伝えられないままでした。
「助けて!」
長い闘病生活で、
結局ず~っと伝えられないままでした…。
そして、注射を打つことをやめた以上、
病院に行くことはできなくなりました。
当時の私が受けていた医療では、
あの注射を打つことが、私に対する
LASTO HOPEだったのです。
しかし、
とっても孤独な日々でした…。
注射をやめてからは、
さらに孤独な毎日となってしまいました。
どんなに痛く、辛く、苦しくても、
一人で動くことができなくても、
自分で何とかするしかなかった。
寝たきりで退院した時も、
「若いから…」とか、
「障害者手帳がないから」
という理由で、公的サポートを受けることができず、
当時ひとり暮らしだった私は、
激痛が襲い動けなくても、
トイレに行きたくても行けず、
「このまま死ぬのかなぁ…」
なんて考えたこともあった。
例え遠くで見守って下さる方々がいても、
息ができないほどの全身の痛みに一人で耐えるには、
とても耐えがたい状況だった。
誰か、そばにいてほしかった。
近くで声をかけてほしかった。
いえ、いてくれるだけでよかった。
しかし、
いつも一人布団の中で泣きながら耐えるしかなかった。
「痛み止めをやめる!」と宣言したのは
東京でのセミナー中だった。
当時の私は、以前お伝えしたように
「笑って死にたい!」と想っていたので、そのために行動していました。
NLPのセミナーに通っていたのです。
10分も座っていられないことが多く、
歩行も辛い状況、
車での移動もままならない中、
飛行機に乗り、命がけで通った半年。
それまで経験したことがない新しい発見の連続でした。
それまで体験したことのない、
人との出逢い、わかちあい、ふれあいは、私の財産となりました。
あの時、東京に通っていなければ出逢えなかった方々。
その方々に支えていただきながら、無事に修了できたのです。
東京に行くと勇気をいただき元気になれるのですが、
別府に居る時は孤独。
いつも見守ってくださっているとわかっていても、
日常に戻ると…
という状況で葛藤の連続でしたが、
講師の方々をはじめ同じ受講生の方々は、私の事情を知っても
とても温かく接してくださったことは、
その時、そしてその後、私が生きていく上で
とても大きな新しい発見となりり、大きな支えとなりました。
当時は、ペットボトルのふた、缶のリングプルを開けることもできず、
割りばしを割ることもできなくて、いつも誰かにお願いしていました。
別府では、病院と家との往復だけだったから、
車にゆられるのも10分が限界で、当時は10分座るのがやっと
5分以上歩くことはできなかったし、しかも杖をついていた…
飛行機の中で、東京で、注射が打ちたい状況になっても打てない。
機内では横にもなれず、脂汗を流しながら
東京に着いたときはいつもクタクタだった。
でも、みんなに逢えることがとてもうれしかった。
セミナー会場にいさせていただけたことがありがたかった。
正直勉強より、痛みに意識がいって1日座っているのがやっとのことが多かったけれど、
あのワークをしてから少し楽になった。
そのワークで私が体験したことは、
「打ちたくないけど打ってしまう注射」
葛藤を統合して、ある感覚を得ることができたのです。
あの注射を打つと、体中を薬がまわるような感覚があるのですが、
ワークでも、その感覚と同じ感覚を得ることができたのです。
それを体にアンカリングして記憶することができたという
すごい体験がありました。
だからワーク終了後の発表で、
「今日で痛み止めはやめます!」という宣言をしたのです。
この大きな体験で、注射を絶つ決意をすることができました。
とはいえ、
ひとり孤独な別府。少しの痛みなら あのアンカリングで解決できても、
全身の激痛が襲ってきたときには、正直苦しみました。
「いま打つと楽になれる…」
何度もそう想って病院に駆け込みたかった。
でも、みんなの前で宣言したし…。
そこでまた葛藤…。
ひとり泣きながら東京でのことを思い出す日々でした。
今日は、またまたすっごく長くなりましたが、
ついつい思い出しちゃって、意味不明なところもあるかもしれませんが、
そのままの綴りにさせてください。
そんなこんなありながらの今、思うには…
私のLAST HOPEは、私
そう感じています。
「助けて!」そう伝えられないままでしたが、
その声を、私は自分で気づいていなかった。
気づいてあげられなかった。
その声は聞こえなかったけれど、
「生きたい!」「私らしく生きたい!」
その声は聴こえていた。
だから今、私は生きていられるのだと想う。
遠回りしたのかもしれないけれど、
私のLAST HOPEは、私
そう強く感じています。
続きはまたいずれ(o^-')b
今日も
お付き合いいただきありがとうございます。
(=⌒▽⌒=)