草彅 剛 ~ 研修医純情物語 ~ より・・・ #6 | 一生一緒に過ごす自分と仲良く…って大切だね♪

一生一緒に過ごす自分と仲良く…って大切だね♪

幸せの秘訣は“自分流”☆ミ
 50年の患者人生を活かしながら、100の病気と共に、波乱万丈をシブトク生き続けて学んだ命の育み方&自分づくり…コロナ禍を自分らしく生きるヒントと共に綴ります♪

37歳で医者になった僕 ~ 研修医純情物語 ~



第6話で一番印象に残った言葉。

「ここで逃げたら いつ変わるのよ!」


瑞希(水川あさみ)から、谷口(桐山漣)への言葉。

紺野(草彅剛)が医者になった本当の理由は、
会社員時代の出来事がきっかけで、
その流れからの第6話だった。

研修医の紺野は、
「取り返しのつかないことをしから、
       変わりたい!変わろう!と思った」

そう語っていた。

人は、自分の人生の流れの中で、
自分らしく生きることができなかったり、
思うように生きることができない時期があるように
私は感じています。

苦しい時期…

その時期をじっと耐えることが必要な場合もあるでしょうし、

どうしたらよいのか、もがき続けることもあるかもしれません。

そして、
そういう流れが続くということは、
その時が、自分を変える時期なのかもしれないと
私は感じます。

紺野先生の会社員時代の話を聴いていると、
紺野先生の人生の時間軸に沿った会社ではなかったのだと
私は感じました。

紺野先生が、会社員として適応していたとかいないとか、
良いとか悪いではなく、
紺野先生の自分軸にあっていなかっただけだと思う。

そこで、自分で「人生をやりなおそう」 と考えたから、

紺野先生の自分軸にあう職業へつながることができ、
今があるように思いました。

そして、すず(ミムラ)がつぶやいた、

「病気を治すことに疲れた」
「治してほしいと待つのも疲れた」

とってもよくわかるシーンだった。

私もそういう時期があり、今がある。

今では、
  「病気」
  「治す」
  「待つ」
という言葉は私の中にはない。

だから、とっても楽。


「今の医学では治せない」そう言われても
「治したい!」

「治してくれる先生は、どこにいる?」

そう思い続けている限り、
私は私自身の人生を生きることはできなかったでしょう。

そこから少し変化し、

「医療がダメなら自分で治す!」
そう意気込む時期がきて、
自分で自分の病気を治そうと頑張った時期があった。

それでも もがき苦しみ、


「病気」に関する認識、

「治す」に関する認識を変え、

「待つ」ことを辞めた。

私自身が変わり、
一気に人生の流れが変わった。

一時は症状自体が消え、
「治った!」
そう意識したことで、

症状が復活した時期もあったが、

そこからまた発見し、
自分自身で試行錯誤の連続。

うまくいく時もあれば、
うまくいかないこともあった。

医療者が驚く今を生きる私に、
今も課題が与えられている。

しかし、
苦しい、悲しい、辛い…

そういった感情はない。

このことも今回の新しい発見だけど、

私の使命はこういうことなのかも…

そう感じながらの日々。

私は、私の時間軸で生きることができる幸せ、
自分の人生を 自分らしく生きることができる幸せを、
全身の痛みを感じながら
今日も笑顔でスタートしました。

いつも最後まで読んでくださってありがとうございます。
(=⌒▽⌒=)


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