渡邉美樹さんのブログを読んで、体験者として… | 一生一緒に過ごす自分と仲良く…って大切だね♪

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幸せの秘訣は“自分流”☆ミ
 50年の患者人生を活かしながら、100の病気と共に、波乱万丈をシブトク生き続けて学んだ命の育み方&自分づくり…コロナ禍を自分らしく生きるヒントと共に綴ります♪


最近特に話題になる「生活保護」


受給者だった私としても、
生活保護については今後の対策も含め
さまざまな想いをもっています。

「生活保護」に関する話題を目に、耳にするたびに、
心が動き、胸が苦しくなることもしばしばです。

「うん、うん、その通り!」
そう感じることもありますが、

実際に体験したものとしては、
「ギューッ」と胸を締め付けられるような感覚を感じることもあります。


ワタミ会長の渡邉美樹さんのブログには、
「生活保護について」というタイトルで、
現金給付ではなく、現物でできないか・・・
ということについて書かれていました。

http://ameblo.jp/watanabemiki/entry-11134684225.html#cbox


そして、寄せられたコメントも
当然、それぞれの方の思いが綴ってありました。


私の体験をお話しすると・・・


2000年9月。

長年苦しみ続けた病気が、
「今の医療では、もうどうしようもできない」


「一生、寝たり起きたりで、入退院の繰り返しの人生です」

そう医師より告げられた。

当時、10種ほどの病気とうまく付き合いながら、
主婦として、そして夫の自営業の経理などを手伝いながら暮らしていました。

しかし、もともと小学生の時から続いていた全身の痛みがひどくなり、
日常の暮らしができないほどに全身の痛みは激痛となり、
24時間、頭から手先足先までの痛みと諸症状で
夜も眠れない毎日となりました。


頭が割れそうな頭痛、目を取出したいほどの眼痛、
髪の毛の痛み、虫歯のような歯の痛み。爪、皮膚の痛み。
年中腫れた鼻と喉の痛み。
首・肩・背中の痛みは強烈で、骨に釘を打ちこまれるようであったり、
締め付けられるような痛み、スコップでえぐられるような痛み。
背中に火をつけられたような焼けるような痛み。
肋間神経痛のような痛みが左右の胸部。
乳腺炎のような痛みが左右の乳房。
腰の痛み、腹痛。
両手、両足は、こわばり感としびれ、関節痛。
ドアに指を挟んだ痛みがジンジンビリビリ指先から全体に、
酷いときには「ここから切り離して!」と泣き叫び訴えたことも。
背部の痛みが強いと呼吸が苦しく止まることも。

この痛みがいっぺんに襲うこともあれば、
いくつかの耐えがたい痛みが同時に、
休むことなく継続して24時間、365日。


様々な経緯がありましたが、
この症状に関しての病名がわからずに、
対症療法でしのいでいましたが、
信州の病院へ行き、1ヶ月の入院。
専門の先生より確定診断を受けた時にはすでに遅く…。

とはいえ、病名がはっきりしたことで私自身は未来へ向かい
明るい気持ちもあった。

しかし、夫は違ったのです。

「もうこれ以上は・・・」といって実家へ帰された。


もともと母子家庭の私は、母のもとへ帰されたが、
悪性腫瘍も患い体の弱い母のもとでも面倒みきれず、
行き場を失った。

対症療法で、当時多くの薬も使い治療の最中。
医療費もかかれば、
「もう仕事はできない」といわれていた状態で、

生きることを諦めるしかない・・・。
そんな状況だった。

それまでの人生で「生活保護」について
あまり良いことは言っていなかった私が、
まさか受給を申請することになるとは思ってもなかった。

恥ずかしい思い、みじめな思いで市役所に行き、
相談員の方と話し、

「あなたのような方のための制度ですよ」

そう言っていただき救われたことを覚えている。

ところが、2000年12月。
役所の男性2人の方が、借りたばかりの
古いアパートに来て、保護認定審査?があり、
警察のような尋問や私には罵倒に感じた語りに耐え切れず、

どこに行っても迷惑がられ、生きる価値のなさを感じ、
死を決意したこともあった。

その後、2001年1月に保護認定が下りるまで生きた心地はせず、
受給が開始されても、そこには安心という思いではなく、
肩身の狭い、やはり生きた心地のしない日々が待っていた。


何年もの長い寝たきりの入院生活が続く中、
「生活保護」を受けての入院は心苦しく、
病状のこと、医療とのこと、未来のない辛い毎日。

私の治療においては医療費でまかなえず、
自分で準備するものも多く足りないこともしばしば。

入院すると、実質振り込まれる現金はわずか。
家賃と光熱費など…

自宅療養で自宅で寝たきりになった時も、
毎日通院する必要があり、
連れて行ってくれる人もなく、ひとりタクシーでの往復。
病状で日に2回の通院ともなることもあり、

通院費は出ないため捻出は大変だった。

ご近所の目、かけられる言葉、
市役所の担当の方の訪問、言葉。
病気のことも含め、なかなかわかってもらえないことの
苦しさ、情けなさ、虚しさ・・・

「一生このまま・・・」は、あまりに耐えられなかった。


とはいえ、ひとり激痛に泣きじゃくるしかない毎日。


「死ぬ時ぐらいは、笑って死にたい」


そう想ってから、私の人生が動きだした。


寝たり起きたりの生活だけど、
起きていられる時に、家でできる仕事・・・

「カウンセリング」

仕事はもうできないといわれていたけど、
「これなら私にできるかも」
「いえ、これしかできない」

自立にはほど遠いものの、
何もしないで寝たり起きたりではなく、
少しでも自分でプラスになることをと考えた。

一生、生活保護の人生は嫌だった。

そして、笑って最期を迎えたかった。


とはいえ、カウンセラー認定だけでは
十分でないことはわかっていた。
だからどうしても勉強したい心理学があった。

しかし、自分のおかれている状況に苦しんだ。


生活保護を受給していても、勉強に関して借り入れができないか
こわごわ聞いたが良い返事はなかった。
当然だけど・・・。


しかし、どうしても自分の人生を変えたかった。

当時の痛みは激しく、
モルヒネのような強い痛み止めで、ペンタジンの注射を使っていた。

依存性が強いため医療者の中でも使用について賛否が分かれる
ペンタジンの注射だが、1日3回使っていた。

自宅療養では、痛みが限界になる前に病院に向かわないと

自分で動けなくなるので、限界少し前に病院に行き注射してもらうことに
だんだん抵抗を感じ、何より注射を打つことができる場所がなくなってきて
治療の限界もそこまできていた。


自分の信じるままに、心理学の勉強のため
東京へ通学することを決心した。

お金の問題は大きかったけど、
東京にたどり着くことができるのか、
何より自宅から大分空港まで体が耐えられるかが課題だった。

医療においては不可能な状況と言われたが、
当時の先生のご協力で、

注射と同じペンタジンの内服を処方してくださったこともあり
心強かった。


もちろん、東京に学びに通ったからといって何の保証もない。


それでもとにかく、笑って最期を迎えるため、
自分の人生を変えたかった。

生活保護の人生から脱出したかった。



流れはいろいろとあったが、とにかく東京へ学びに行くことになり、
6ヶ月通った。

何が起こっても自分で対処するしかない。
激痛、脂汗、吐き気、特に機内での不調は自分との闘いでもあった。

自宅でも5分座っているのが限度の時期、
セミナーに参加すれば朝起きて16時間ほどは横になれない。

普通に歩くことに不安があり、横断歩道も無事に渡りきれるか、
セミナー全日程無事に過ごせるか、
まさに命がけの6ヶ月。

そこを支えてくださったのが、
セミナー主催のトレーナーの方々と同期の仲間達。

私の人生ではじめての経験だらけ。

そこでの学びの中、
自立して生きていくことを決意し、

市役所の担当者に自分で起業したいことを伝えると、

就職するなら、その準備にかかる費用を応援できるけど、
私の場合は応援できないということだった。

「生活保護を受給していて、
起業しようという人はこれまで前例がないですから」
そう言われた。

とはいえ、
見込みがあってのことではなかったが、
以前に、体調をみながら自宅でカウンセリングをしたいことを伝えると、
生活保護をうけながらではダメだといわれた。

就職しての継続はOKなので就職するようすすめられたが、

私にはそれができない。
そもそも仕事は無理だといわれていて、
毎日決まった時間に出社したり、決まった時間の勤務は無理。
何度もその話はしているが、わかってはもらえなかった。

だから自分の都合に合わせての仕事しかなかった。

世間には難病の私の都合に合う職場はないので、
自分で自分の入れる器を創ることからはじめた。

しかし、「あなたは病気でしょ」
「うまくいかなかったからまた生活保護に戻りたいといっても
それは難しいですよ」

そう役所の方々に言われたし、無茶・無謀という声もあった。
私は生活保護を辞退し、自分の思う道に進んでいくことで、
自分で納得のいく人生を生きてみたかった。

2006年8月生活保護を辞退し、
9月に起業した。


社会復帰したものの様々なドラマが繰り広げられている。
(かなり長くなったので、社会復帰してからはまた機会をみて)

社会復帰後に、
生活保護受給者という過去が前科者のようについてくることもあり、
悲しい体験もしましたが、生活保護受給者といえども
人権は尊重されるものであってほしいと願っています。


税金を納めてこの国を支えている国民の方々からすると、
生活保護受給者に対して様々なご意見があるのは当然だと思います。

そして、受給者側にも様々なドラマが背景にあります。

現実として、不適切に受給している方もいて、
受給者の増加、その費用の増加自体への対策はもちろんですが、
様々な方向からの対策の必要性を私は感じています。

生活保護などの社会保障、
医療、介護、福祉において、
上げる、下げる、負担増、負担減に視点を重視し話をするまえに、
その前に大切なことがいくつもあると私は感じています。

仮に私が政治家だったとしたら、
その大切ないくつものことはもちろんですが、
国民一人一人の生きる力を高めるための対策も
同時に、かつ早急に実行したいと考えます。


生活保護の受給中様々な思いはありましたが、
みなさんの大切な税金で私の命を助けていただきました。
この場をおかりし、「本当にありがとうございました。」

そして、その時の貴重な体験はもちろん、
その後の体験から得られたことを、
これからもお返しし続けたいと想っています。


長々と読んでくださいまして、ありがとうございました。



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