いつもブログを通じてお世話になっているcocoさん 。
彼女の「依存について 」の記事を読んで、
私は自分自身のことについて、
ここに書きたいと思った。
cocoさんは記事の中で、
> もしも誰にも頼ることがなかったら、
> 又は誰からも頼られることがなかったら、
> 人生はきっとドライで冷たい孤独なものになるに違いない。
> そういう人生を望む人などいるだろうか?
と、書かれていたが、その部分を読んで私は
「はい。そういう人生をかつては望んでいました」
と、挙手したくなった。
誰にも頼りたくなかったし、頼られたくなかった。
何故かと自己分析してみた。
自分自身を、お猪口かなにかのような、
取るに足らない小さな器だと感じていたからだとわかった。
お猪口なので、誰かの大きな要望には応えられるわけがない。
たとえば、「ビールをなみなみと注いでくれ」とか。
あと、自分を落としたらすぐに割れてしまうと思ったので、
乱暴に扱われたくないために
食器棚の一番奥で、めだたないようにしていたように思う。
自分の体よりも、さらに縮こまっていた気がする。
これほどまでに自信が無くなると、
人に助けを求めるような依存心さえ出てこなくなる。
助けを求めることは、弱い者だと自ら認めることと思えた。
そこで、「助けを求めない自分は強い」と思いこむことにした。
そうやって、他との関わり合いをトコトン削っていったら、
本当に孤独になった。
孤独がつらいくせに粋がり、「自分は孤独にも強い」とさえ考えた。
本当はとっても小心者で弱々しく、誰よりも助けを必要としたのに、
自分の弱さに目を向けないようにした。
けれど、ある日、やっとわかった。
お猪口にはお猪口の仕事があるんだ、ってことを。
ほんの少し、そこに陽気なお酒を入れるだけで、
人の心を温めたり、なごませたりできるんだってこと。
内容や量や姿形の問題ではなかった。
人にはそれぞれ、自分の持ち味を最大限に生かす器を持っている。
自分の持っているものを生かすことが、
自分の人生を輝かせることが出来るし、
他の人を助けることが出来るんだとわかった。
だから、もし、他の人の器をうらやましがっていたり、
縮こまっているお猪口仲間がいたら、
「この体でいいんだよ。今できることをやろう」と言いたい。
誰かに依存する人を見て、昔は、
「人に頼るなんて、情けない奴だ」などと思っていたけど、
心からあやまりたいと思っている。
実は「人に頼りたい」という、うらやましさの裏返しだったと、
正直にここで白状しよう。
お互いに出来ないことを補いあうのは、すばらしいことだよね。
そのことに、やっと思い至ったよ。
けれど、自信のなさにより、依存してしまいがちな器の人は、
今までの私のように、
自分の器の良さをまだよくわかっていないんだと思う。
出来ないことは無理にやらなくてもいい。
お互いに、出来ることをやろうね。
神様の食器棚の中には、
無駄なものはひとつとして無いんだから。