以前、yukkyさんがこんな記事を書いていらっしゃったのが、とても印象的でした。

 

これは、ラオスにも言えることだと思います。「生活困窮者はいない」の内容がちがいますが…


一つは、自分でなんでもできてしまうということ。
そして、もう一つは、自給自足が出来てしまうこと。
自給自足というのは、以前に記載した

 

↑のように、庭で鶏や郊外で子豚などの家畜を飼っている家庭が多く、家庭菜園や 郊外なら畑くらいの規模で野菜を作っているウチも多いので、つまり食に困りません。
ここでの驚きは、その家畜を締め解体?さばく事ができる、ということです。
全員が出来るわけではないですが、親戚家族の誰かしらにいます。

これは、パーティの時の豚の丸焼き↓





こんな風に、
自分たちでなんでも出来てしまい、自給自足もしています。
そして、親戚家族・友人知人が助け合って支え合って生きていけることが言えます。

まだ結婚したての頃、夫が
"ໄປຊອກກິນເຂົ້າ (Pai Soak kinkhao/パイソークキンカオ) "
と言いました。直訳すると「ご飯を探しに行こう」なので、『お店は決まってないけど外食に行こう』という意味だと思ったのですが…
運転しながら、どこやら電話連絡し…
最終的に、親戚知人でパーティをしている家にたどり着いたんです。

ただ(無料)メシ探してたんかい!

驚きましたが、そういう事です。
食うに困っても、親戚家族・友人知人を頼れば生きていけてしまうんです。


これは、
コロナ禍の厳しいロックダウン時に、強く感じました。
仕事も無くなっても、時給自足で細々でも食えてるし、親戚家族と支え合って生きていけてしまう。

逆に日本でコロナ禍、職を失った方々の方が、よっぽど生きていくのが難しかったのではないでしょうか。


後進国で、貧しい国
なのに、生活困窮者はいない…?

いえ、地方では、こうもいかず生活困窮者も多くいますが…

常日頃、考えさせられる事、です。