貧困には2種類あります。
何とか食べては行けるが、趣味や娯楽に回せるお金がない、これが貧困者で、その日の食べ物もない、日々を生きて行ける目途がない、それが生活困窮者です。
ある大学生が卒業旅行でグアムへ行きました。
母子家庭で家は貧しく、いつも同じ服ばかり着て食事も質素でした。
しかし、グアムへ旅行した、という事で
「なんだ、実際は裕福じゃん」
とか言われ、嘘つき女のレッテルを貼られて彼女のフェイスブックは炎上してしまったのです。
傷ついた彼女は精神を病み、いまも心療内科に通っています。
貧困者でも生活を切り詰めればグアム旅行もできる、バイトをしたり、好きなものも買わずに苦労して、頑張って貯めたお金で卒業旅行でグアムへ行った、なぜ、彼女が責められるのでしょうか?
むしろ「よく頑張ったね、おめでとう」と言われるべきはずなのです。
東南アジアは日本より貧しい、そう思う日本人は多いことでしょう。
確かにタイには貧しい人が多くいます。
でも、私が見る限り、タイに「生活困窮者」と呼ばれる人はいません。
もちろん、日本とタイでは貧困者、生活困窮者の「質」が違いますね。
大事なキーワードは「明日の希望」が見えるかどうかです。
日本で会社を辞めればどうなるでしょうか?
すぐに次の仕事を見つけるか、貯金を切り崩すしか生活の手段がありません。
失業保険をもらえるのは3か月後、貯金がない人はすぐに「生活困窮者」となってしまいます。
生活保護は親族に連絡されることがネックとなり、多くの受給すべき人が辞退しています。
仕事がすぐに見つからなければ、その先に待っているものは。。。餓死、ホームレス。。。
つまり「明日の希望」が見えない状況になってしまう、という事ですね。
タイではどうか?
タイの人は仕事を簡単に辞めてしまいます。
そもそも、仕事目的が自らのスキルアップのため、車を買うためなんですね。
なので、目的を達成すれば会社をさっさと辞めてしまいます。
お金が少なくなれば屋台を出します。
スーパーでソーセージや肉を買ってきて屋台で焼いてお小遣い稼ぎ。
カットフルーツを氷の上に並べるだけでその日の生活は何とかなります。
つまり、無収入の生活困窮状態に陥りにくい、ということですね。
私のように路上で津軽三味線の演奏をするだけで生活できたりします。
あくまでも貧困者ではあるが、生活困窮者ではない、「明日の希望」がある限り、そこに悲壮感はありません。
日本で勝手に屋台を出すことは事実上不可能。
日本のセーフティネットとはなんぞや???
すみません、この話にオチはありません(^^;
私の独り言、ボヤキでした。。。