関空からクアラルンプール経由で、土曜日の早朝にカンボジア・シェムリアップ空港に到着。
乾季に入ったカンボジアは、快晴で朝から真夏のような太陽が照りつけていましたが、蒸し暑い日本の夏より少し心地よい風が吹いていました。
空港出口でプラカードを持った、現地ガイドのスメイさんとドライバーのダッチヤさんと初対面。
スメイさんは29歳独身。角度によっては大谷翔平投手に似てなくもない、日本が大好きな好青年。現地日本語学校で1年半ほど日本語を勉強したそうな。でもとても流暢な日本語を話します。漢字を書けるようになりたいそうです。
ちなみにケイスケホンダはカンボジアでも有名人なのですが、猫ひろしは日本語を勉強している人くらいしか知らないそうです。にゃあーー。
ドライバーのダッチヤさんも20代かな。現地クメール語しか話せませんが、ティアドロップのサングラスがよく似合う、なかなかのイケメンです。クールな感じなのですが、ときどきお茶目なドライバーさんです。
こんな2人と丸3日間旅を共にしました。
娘は旅行中にスメイさんからクメール語を教わって、レストランやホテルなどで、ニコニコしながら使って現地の人に愛想を振りまいていました。こういう時の娘はちょっと小悪魔です。
初日は空港からそのままクルマでサンボープレイクック遺跡へ。
ちょっと距離があるのですが、3日間でカンボジアにある3つの世界遺産を全制覇できるようにアレンジしてもらいました。
シェムリアップから首都プノンペンに続く国道6号線を、ひたすら真っ直ぐ南東へ進みます。
ほとんど一本道で、シェムリアップを出てからはまったく信号機はありません。
娘は360度何にもない景色と空の広さに感動していました。
幹線道路沿いには所々物売りの屋台が出ています。
ガソリンもペットボトルで売っています。3割ほど安いらしいですが、たまに水で薄めたりしているそうな。
片道1車線の道をほとんど対向車線側を飛ばしながら、ダッチヤさんは前のクルマやバイクをどんどん抜いていきます。
バイクは無免許運転が多くて、中学生がバイクで学校に通う姿を所々で見ました。でもバイクに乗れるような子はまだ裕福な家庭の子らしいです。
2時間ほど車で走ったところで、途中、少し道を逸れて、スピアン・コンポングディという、アンコール王朝時代の石橋に立ち寄りました。
石造りで赤土の橋は今も現役です。でもクルマは通行禁止。
欄干の両端にはヒンドゥー教の蛇神ナーガ像が。
アンコール時代の寺院、神殿などに通じる参道の入口には必ずこのナーガが出迎えてくれます。
現存するこの時代の橋の中では、最大級で保存状態が一番良いそうです。
歩いて橋を往復。たぶん800年前とさほど風景は変わらないんだろうなあ。
空港から3時間ほどで目的地のサンボープレイクックに到着。
2年前に世界遺産登録されたばかりで、アンコールワットのあるシェムリアップからも離れているため、訪れる人はまだまだ少ないようです。
アンコール王朝よりも古く、日本の飛鳥時代に造られた古代城市で、森の中に130ほどの遺構が点在しています。
その中でいくつかの寺院(祠堂)遺跡を散策しました。
森の中に潜む遺跡はとても神秘的です。
レンガ造りの建物は、ほとんどが崩壊または崩壊寸前で、あちこちで補修工事が行われていました。
鳥が遺跡の上に種を落とし、その種が芽を出し、根を張り、石を砕くそうです。また、巨大な蟻塚も遺跡を破壊する原因になっています。
逆に同じ時代に建造された木造の法隆寺の凄さを改めて感じました。
多くはヒンドゥー教の塔の形をした寺院で、中には「リンガ」と「ヨニ」と呼ばれる、それぞれ男性器と女性器をかたどった石像があります。リンガはヒンドゥー教のシヴァ神を表してしています。人間の原点ということでしょうか。
塔のてっぺんは空いていて、そこから雨水が真下のリンガを伝い、ヨニに流れ込むようになっています。その水が聖水として人々を潤していたそうです。
ほとんどのリンガは盗まれたか、博物館で保管されているため、遺跡の中で見られることはできませんでしたが、翌日行ったコーケー遺跡でリンガを見ることが出来ました。・・・り、立派だぁ~。
プラサットタオ。タオはライオンの意。
狛犬っぽいですが、両方「あ」です。
アジアにはライオンがいませんが、ヨーロッパからの影響を受けて造られたようです。
このライオン像も例外なく、削り取られ、盗まれているケースが多のですが、このプラサットタオのライオンは見事に対になって残っている貴重なものです。
シヴァ神とその奥さん。奥さんの頭部は盗まれています。
今も地元の人々が、線香を焚いて、花を手向けているようで、厚い信仰心が脈々と続いているようです。
シェムリアップのホテルに戻る途中。
牛がのんびりと歩く国道で、荷台に10人以上が乗り込んだトラックと遭遇。
カメラを向けると、荷台の若者たちが笑顔で大きく手を振ってくれました。
もうカンボジアが好きになっていました。