四浪までの記録。 | 子育てで大切なたったひとつのこと。

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四浪難病貧乏母認知症死別離別皆別々でいい。そしてワンネスへ。私たちはドラマを生きて、あらゆることを体験するために生まれた。楽しもう。笑おう。泣くことも、味わおう。ハートカウンセラー、色札セラピスト、催眠療法家、マインドフィルタークリアラー。



↑この土日は

これのお勉強をしています、私。






四浪に突入した娘。



まさかの

四浪です。



( i _ i )



はるか昔のような、

現役時代

高校3年生の

普通の受験生だった頃の娘は、


生物が得意な、

ほかの教科は

特に得意ではない

高3でした。


理系は、高1から決めていたようですが、

生物の次に

得意なのは、国語・古典

でしたね、今もそうです。



幼少の頃から

本を読むことが好きで。



高校入学直後のテスト(英数国)は、

ほぼ学年どんじり

(240人中、230?番台だったような)


ビリな子なわけです。



ギャルじゃないけど、

『ビリギャル四浪してる。』

とかいう

本でも書こうかという。

(書きませんよ、ええ)



できれば


『ビリギャル○大学○学部入学!』に

したかった、、、


ところ

なんですが。




そんな娘
高3時代は、
医学部なんて目指してませんでした。

それが、
高3の共通テスト
(じゃない、センター試験だ、
最後のセンター)
のあとの

出願の際に、

突然の医学部しか受けない宣言。


その前から確かに
娘、医学部志望をチラつかせては、
いましたが、

「まさかね」


という、全体の空気
だったわけです。
本人も含め。


それなのに、
現役時代(センター70%ぐらい)の出願は、
前期ーーー信州大学医学部→ もちろん不合格。

後期は
どこにも出願しなかった。
らしい。
(なぜだ?)



一浪になり共通テスト。
(出来は83%)
この年は、生物が97点ぐらい取れた。
平均も高かった。
前期ーーー三重大学医学部→不合格
後期ーーー埼玉大学理学部→合格

しかし、、、
学生寮も入寮予定だったのに
入学拒否した娘。



二浪したい。
もう医学部しか受けない、と。



二浪。
共通テストでは、
泣きながら帰ってきた子続出の数学酷い問題の時。

娘は、72%
前期ーーー山形大学医学部→不合格
後期ーーー山梨大学医学部→足切りで受験すら出来ず。



三浪目。
共通テスト80%
前期ーーー信州大学医学部→不合格
後期ーーー秋田大学医学部→不合格
追加募集 ○○大学工学部→合格


入学手続きとアパート探しを
している最中、
娘、気持ちが四浪へ。

なんども
なんども
なんども

気持ちを確認して
北陸へ旅立ったのに。


○○大学としてしまうのは、
大学へはもちろん、周囲の皆様への
申し訳なさと、

まだ
私の心も癒えていないからだな。



こうして
連ねてみると、

出願校を決める際のツメの甘さが
見てとれる。

これだから、宅浪は
難しい。