病気になって神様へ感謝したこと。 | 子育てで一番大切なたったひとつのこと。毎日カーニバルで生きてこう〜

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四浪難病貧乏母認知症死別離別そして。でも願いはすべて叶っていた。50代から華々しい光満ちた世界を生きよう。ハートカウンセラー、色札セラピスト、催眠療法家、マインドフィルタクリアラー。子ども2人は医学生で、母は認知症…最近はその記録多々です。



「あなたたち、

ほんとに一度も

見舞いに来なかったわね!」





11月2日に
骨盤から骨を切って
頸椎に移植するという

大変な!手術を受けた私。


今週なんとか退院した

そのあかつきに、


19歳、18歳の我が子へ

そっと

つぶやいてみたのです。



その返答↓


息子(高3)
「だってどこの病院かも
知らなかったもーん」



娘(二浪中)
「心配したよ〜
手術の日だけは。
なんか
なかなか終わらなかったみたいだし。」



「自撮り写真送ってきてたから、
大丈夫なんだ〜と思うじゃん。」




・・・



そう、、、

ですか。



ラインで交信できる
殺風景な

時代を思う。。。







入院中、瞑想しながら

深く感じたのは、




【病気になったのが

  私でよかったなぁ】




ということ。


子どもたちでは、なくて。



神様へ、感謝。



子どもであれば、
私の自責や絶望感は
想像できない。
計り知れない。


もしも、今後
子どもたちが
希望どおり
医療現場に立つ仕事についたら、


親しい身内に
しんどい治療経験がある人が
いることは、


悪いことじゃない。





もちろん、

家族の誰もが
健康でいられることが
望ましいけれどね。





私自身…

どうして私が難病に?

なぜ、私ばかり?

ずっとがんばってきたのに
どうして、このタイミングで?


と、
何度も
泣いてきた夜があって、


揺さぶられてきたから

こそ

落ち着ける

精神的土壌が

見えてくるのかも、

しれません。




まだ、その途中。











塩見三省さんも
7年経った今、
私は病を得たことを
神様からのギフトだと思うに至りました。」


と告げている。



私の病気も、
この先どうなっていくのかなぁ〜





退院して間もない私に、
息子が
受験のいろいろ書類を書かせたり、
作文の添削を
させたり
してました。


真摯に校閲してあげたのに、
私のアドバイスには
息子は反抗し、
オバたちの添削には
素直に従っている姿に
カチンと
しながら、←心が狭い

(ま、オバは、一人は医者
もう一人は編集者だしね(⌒-⌒; )






母を

踏み台にしていけ〜〜〜


と、


子どもには

笑顔でいたいなぁと


思うのでした。