自己紹介 2 パッションと結婚 | 魂から輝く!世にも美しい女神開花

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魂が語る物語(ストーリー瞑想)と色の叡智を使って、本来の自分が最高にステージアップ! 魅力・才能が開花して、色鮮やかな人生に。普通の人には発想がわかないストーリー瞑想創始者。

自分軸をもって軽やかに生きる

魂から輝く魅力開花♡

 

カナダ、台湾、マレーシア、海外在住歴15年、

ヒーリング・カウンセリング歴14年、

魅力開花ヒーラーの天野花蓮です。

 

マレーシアよりお届けしています。

 

 

黄色い花初めましての方はこちらから

  

前回からの自己紹介の続き。

 

小学1年生の痛い経験から

「人のいうことをきくいい子」

 

を極めていった私。

 

 

 

内省と研究と努力の甲斐あって、

 

 

 

小学校、中学校と

学級委員を常連で務める

いい子を実現していきました。

 

 

ただし、自信がなく、

統率力は全くないので

ただ委員の名前だけある状態。

 

本人はそれで満足 笑

 

 

特に中学校時代は

完全に「いい子」全盛期。

 

男子にも女子にも

明るく声をかけ、

勉強も運動も

なんでもできるいい子、

 

と先生にも評価されました。

 

 

 

小学1年生で

大人の価値観に対応できず、

自信をすっかり無くした私は

 

努力につぐ努力で

なんとか「いい子」を、

極めた自分に

ほっとしていました。

 

 

 

一方、

 

私の内側には

小学校高学年から

漫画家になりたい!

 

という

情熱が湧いていました。

 

 

力強いパッションでした。

 

 

 

どんな漫画描こうかなと思うと、

 

いろんな物語が次々と

頭に降りてきて、

 

早く描きたくて

ウズウズ。

 

 

 

何時間描いていても

楽しくて楽しくて

仕方ありません。

 

 

 

 

近所のおじちゃんが

常に勉強机に向かう

私を見かけては

「いつも勉強していて偉いね~」と

感心してましたが

 

 

ほとんどは

漫画を描いてました(笑)

 

 

絵が得意だったので、

 

中学生の時、

美術の先生に

美術に特化した

高校に行くのはどうかと

すすめられます。

 

 

だけど、

 

一般に他人がいいと言っている

道を外すことは

私には絶対ありえません。

 

絵の道なんて

不安定すぎるし。

 

 

 

 

だって、(今まで学んだように)

一般の大人がいう

価値観の方が正しいから!

 

 

 

漫画家になりたいのであって

画家になりたいわけじゃないしねーと。

 

 

なので、そのまま

普通高校へ進学します。

 

 


美術部に入って

絵は続けますが、、

 

 

 

だけど進学校だったこともあり、

勉強が大変になって、

 

描きたい絵も漫画も

どんどん描く時間が

無くなっていきました。

 

 

 

描きたいものもパッションも多くあり、

それが表現できない上に、

苦しい勉強ばかりをするのは

まさに苦行。

 

 

 

そんな時は

「大学に入れば、

自由に好きなだけ描ける!

それまでがんばればいいじゃない」

 

と自分に言い聞かせ、

 

受験勉強に頑張るのでした。

 

 

 

 

今振り返ると

このころは

完全に「いい子」でいることに

疲れている感があり、

 

 

そのせいか、

高校時代のことを

あまり覚えていないのです。。。

 

 

 

漫画家になりたいという夢だけが

人生の希望でした。

 

 

「進学やめて、

漫画家目指すのはどう?」

 

と頭に浮かぶときもありました。

 

 

ですが、

漫画家が一般に

「素敵な仕事ね」

「安定したいい仕事だね」

と言われないことを

知っていたので、

 

「漫画家になりたい」なんて

大きく人にはいえません。

 

 

 

また私の中に

ブレーキがかかります。

 

 

 

「みんながいいとは言わないこと」のために

 

一般にいいといわれている

大学進学をやめるなんて

 

それは絶対にありえない!

 

 

 

「人がいいという価値観に

従いたい!!!」

という情動。

 

 

そこから外れる恐怖は

とてつもなく大きなものでした。

 

 

これは

小学1年生から

大切に育ててきた

もはや強い信念。

 

 

ものっっすごい努力して

 

やっとこさ

ここまで育てた

「いい子」の私。

 

捨てられるわけがない!

 

自分に自信もなかったですしね。

 

 

その後、大学に進学。

一人暮らしを始めます。

 

 

受験勉強から解放された私は

 

「よーし!これで心置きなく漫画家を

目指せる」

 

と机に向かうのですが、

 

 

、、、、

 

 

 

、、、、

 

 

 

 

 

、、、、

 

 

 

ん?

 

 

 

 

なんにも降りてこない。

 

 

 

本当に

何も思いつかなくなっていました。

 

 

絵も描けなくなっていました。

 

 

そのことに大きくショックを受けました。

 

 

 

あんなにあったパッションも

ウキウキ感も

とめどなく降りてくる物語も

 

もう戻ってくることは

ありませんでした。

 

 

 

これ以降、

 

今に至るまで

滅多に絵を描くことは

なくなってしまいました。

 

 

描いたら楽しいけど

昔みたいに

描きたくて描きたくて

仕方ないという

衝動で描くことは

なくなりました。

 

 

あんなに自分の中にあったパッション、

大好きだったことが

大好きでなくなるなんて

本当にショック。

 

 

 

そして、その後10年以上、

 

パッションを

感じるものには

出会わなかったのでした。

 

 

この経験は後に

 

 

「パッションがあるなら

それは奇跡的なこと。

腐らないうちにすぐ動く」

 

 

と言うのが私の信条になり、

人生を動かしていきます。

 

 

条件が完璧になるのを待っていたら

もう何も湧いてこなくなる悲しさを

深く経験したからです。

 

 

 

 

そして、

漫画家には

なれなかったものの、

 

 

漫画を描く過程で

物語やキャラクターを表現するときに

 

人の心について深く考え、

人の心の不思議さや奥深さに

大きな興味を覚えました。

 

 

だから大学では

臨床心理学を専攻し、

 

カウンセリングを

学んだことは

今も大きな財産になっています。

 

 

 

 

 

大学を卒業してからは

某英会話スクールで

 

カウンセリング、営業、

スクールマネージメントの

仕事をしていました。

 

先生は外国人だけなので

まわりは外国人ばかり。

 

英語がとびかう職場です。

 

ここにも人生の不思議さを

感じています。

 

 

 

 

なぜなら、

 

私には3歳くらいから

 

広い空と大地のある場所で

英語を話している自分

という明確なイメージがありました。

 

ニセ英語をしゃべっては

一人で悦に入っていた

夢見がちな

リトル花蓮。。(笑)

 


 

 

 

4歳から小学6年生まで

英語が大好きで

日本人の先生について

英語を習っていました。

(しゃべれるようにはならなかったが、、、笑)

 

 

だけど、

 

高校時代に

 

「受験のための英語」

 

と認識した瞬間から

そのワクワク感は消え去り、

 

もはや嫌悪感に変わりました。

 

 

 

 

高校を卒業するころには

 

 

 

日本の伝統文化がやっぱりサイコー!

 

海外?

 

は?

 

全然興味ない。

 

海外旅行?

お金の無駄じゃない?

 

英会話?

外国人とのコミュニケーション?

 

一切興味ない。

 

受験さえ

乗り越えられるレベルの

英語わかれば

あとはどうでもいいよ

 

 

というところにまで

達していました。

 

極端~~笑

 



ということで

 

大学時代は

自分が英語が好きだったことすら

すっかり

忘れていました。

 

が、

 

死闘の就職活動の末、

 

やっと決まったのが

なぜか

某英会話スクールの会社だったのは

不思議な思いでした。

 

 

当然ながら

スクールにやってくる人は

 

みんな

英語が話せるようになりたい!

海外に行きたい!

 

という人ばかり。

 

 

その生徒さんたちの

カウンセリングをして、

 

話を聞き、

 

みんなのモチベーションを

上げているうちに

 

私の中に眠っていた

小さなころのパッションが

蘇ってきました。

 

 

そして、

 

ついに4年間務めた会社を辞め、

 

カナダにワーキングホリデーに

旅立つのです!

 

 

ワーキングホリデーとは

 

1か国につき

一生に1回1年間、

 

そして、

30歳までだけ(年齢制限は国による)、

 

働けるビザで1年間滞在できる

というものです。

 

 

 

カナダに降り立った瞬間のことを

今でも鮮明に覚えています。

 

 

ここには私を知っている人は誰もいない!

私は何者でもない

 

という解放感。

 

 

体も心も風船になったみたいに

軽ーい!!

 

 

 

そこで初めて

何重もの

自分の役を演じていたことに

気づいたのです。

 

いい女性、

いい社会人、

いい部下、

いい上司、

いい娘、

いい人、、、

 

 

当たり前すぎて、気づかなかったけど、

この着ぐるみたち、

実は結構重たかったんだな。

 

 

 

もう、それを演じる必要はない。

 

 

 

ありのままの自分、

 

自由を満喫するぞー!!

 

 

 

と私は誓いました。

 

 

 

 

 

そして、お気づきだろうか?

 

私は3歳の時の明確なビジョン、

 

「広い空と大地のもとで

英語を話している」

 

のとおりになったことを。

 

この27歳の時のカナダの光景は

まさに3歳の時の私の

頭の中にいつもあった光景なのでした。

 

 

 

 

 

 

私はカナダに

3か月の滞在を予定していました。

 

 

だって、3か月で帰れば

雇用保険もらえて(当時)、

 

 

しばらくお金に困らない。

 

 

堅実に

安全範囲内で冒険して

リフレッシュして

 

また仕事探そう。

 

 

という目論見でした。

 

 

 

 

 

が、

 

 

 

 

人生は思わぬ方向に展開。

 

 

 

 

 

なんと

ありのままを生きると

決めたら

 

 

モテ期到来(笑)。

 

 

 

 

 

カナダで将来の

旦那様に

出会ってしまった~笑

 

 

すったもんだの末、

遠距離恋愛も1年ほど、

経験。

 

この人と結婚しても

離婚するかもしれない、、

 

と思いながらも

 

「この結婚に

挑戦しなかったら

一生後悔する」

 

と思い、

(挑戦て 笑)

 

一大決心をして

カナダに結婚移民することを

決めたのです。

 

 

 

 

ちなみに

夫は台湾人。

 

アメリカの大学を卒業して

カナダで働き始めたばかりの

 

当時の私から見たら

可能性にあふれ、

できる男!!!

 

かっこいい~!

 

 

 

「この人といれば

私の人生も

面白くなりそう!」

 

 

そんな思いが

苦難の結婚生活を

強いることになるとは。。。

 

 

うすうすどこかで予感はありつつも

恋愛モードで

おかしくなった私は

 

ウキウキ♡

カナダでの新生活をスタートさせるのでした。

 

 

つづく

 

 

 

 

魂から輝きを放つ魅力開花ヒーリング・コーチング

天野花蓮

 

 

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