「邪馬台国」「女王の国」は日本文化を知らない中国人の勘違いだった!? =女性天皇論の誤り= | 魁!神社旅日記

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「そしてそこ琉球国においては、祭政二重主権が行われている国であった。聞得[美称、万能の]大君がいて、大君を姉妹にもつ王がいた。

 

その事実と「鬼道の道に事え」(神に仕え)る卑弥呼がいて、「男弟あり国を佐治す」(弟が国を治めることをたすける)というこの『後漢書』や『三国志』の邪馬台国の政権の記述があまりにも類似しているので、鳥越は迷うことなく、これを二重主権と判断した。姉(妹)は神との交信を通じて、国全体の方針を表示し、兄(弟)は、その大方針にもとづき、日常の政治をつかさどるというのが二重主権の意味である。

 

したがって鳥越の解釈では、卑弥呼や台与を王と言っても、祭事権者であって、政事権・軍事権をもつ日常世界の王もいたことになる。それをひとりの男性の王をいただく漢人が理解できなくて(『三国志』23の解説)、弟が佐治すなわち「国を治めることを“たすける”」と表現したのである。たしかに、卑弥呼は『三国志』26によると、ひとりの男子が飲食を給し、辞を伝えて出入りするだけであったから、一般的に考えられている王の仕事である政事と軍事の統率は不可能であったろう。すなわち、中国正史では、おそらく珍しがって、邪馬台国をなんども“女王国”と言っているが、漢人が想像する王とは異なっていたのである、というのが鳥越の解釈である。

 

この男女による二重主権が時代を経て、「祭事権者としての長男と、政事権・軍事権者としての次男との組み合わせに移行する」(『三国志』11の解説)。そのため、『三国志』11で「狗奴国あり、男子、王となり、その官に狗古智卑狗あり」という文章の狗古智卑狗は政事・軍事権者であったろうと解釈をする。

 

時代が少しくだって、『随書』の開皇二十年(六〇〇年)に、倭国の使者が隋で自国の説明をする。「倭王は天を以て兄となし、日を以て弟となし、天未だ明けざる時出でて政を聴くに跏趺して坐し、日出ずれば便ち理務を停め、云う、我が弟に委ぬ」(『隋書』9の解説)。

 鳥越は解釈して、兄の天も弟の日もともに、わが国では王にあたる者を意味するが、天は現人神的であり、弟は実際の政務をつかさどる者であり、使者は大和朝廷の祭政二重主権を説明しているのだという。」

(「倭人・倭国伝全釈 東アジアのなかの古代日本」鳥越健三郎著)

 

 

この邪馬台国の祭政二重主権論は昭和一七年には久高島の秘儀とも言われるイザイホウの行事を研究者としては最初に観察し、『琉球古代社会の研究』(昭和一九(1944)年)、沖縄の歌謡集『おもろさうし』の全釈をした琉球国研究の

泰斗、鳥越憲三郎氏によるもの信憑性の高い説である。

 

沖縄、琉球国が記紀万葉などの日本最古典に見える上代語や、古俗信仰などの日本の古俗が残る地域で

あることは折口信夫をはじめ多くの民族学者が指摘してきた学術的な事実であるが、最近は中国やその勢力

のネット工作によるものかネット検索にもなかなか出てこなくなってしまった。

 

この祭政二重主権については日本本土においてもその名残が見られ、伊勢の斎王、またその系譜を

引く神宮祭主は現在でも皇族ご出身の女性が務めておられます。

ちなみに、卑弥呼の時代から祭政二重主権が姉(妹)と兄(弟)という、あくまで兄弟という

同族で構成されており、夫婦にはなっていないことも現代人は留意しておく必要があろう。

(皇族同士の夫婦の場合はのぞく)

つまり現代のように結婚だけによる配偶者は皇族とは認められず、統治者の一族とは認められない

のが日本古来の文化だったということである。つまり、美智子さまも雅子さまも古代日本の伝統文化

によれば皇族とは認められないのであり、現行の法制度によってのみ認めれた皇族に過ぎない

という事実は日本人なら理解しておかなければならない歴史的事実であり、この点を勘違い

すると皇位継承や天皇、皇族という御存在の本質を誤りかねないので注意すべきである。

 

つまり邪馬台国の「女王の国」とは、日本に旅行に来た中国人がたまたま

神宮祭主の黒田清子様を見かけられて、「ここは女王の国だ」と勘違いして中国本国に

報告したものが歴史書に残ったものという可能性が高いということです。

日本文化を知らない外国人にとっては無理もないことでしょう。

 

また我が国がアジアにおいて比較的早く女性天皇を輩出したことも、この祭政二重主権

の伝統から解明されます。

つまり一方の主権者の欠損をもう一方の主権者が代行、または預かっていたというのが

女性天皇の実態であり、女性天皇が「中継ぎ」であると言われる所以でしょう。

さらにこの祭政二重主権の伝統が形を変えて中世以降の天皇と将軍の二重統治という

この国の統治のあり方として残っていったとも考えられることから

邪馬台国や古代日本社会において祭政二重主権が存在した事実の可能性は非常に高いと

考えれらます。

ちなみに天皇の政治力、軍事力が将軍に移っていった時期と天皇自身が祭祀王になっていく

時期が一致することもこの説の信憑性が高いことを裏付けています。

 

現在の女性天皇論はこのような日本の伝統を踏まえたものはなく、ジェンダーや

女性権力者指向、さらには皇統断絶や皇室廃止なども企む国際的な勢力を背景とする

圧力によるものであるからまったく賛同できません。

 

古代において政治、軍事を司っていた男王が天皇の原型であったことは間違いないので

天皇の基本型は男性であることは間違いありません。

女性天皇というのは一方で祭祀を司っていた女性祭祀王の姿を

天皇像に投影したもので天皇本来の姿ではありません。

また実際に存在した女性天皇は皇族女性が仮に天皇を代行したものにすぎず、

女性天皇を本来の姿とすると皇族女性が歴史上はたしてきた本来の役割を

見失ってしまうことになります。

 

現在の女性天皇論はまるで魏志倭人伝を記した中国人のように日本文化や

その歴史、伝統をまったく勘違いした間違った論であることを指摘しておきたいと思います。