本田霊学、鎮魂帰神法を継承されていた渡辺勝義先生が平成26年に亡くなられて
いたとのことで、近代以降、数々の古神道家を生み出してきた本田霊学の
帰神法(神憑り法)は絶伝している可能性が高くなった。
本田親徳(文政5年~明治21年)
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長澤雄楯(安政5年~昭和15年)
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稲葉大津(明治7年~昭和13年)
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佐藤卿彦(大正2年~昭和61年)
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渡辺勝義(昭和19年~平成26年)
長澤雄楯には一万とも言われる門弟がいた
その中の二大高弟が
出口王仁三郎(当時、上田喜三郎)と宮城島金作だという
役割はいずれも神主(霊媒師)
長澤雄楯(審神者)
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出口王仁三郎(神主)
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浅野和三郎(審神者)
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荒深道斉(神主)/友清歓真(神主)
神道霊学四大人のうち荒深道斉も独習の鎮魂の後に
長澤雄楯、稲葉大美津の弟子である若林耕七の審神者(さにわ)を
大正13年5月から同年暮れまで受けて、
その後、昭和元年11月30日に梅田新道、露天神で行われた
大坂心霊研究会で浅野和三郎の審神者の受けて道臣命を
顕したし、神道天行居の友清歓真も浅野和三郎の鎮魂帰神法
を受けて感激して大本教に入り、のち脱退して長澤雄楯に
直接入門している。
浅野和三郎は優秀な審神者で、彼の審神者により同時代の
多くの帰神法が行われ、霊能力を開花させた人物は多い。
大本教で帰神法が行われなくなったのも浅野和三郎の脱会
により優秀な審神者がいなくなったのが原因ではないかと
推測される。
本田霊学の帰神法が絶伝したと思われる現在において
2者構成以上による他感法による神懸かりを継承しているのは
本田霊学とは系統は異なるものの御嶽教などの御嶽信仰の一部の
講社のみになると思われる。
(御嶽神道での審神者は「前座」、神憑る神主に当たるのが「中座」)
一般の人には神憑りの神主に目を奪われがちだが、この日本古来からの
他感法による神憑りは神憑りの神主以上に、霊力の強い優秀な審神者の
存在が必要であることを渡辺勝義先生は著書で強調されておられる。
最近流行りのスピチュリアル系能力の人たちにも優秀な審神者が
付けばより正確な神からの啓示と霊能を発揮できるだろう。
今後の霊学の復興は優秀な審神者の登場如何によるであろう。