皇室における神仏習合の実際 即位灌頂 | 魁!神社旅日記

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よく近代批判、国家神道批判の観点から

 

明治以前は皇室も神仏習合であった、その証拠として「即位灌頂」

 

がとりあげられ、即位における神道儀礼である大嘗祭は中世に

 

費用的な問題で途絶えたこともあったが、即位灌頂は一貫して

 

途絶えることなく行われてきた近代以前の天皇、皇室にとっての

 

最大の仏教的即位儀礼としてとりあげられている。

 

しかし、その実際は一体どんなものであったのだろうか?

 

 

大江正房「正房卿記」所引『後三条院御即位記』に記録がある。

 

(なおこの記録は九条家本「御即位次第」でも裏付けがとれているという)

 

それによれば

 

 

天皇が小安殿から大極殿に移動する間、「この間後三条院手を結び給ふ、

 

大日如来(智)拳印、本持(地)一字金輪を御本尊とし給ふ」

 

 

以上である。

 

 

灌頂は密教の儀式に由来しているが、この即位灌頂の実際は密教の灌頂のような

 

儀式が行われるわけではない。

 

ただ即位式の移動中における作法の一部にすぎなかったというのが

 

実際である。

 

実際に行われたかわからないが「東寺御即位法」でも

 

印と偈讃が増える程度である。

 

 

つまり大嘗祭が中断しても即位灌頂が続いてきたのは仏教を重視したわけ

 

でもなく、単に簡単なものであったからである。

 

大がかりな施設や人員を動員して行われる大嘗祭と比べるべくもない。

 

「秘儀」と言えば大層な儀式を行ったように聞こえるが、実際には

 

即位灌頂というのは「作法」程度のものであったという事実を指摘しておきたい。

 

 

なお、皇室における仏事はあくまで個人的な信仰のもので、公的には

 

天皇はやはり神道の祭主であり、仏教色の強かった中世、近世においても

 

宮中にて神事が行われる場合は厳密な「神仏分離」が行われていた

 

ことは最近の研究であきらかになってきている。

 

 

また我が国における「神仏習合」における「仏」は厳密には「密教」が

 

基盤になっており、現在我々が考える近代仏教のようなものではなく、

 

それ自体がすでにインドにおいて神仏習合していた「密教」が

 

そのインドの神々に我が国の神々を加えたものにすぎないのではないか

 

という点も指摘しておきたい。

 

この我が国に伝来した「密教」というものが、現在我々の考えている「仏教」

 

とは少し違ったものであることはまた項を改めて述べたい。

 

 

(本項の参考文献:「天皇の即位儀礼と神仏」松本郁代)